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映画レビュー

011 「しゃぼん玉」(2017)

<基本情報>
テレビドラマ「相棒」で知られる東伸児が、劇場映画で初めての監督を務める。
直木賞作家に名を連ねる、乃南アサのベストセラー小説を映画化。
社会から孤立している青年を林遣都が、田舎に住む老婆を市原悦子が、それぞれ演じる。

 道を踏み外し、非行に走る人がいる。そんなやつらは、どうしようもないんだから、社会からそそくさと排除されてしかるべきだという意見は、あまりにも、稚拙だ。悪に手を染めることでしか、生きていく手段がなかったとき、迷惑をかけず一人で死んでいくべきだったという理論は、この世界をどうしようもなく、息苦しくする。

 宮崎県の自然あふれる景色が、観るものを癒す。美しい映像なので、実際に訪れたい気持ちになる。たぶん荒んだ心を回復するには、緑に囲まれた場所で、ゆっくり静養することが、必要なのかもしれない。主人公の青年・伊豆見もまた、温かい田舎の人々にふれ、少しずつ更生していく。

 村で、一人で暮らすおばあちゃん(スマ)の台詞が、印象的。「坊はええ子」という言葉が、荒れ果てた伊豆見に染み渡っていくのが、分かる。誰にだって、褒められたい時がある。でも、世間というものは、冷たいのが常だ。この物語は、優しい素直な村人たちが、僕らに、生きる価値があるというあたりまえのことを、教えてくれる。

 居場所のない哀れみは、いつか焦燥にかわる。あなたは、そこにいてもいいんだよという、簡単な言葉が、届かない。必要とされることの難しさ、あるいは、人生が行き詰まるジレンマが、行く手を阻む。もう、どこにも行くあてのない人間が、豊かな精神性を帯びていく姿は、王道なストーリーかもしれないけど、胸をうつ。

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favorite song

トレース

街が、正常に

息をしている。

その日の仕事を終え、

家路につく人々。

夕方の空は、

少し赤づいている。

その裏側で、

生産性の乏しい人間は

排除される。

そんな社会は

とても、生きにくい。

結局のところ

あなたは

さも自分が優れた生き物だと

言いたいだけではないか。

沈んだ心を

浮かばせる術を知らない僕は、

今日も、一人荒野に

想いのたけを叫ぶ。

まるで、文章を綴るように。

せめて耳にする音楽だけは

優しいものがいい。

清竜人の「ヘルプミーヘルプミーヘルプミー」。

底知れぬ不安がある。

それを打ち消す材料は

たぶん、どこにもない。

だれかの人格を

トレースしただけの自分。

オリジナリティーなんて、ない。

飛んでくる

意地悪な言葉を、

悪いのは、すべて自分なんだと

背負い込む。

さよならを決めた日から

始まる人生がある。

安定を欲しがる病が

つまらない毎日を連れて来る。

そんな日常を捨て、

自由を手に入れろ。

雑音のなかに

混じる真実の言葉。

僕には、聞こえる。

だから大丈夫だ。

ほんのすこしの期待を胸に

明日を待つ。

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映画レビュー

010 「ストーンウォール」(2016)

<基本情報>
1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン 」で、店に立ち会った人々と、警察が衝突する。
それを、発端に巻き起こった同性愛者の権利運動は、後に「ストーンウォールの反乱」と呼ばれる。
「インデペンデンス・デイ」シリーズのローランド・エメリッヒ監督が、実話をもとに描く。
主人公ダニー役を、ジェレミー・アーバインが演じる。

 LGBTを題材にした映画である。当事者の僕は、そこを入り口に、観てみようという気になる。でも、たくさんの人に手にとってもらいたい。差別や偏見は、いけないと頭では分かっていても、どうしても、心の弱いところから、生まれてしまう。何も分からない、理解できない、自分とは異なる相手にたいして、少し怪訝な目でみてしまう。だから、僕たちは、内にひめた他人にたいする暴力性を、常に覚えておかなければならない。それは、なにもセクシャル・マイノリティーの問題に、かかわらずだ。

 ゲイであることが、苦しかったりすることがある。正直にいえば。その理由は、とても、くだらない。たまたま、目に映る他のひとが、とても幸せそうにみえて、自分だけが、うまく社会にとけ込めないなという劣等感。よく、それは、セクシャリティに関わらず、誰でもそんな時期は、あるという。でも、僕は、うまく生きれないことを、自分の性的指向が、他の人と違うからだと言ってもいいと思う。それくらいの、逃げ道は、用意されてしかるべきだ。後になって、やっぱ関係なかったなというくらいが、ちょうどいい。

 美しい容姿をしたレイは、体を売って暮らしている。その職業を選ぶのは、彼ら自身なのだから、そんな人生を送るのは、あなたに責任があるという言論は、聞いていてどこか虚しい。人間は、生きていかなければならない。苦境にたたされた人が、お金のために売春をする。それを、私達には関係のないことだと切り捨てるのは、やめてほしい。なぜ僕らが、この複雑な社会で、それぞれの立場で、平等ではない生い立ちで、文句のひとつも言えないほど、圧迫されているのかを想像するべきだ。

 当時、反乱をおこした無名の人々は、たぶん勇気がいっただろう。そんな瞬間の場面が積み重なり、今という時代が成立していることを、この作品は、教えてくれる。政治的な主張をするのに、暴力はいらない。だけど、現実は、ちがう。暴動になったり、怪我をする人だっている。それでも、忘れてはいけないのは、それぞれの意志に宿る信念だ。カオスが導く世界が、どこへ向かうのかは、誰にもわからない。

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009 「トマトのしずく」(2017)

<基本情報>
2012年に、すでに完成されていたが、公開が見送られていた。
「お蔵出し映画祭2015」で、グランプリと観客賞を受賞し、ようやく2017年1月に解禁された。
主演に、小西真奈美を迎え、相手役に吉沢悠が抜擢されている。
監督は「誘拐ラプソディー」の榊英雄が務める。

 誰にだって、相手との距離と取り方で、うまくいかないことがある。近しい存在であればあるほど、複雑な問題になっていく。家族という関係性は、その言葉では、簡単に言い表すことのできない、やっかいなものだ。同じ月日を、共有してきたからこそ、分かることだってあるし、分からないこともある。ささいのことがきっかけで、許すことができなかったり、意地になって仲直りする機会を見過ごしてしまう。

 この物語は、父と娘の行き違いが、軸となって展開される。疎遠になっていた2人が、娘の入籍を機に、お互いの存在を改め直していく。その過程が、言葉少なめに、丁寧に描写されている。不器用な性格だからこそ、思っている気持ちを素直に、口にできない。そのもどかしさは、僕らの人生に、どうしようもなく、降り注ぐ。いびつなまでの感情は、行き場を失う。

 幸せの形は、人それぞれだと思う。大学をでる、就職する、結婚する、子どもを授かる、そのどれもが、どんなに努力をしても、果たせない夢に終わることだってある。けれど、それで何もかもを、諦めてしまうことはない。ときには、自分の弱さが嫌になることだってある。だけど、それでも、幸せになろうと翻弄する姿が、僕は、好きだ。

 とくに激しい起伏があったり、山場が用意されているわけではない。そういった意味では、観る人を選ぶ作品かもしれない。でも、観終わったあとに、ほっこり幸せを感じられるつくりになっている。家庭菜園で、一生懸命、栽培されたトマトの色が、赤々しく、瑞々しい。それは、きっとこれからの、親子の関係をほぐす、役目となる。そして、愛を伝える意味を教えてくれる。

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詩的表現

すべて

人生が楽しくなる

一歩、手前が

本当の幸せなのかもしれない。

移り変わっていくのが

常だ。

一度、幸福なんてものに

慣れてしまえば

後は、ただ惰性の日々が

続いていく。

頭の中を

とめどなく、流れる思考が

爆発する。

なにもかもが

消費されていく。

変わりは

いくらでも

きくのだから

お前なんて

必要ないという

批判だけが

はっきり聞こえる。

僕という人格を

他の誰かに生きて欲しい。

そのとき、初めて

理解がうまれるだろう。

だけど

そのときは、絶対に訪れない。

誰も他の人の、人生を

とって代われないからだ。

それが、この世界の、すべてだ。

あるだけの力で

生きていく。

嘘のない

かっこをつけない

不器用な

ありのままの自分で。

心地のいい夜風が

夏の終わりを告げる。

季節が、巡る。

ただ、それだけが、分かる。

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詩的表現

オンパレード

夢にでてくるあなたは、

いつも笑っている。

さも、これまでのケンカが

なかったかのように。

どうして、言葉は

躊躇なく

相手を、傷つけてしまうんだろう。

意味もなく

こぼれ落ちる、涙が

とても無様だった。

自分を理解して欲しいという

愚かな願望が

先走りしすぎて、

いつも空回りする。

かすり傷は、

しっかりと肌に残る。

ちっとも痛くもないのに。

ふとした瞬間に

思い出たちが

一斉にかけめぐる。

記憶のオンパレードは

僕が、今まで

しっかりと

深く、真摯に

生きてきたことを

教えてくれる。

それでも、

ここで歩みを止めることは

許されない。

命というものは、

ただ老いていくことにこそ

価値がある。

一方通行の人生に

祝杯をあげよう。

泣く場所を準備している

姑息な自分は、

いったいどこへ向かうんだろう。

悲しみのうえに成立している

「いま」だけが

全部を覆い尽くす。

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社会の出来事

影のない世界

 駅のホームで、電車を待つ。人ごみの中の僕は、どこか、たどたどしく、浮いているようだ。ただ、ひとりで、あてもない人生の迷宮に、入ってしまった。死にたいと考えること自体が、生きている証なのだと、あなたが言うから、少しでも、陽のあたる場所へ向かう。
 あの日、たしかに流星をみた。夏の遠い空だった。黒に近い濃密な紺色の夜空は、まるで、すべての光あるものを、のみ込んでしまうほど、圧倒的な景色で、少したじろぐ。ここで、こうして、宇宙に片隅で、ひっそりと生きる人間が、なんだか可愛く思えた。どうか、明日も、同じ澄み切った空であることを願う。

     ★     ★     ★

・表現の自由論争
 ネットを飛び交う言葉に、これは正しいとか、間違っているとかの議論は無駄だと思う。それは、みんな分かっている。自分とは異なる立場の意見に、どう向き合うのかを探る作業が、自己を決定づける作用となる。表現の自由は、守られるべきだという、主張がある。でも、それには制限があるんじゃないという人がいる。人を傷つけたり、人格を貶めたりする発言にたいして、Noということは、間違っているのか。

・あたりまえ
 たぶん、いまは、「禁止されるべき芸術」とか「韓国」とか「フェミニズム」とか、とても敏感な時期にあると思う。あえて、そこに踏みこむことによって、うまれる論争には、大きな意味がある。(もちろん稚拙な言い争いは抜きにして)表現や、芸術は、なんらかの作者の意図や、志向がある。でも、受け取る側が、それらすべてをくみ取ることは、不可能だ。だから、観る人によって、沸き上がる感情が、違う。でも、それって、考えてみれば、普通で、あたりまえだ。

・愚かじゃない
 嫌韓や、反日みたいのものを、言葉にして、直接、他人にぶつける行為は、嫌い。どんな理由があろうと、属性を理由に、差別するのは、間違っている。たぶん、韓国に生まれれば、日本を嫌いになったり、日本に生まれれば、韓国を嫌いになったりっていう、ちっぽけなものなんだ。生まれおちた場所が、違うからといって、争うなんて、途方もなく馬鹿げている。もちろん、これまでの歴史的経緯はある。だからといって、そんな大局的な視座で、個人間の交流が、なくなるほど、僕らは、愚かではない。韓国人の友達や、恋人がいる人は、大事にすればいいし、なんならもっと好きになればいい。

    ★    ★    ★

 物事には、光と影があるとよくいう。だけど、光のあたる場所と、影の部分が、固定化されたものが、今の社会だと思う。影に覆われたところに住む人は、そこで限られた希望を手に入れようとする。でも、そんなものまやかしだということに、気付く。人間は、苦労すると、その環境に慣れてしまう。だから、現状を変えようと思う意志を、持たなくなる。
 でも、そうじゃない。社会は、変えることができる。いままでが、そうであったように。いっそのこと、影のない世界を、想像する。そこで暮す人々は、だれもが、陽にあたり、いきいきとしている。そんな理想を想い描く凡人がいてもいい。季節が巡っていく。そのなかで、錆びない感性だけが、凛として、美しい。

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詩的表現

ヘゲモニー

近代という物語が、

バッドエンドに

向かうのなら

今を生きる者にとって

それほど、奇妙な探索はない。

幾重に重なる

複雑な、秩序構造。

なにかに依存していなければ

正常を保っていられない

僕たち。

ヘゲモニーを争ってきたこれまでから

作り上げられた

無意味なシステム。

そんなものを、

手放すことさえ

億劫になる。

いくらでも

修正はきくはずなのに、

現状維持を好む彼らは

たぶん、視界がぼやけているのだ。

美しい薔薇を目の前にして、

有害な物質は

排除しなければならないと

言わんばかりに

新しい価値観を

ぶっ壊す。

ただ、この社会で

同じように

生きたいだけなのに。

傾きかけた世界は、

今日も、

崩れかけた誰かを

支えるように

息をしている。

カテゴリー
詩的表現

タンジブルな夢

汗をかいて

守ろうとしている

平穏な日常。

たぶん、それは、いつか、くたばる日に

その価値が、

ありありと

浮かび上がってくる。

「尊厳」なんて、

たいそれた言葉じゃ

言い表せないけど、

それに、似た

確固たる、いつもここにいる

自分という、疎ましい存在。

ざらざらした現実と、対峙するときのみ

有効となる<私>は、

はやく消えてしまいたいと

いつも願う。

タンジブルな夢を

つかもうと、

翻弄する日々には、

嫌気がさす。

いっそのこと、世界が滅びてしまえばいいのに。

触れることのできる、君。

触感のない、空気と未来。

こぼれ落ちる砂粒みたいに、

そそくさと、波のなかに消えていく。

言葉に、正解なんて、たぶん、ない。

それでも、何かを発信しようと

志した、静かな夜。

あの日と同じように、

しめった夜風が、頬を通りすぎる。

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思考

死神になりたい

 蝉の鳴き声が、じんじんと耳にさわる。今年もあいかわらす、夏が巡ってきたことを知る。どうして、人は、まわる季節のなかで、同じような過ちを、繰り返すんだろう。傷つけるつもりはないんだけど、本心を語ることは、たぶん、誰かを悲しませることになるんだと思う。波風をたてることを、ひどく嫌う僕らは、それでも、本当のことだけを探していこうと決めた。この、おいしげる緑と、ふりかかる日差しのなかで。

    ★    ★    ★

・戦争について
 センシティブな部分に切り込むには、勇気がいる。そこに潜り込むほど、無知であることを知らざるえない。けれど、戦争について、考えることは必要だし、生まれ落ちた国の成り立ちや歴史から、学ぶべきことは、たくさんある。たぶん、原爆が、ヒロシマとナガサキに落とされたことは、だれもが知っている。それから74年経ったいまでも、その日、一瞬のうちに、なんの落度もない人間が、犠牲になった事実を顧みることを、意味がないとあなたが言うならば、たぶんそれは間違っている。

・まともであれ
 アメリカの下した決断が、良かったとか、間違っていたとかを議論するつもりはない。(というか、僕には分からない。)たぶん、いろんな歴史観があり、思想があり、考え方がある。戦争で散っていった勇敢な命をたたえ、愛国心をもつ人だっているし、戦争犯罪について反省すべきと言う人もいる。政治的立場が、右に偏ったり、左の思想に影響される人もいる。混迷する社会のなかで、幸せに生きることが困難な時代に、僕らははたしてどんな未来に、辿り着きたいのか。それを示そうとするまともな大人は、意外なほど少ない。

・アメリカが、好きか、嫌いか
 令和を生きる若者にとって、今更、アメリカを憎むべきだという言論はリアリティーがない。それよりも、震災のときに「トモダチ作戦」を展開した姿の方が、印象に残っている。西洋の文化を取り入れた日本で教育をうけた僕は、自由と平等と民主主義を愛するアメリカを嫌う理由がみつからない。

・自由を求めて
 資本主義のなかで、すべてがうまくいってはいないが、ある程度みんな幸せに暮らしているじゃないかという事実は、たぶん拭いきれない。今もそうだけど、ただ国家とか、政治とかを差し置いて、自由になりたかった。できるだけ個人の価値を高めてきた。その結果、共同体や家族が解体していく。不安定な経済情勢を前に、ただ貧困に嘆くことしかできない僕らは、滑稽にみえる。それが「時代」というものだと、切り捨てるならば、団結して、意義を唱え、大きな体制側に、声を上げるべきだろう。

   ★    ★    ★

 死神が降臨するとき、たぶん、それは冬の時期だ。日が差しかかり、薄くもやのかかった朝焼けの寒い一日の始まりに、彼は登場する。魂の管理を取り仕切る仕事は、この世のどんな職業よりも、たぐいまれな才能を要する。紛争が起きて、たくさんの人が死んだ日は、忙しいのだ。大勢を黄泉の国へ、移送するから。そんな妄想にふける、8月の午後。まだ、暑い日は、続くだろう。死神が、運んでいった精霊たちが、深い眠りのなかにいることを願って。