カテゴリー
思考

リアルの空洞化

 生まれるに前に、もうすでに、ルールはそこにあった。グローバル化する経済の前に、個人のなす力は、もはや無力だ。社会にとけ込もうと努める姿勢は、認めようと、誰かが言う。でも、そんな口車には、もうのせられない。資本主義が席巻する世の中に、風穴をあけようとすることは、現代に生きる者に課せられた、使命なのだろうか。そんな役割は、いっそのこと放棄したいのに、なかなか、突破口をみいだせずに、もがき苦しんでいる。

   ★   ★   ★

・同時並行
 世間を賑わす出来事は、大抵、誰かの不倫であり、不祥事だ。分かりやすい構図で、人生を、転落していく人を、あざけ笑うように、清閑している僕らは、なんだか滑稽だ。テレビの中で起きることが、すべてだという思い込みは、陳腐にみえる。あるいは、テレビで取り上げられない事象のなかに、真実が、見え隠れしていると言ってもいい。世界のあちこちで紛争は、起きているし、毎日、カーテンをあけて日光を浴びる、清々しい朝を迎えるのと同時に、不条理に、人が死んでいる。

・義務に値するもの
 中東情勢を伝える番組は、極わずかだし、取り上げられるとしても、ニュースの中の数秒で終わる。だから、危険だと分かっていても、現地に行くジャーナリストは、必要だと思う。そんな遠い国で起こることなんて、気にならないというかもしれない。そう考えれば、楽に生きられるだろう。でも、自国の情勢が穏やかだから、他の国なんて、関係ないというのは、冷徹な態度と、言わざるえない。少なからず、少しでも、世界を良くしようと努力することは、義務に、値するだろう。

   ★    ★    ★

 テレビを見るだけで、世界を、理解できるというのは、はったりだ。そこにあるべき真実が、すっぽり、抜け落ちている現象を、「リアルの空洞化」と、僕は、呼んでいる。インターネットの発達で、個人が、メディアになれる今の社会において、世相をあらわす記号ばかりが、増えていく。有益な情報が、世界を補填していく。何を、しても、響かず、リアリティーが、無情にもすり抜けていく。生きている実感が、ただ欲しいだけなのに、世知辛い世の中の冷酷な態度は、危険に見るべきだと思う。他人への不寛容は、自分を苦しめることになることを、これっぽっちも分かっていないのは、愚の骨頂だ。

カテゴリー
思考

僕の”未来への”思考(2)、あるいはカタストロフについて

 大切な人の死に、何度立ち会えば、僕らは、なにげない日常の輝きを、かみしめることができるんだろう。もう年の瀬が近いというのに、砂粒のように、こぼれ落ちていくみたいに流れる時間が、ただただ過ぎていく。

   ★   ★   ★

・資本主義ゲーム
 「貿易戦争」という言葉を、ニュースで耳にする。そのとき、なにか分からないけど、”戦争”という言葉を、むやみに使うのは、やめたほうがいいんじゃないかと思った。大国としての威厳を保つことが、そこで暮らす人々の生活より、大事な訳がない。ある程度の豊かさは、必要だと思う。でも、資本主義のゲームに、勝ち続けることを、国家の目的にするのは、間違っている。じゃあ、これから増えていく高齢者を、どうやって支えていくのかと、批判が起きるだろう。

・先のみえない不安
 たしかに、かつてのソニーやトヨタのような、世界的企業がたくさんできて、多くの雇用を生み出すことは、僕らにとって、好都合だ。でも、技術の進歩や、AIの発達によって、必要な労働者は、減少するだろうし、本当に、人が必要な業種は、外国人労働者に任せればいいじゃんってなるだろう。そうなれば、なんのとりえもない、専門的知識もない国内労働者の先行きは、不安でしかない。

・過去から学ぶ
 でも、僕は、案外、単純に考えている。金を持ってるやつが、税金を納めて、企業は、労働者に還元して、個人が消費していけば、経済は回っていくんじゃないかと思う。戦争が起きれば、景気がよくなるらしいけど、そこまでして、マネーゲームの勝ち組になりたい願望を持ち続けるほど、僕らは、愚かではないはずだ。大戦の前から、”戦争”はひとつの論理的な可能性であり、現実には起きそうにないことと認識していたにもかかわらず、紛争が勃発してしまった歴史を、忘れてはならない。

    ★   ★   ★

 3.11以降、原発の安全神話は崩壊したといっていい。もう、原発事故は起きない平穏な日常が続いていたときには、戻れない。僕らは、現実のカタストロフ(破局)に直面し、本当は存在していた、わずかな潜在性を、目の当たりにした。人間は、過去から学ぶことができる知性に富んでいるはずだ。資本主義にしかり、原子力発電にしかり、必ずしも、それしかないということはない。代替えを見つけることは、容易くはないけど、ゼロではないと、僕は思う。