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自由は、何も語らない

 

 「市場経済」への賞賛も、有利さに対する賞賛なのであって、正義の証明ではない。有利であることは、正しいことと同じではないとすれば、何が正しいことなのかという問いが残る。それは、現代を生きる僕たちの課題なのだと思う。

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・神様の不在
 彼自身の身体は、彼のものとする。身体そのものは、神様が、自分のものとして、与えてくれるのかもしれない。そうなると、彼の身体の労働、彼の手の動きは、まさしく、彼のものであると言ってよい。けれど、神様がいないとどうなるか。話は、複雑になり、身体の所有さえも、根拠づける必要がでてくる。

・原理の危うさ 
 けれど、そういった類いの理論は、人間の特権性を、前提に語られている。世界中のものが、人間のものとして、あらかじめ、与えられていなければならない。キリスト教的な世界観のもとでは、自然なことかもしれない。しかし、宗教を信じない人へは、どのように、説得すればよいのか。もちろん原理も、最終的には、それ以上、根拠づけられないような場所に、出てしまう。私達は、ただ、原理を、正しいものとして、承認するのである。問題は、本当に、それを、受け入れていいのかということである。

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 結局のところ、「自分が作ったものは、自分のものにしたい」ということを、言っているにすぎない。そこには、「自由」という価値が、あるではないかという人がいる。たしかに、自らのあり方が、他者から、干渉されないことは、よいことなのかもしれない。でも、決して、誰が、財を、所有するべきかを、説明しようとはしない。自由は、何も語ってくれないのだ。

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昼と夜

 自分は、何者で、どこから来たのかという問いに、立ち向かうには、少し体力が、足りないようだ。疲れたときには、何が、自分のものとされるのかという、命題に立ち返るのがいいのかもしれない。それは、できるかぎり、具体的な答えに、辿り着く近道にもなりうる。

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・所有 
 所有という概念には、様々な矛盾が、含まれている。何によって、それは、正当化されるのか。あるいは、それによって、何ができ、何を拒否できるのか。生まれてきた生命は、皆平等だという。しかし、実際には区別している。問題は、なぜ境界を、設定するのかにある。
 世界には、数多くの主張、思想が存在する。けれども、結局、いろいろやってみて分かったように、「市場経済」で行くしかないのだし、行くのがよいのだろう。大きい格差が、生まれれば福祉を充実して、何か手を打てばいい。それで、平穏無事に、終わる。しかし、それを、なにごともなく、受け入れていいのか。

・近代化
 「能力主義」に、反対しているのではない。価値のあるものには、相応のお金が、支払われるのが良いと思う。あるいは、年齢、性、人種、家柄等の個人の能力や、努力によって変えられない生まれに、基づいて、評価し処遇する「属性原理」など、まっぴらごめんだ。「属性原理」から「能力主義」への移行を、私達は、近代化と呼ぶ。
 実際はどうか。どのようにして、人の地位は、決まっていくのか。本当のところは分からない。「能力主義」と「属性原理」の、どちらかが優越しているのか、あるいは、決まっているとしたら、どのような理論で成り立っているのか。どれも、あいまいなことだらけである。でも、それがいま、僕たちが、暮らしている社会なのだ。

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 難しい話をしても、世界が、よくなる気配は、いっこうにない。そういうときは、どうしても、小説を、読みふけりたくなる。人は、貧弱な真実より、華麗な虚偽を、愛するのだ。優れた知性とは、二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を、充分に、発揮していくことができるといったものである。けれど、たとえ、どんなに卓越した理性を、揃えたとしても、昼の光から、夜の闇の深さを、表現することはできない。