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思考

複雑な、生

 この社会は、うまく働く、頭のいい人を、欲している。そして、人の能力の差異に、規定されて、人の価値が決まる。それが、正しいとされていて、これまでずっと、社会の核として、存在してきたと考える。そのことについて、文句を言いたいから、ここに文章を記すことにする。

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・差別の程度
 人は、理由なく、頭が悪かったり、体が悪かったりする。それで、低い評価を受ける。その人に、落度が、あるわけではない。ただ、仕事ができる人より、できないだけである。そのことで、不利に扱われる場合が、多くあるのだけれど、程度の差は、あるのにしても、ひとつの、差別といえる。差別は、いけないから、なくそうということになる。

・基準の言語化
 けれど、私達は、日々、選別し、排除する。平然とされる行為だが、中には、悩んでしまう人もいるだろう。よい/わるいの微妙な問題で、あるけれども、なんらかの基準が、存在するから、微妙だと思うはずである。その基準を、言語化することが、必要だと思う。

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 能力、適性に応じた職業につくこと、能力に応じた生活をするのが、当然であるという主張が、誰からも、否定されることなく叫ばれる。けれど、私達は、もっと、複雑な生を、生きてはいないか。
 役にたたない人間を嫌うのは、社会なのだが、社会とは、私達のことだ。つまり、これは、私達の問題である。このようにして、問いは、自らに返ってくる。能力のあるものとないものが、共生する道を、探すことが、これからの課題なのだ。