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日常・コラム・エッセイ

「ほっといてほしい。」

 駅のホームで、電車を待つ。そのとき、僕は、近くに、死があるのだなと、思う。なにも、飛び降りたいという、率直な希死念慮を、抱いているわけではない。だけど、少なからず、手が届くところに、命の終わりを、手中に収めることによって、生まれる安堵感。その正体は、いまだ不明だ。とりあえず、まだ、生きることが、前提となっている。安全なところからの、生温い思想を、燃やし尽くせ。僕は、なにも、ここから、言葉を発信して、無傷で、終わろうなんて、思ってない。

 とある、60代の男性と、ゆっくり話す機会があった。いわゆる、バブル期を体験している世代の人間の話は、栄枯盛衰の味わいが漂う。羽振りのいい話を、いっぱい聞いた。
「日本中の土地が、値上がりしていた。」
「年功序列で、実力がなくても、給料は右上がり。」
「Japann as No.1と、世界から賞賛され、みんな、浮かれていた。」
「18歳になれば、車の免許をとり、助手席に女性を乗せる。それが、俺たちのストーリーだった。いまの、若い子は、車に興味がない。」
 時代の流れに、翻弄され、当時を生きた人間と、失われた30年を、生きる僕。その隔たりは、雲を分かつみたいに、くっきりと、輪郭を表す。おっちゃんの、個人の感覚を離れ、マクロ的な視点から捉える自己の語りが、大きな意味を持っていく。

 そして、話の終わりが来る。
「なんでこの世界に生まれてきたんやろ。その理由がわからないままなんや。ほっといてほしかったのに。」
 ふと、ここで生きている虚無感を、感じさせる、その言葉が印象的だった。僕らは、望みもしないのに、生を持たされ、偶然にも、今の場所まで、たどり着いた。そんなあなたは、何に、心が躍るんだろう。もし、この世界のルールや、既成概念によって、鎖を巻かれているなら、それを解く作業は、難航するだろう。だけど、どんなに、青臭くても、自分をなくさないでほしい。非常に小さい世界で起きる、事象に、光が行き届くこと。微動だにしない社会を、揺さぶること。それが、今できることの、全てだ。

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作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

「「ほっといてほしい。」」への2件の返信

なんか分かるなと思いました。
僕は、遊園地の空中ブランコに乗ってる時に似た感覚になるのが自分で怖いです。
希死念慮とか無いんですけどね。

命の終わりを、認知することは、ある意味で、正常なのかなと、思っています。
なんだかんだ言っても、最期は、みんな、死んでしまうのですから。
つなぴさん、コメント、ありがとう。

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