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社会の出来事

問いかけは、こだまになる

 今日は、ちょっと真面目な話。いわゆるトランス・ジェンダー(以下、トランス)や性自認のことについて。この類の議論になると、とたんに(あえて意地悪な言い方をするけど)頭の悪さが炸裂している意見を、いくつも目にして、なんだか虚しい気持ちになる。そこに知識人(何を専門にしているのかは知らないけど)や、著名人までも、一緒になって、女性の安心を守るために、トランスを排除しようとか言って、浮かれ騒いでいる。そのことについて、僕の考えを述べる。

  ★   ★   ★

・イメージの不足

 そもそも性自認ってなんなのっていうところから。大半の人は、生まれ持った身体の性別に、違和感を持つことはない。僕もそう。男性器があることに、なんの苦痛もない。それは身体構造における性と、自認している性が、一致しているから。けれど、いま、知られてきているように、その二つの性がそぐわない人たちがいる。

 そこで、手術に踏み切る人もいる。それは、身体の性別を変えるというより、もとの性別に戻るという感覚に近いと聞いたことがある(僕も、その辺は想像でしか書けないけど)。そこまで嫌悪感が強くなければ、そのままの人もいる。だから、みんながみんな、処置を行うわけじゃない。

 恋愛の対象にする性別はまた、違った問題。生まれきた身体は男性で、自認する性は女性であっても、性的指向は女性のケースもある。自分は女性って言うのなら、好きになるのは男性なんだろっていう決めつけは、正直、ナンセンスだ。そもそも性的感情を抱かない、アセクシャルの人もいる。

 そして、なにも自認する性別は、男と女だけとは限らない。どちらの性別にも属さないXジェンダーと呼ばれたりする。ここで頭の硬い人たちは、混乱する。性別って、男と女だけなんだから、そんな性別なんて、認めないというのである。だから、身体が男で生まれてきた人は、男性として扱うし、身体が女で生まれてきた人は女性として扱う。性自認なんていう概念を認めてしまえば、社会がめちゃくちゃになる。

 僕は、それでは、これからどんな世界を望んでいくのかというイメージが不足していると思う。抑圧されながら自分を押し殺して生きている人が一定数いるのを放置したまま、誰もが幸せに生きれる世界にと理想を掲げるのは馬鹿らしい。ただ良くないところを変えていく。それだけだと思う。

・知性を取り戻せ

 もしトランスの権利を認めてしまえば、男性器のついた、女性を自認している人間が女風呂にはいってきてしまう。そうなると、女性は危険にさらされ、著しい権利の侵害だという。それはそうだ。でも一歩立ち止まってほしい。その部分は、トランスの当事者たちが、もっともセンシティブに考えている部分ではないか。その当事者たちの声を聞かず、排除する正当性を持たせようと、極端なケースだけをかいつまんで、必死になって批判しようとするのは、果たして、知性的なのか。

 例えば、トランスだと嘘をついて女風呂に侵入してくることを考えるなら、それは、彼ら彼女らのトランスの当事者の問題ではない。悪意を持って犯罪を犯そうとする、性別違和を持たない、いわば、私たち側の問題である。それをすり替えて議論が進んでいくのは、間違っている。

 そもそもトランス当事者の方が、公共施設において自分の思い通りの性別の利用を求めているのか。女性の権利を守ることと、トランスの権利を尊重することは、本当に対立構造にあるのか。まるで、トランスが行き過ぎた権利を主張しているような情報は、フェイクではないか。繊細な問題であるからこそ、慎重に丁寧に考えていく必要がある。僕はそう思っている。

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 いまでこそ、性同一性障害やトランスという言葉が、知られるようになった。でも、それよりも前に、性的マイノリティーと呼ばれる人たちは存在していた。その人たちの生きづらさを思い浮かべてみる。というか、どうやって生き延びてきたんだろう。自分の苦しみを誰にも理解されず差別され、毎日、泣いてばかりいたんじゃないだろうか。あるいは、日常を淡々と、しなやかに強く過ごしてきたんだろうか。

 性は、全ての人の問題である。人間の本来の生き方を模索する僕らにとって、見過ごせない問いかけは、こだまになって、舞い戻ってくるみたいだ。愛の形が、様々であるなら、生き方だってそれぞれでいい。まあ、とりあえず、生きよか。

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社会の出来事

差別は、もっと身近にある

 連日の雨は、すこし心を、暗くさせる。雲が途切れた瞬間に、差し込む日差しで、嬉しくなる僕は、なんて、安易なんだろう。でも、それでいい。ふさぎ込んだ気持ちを、なんとか自分で、どうにかしようとして、失敗してきた夜を、幾度となく、通り過ぎた。自分では、制御できないものに、身を委ねる、心地よさ。それは、目に見えないものへの感謝だったり、神への信仰に、つながると、僕は思っている。

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・メンタリスト、DaiGo氏の発言について
 インフルエンサーという、言葉がよく、分からない。とりあえず、ネットでよく、みかける、喋りの達者な人たちなのか。言っていることの内容は、たいして、吟味されず、ただ一方通行に、話し続ける彼らの話は、とくに、聞く気にはなれない。(もちろん、どれだけの影響があるかを、懸念し、しっかりとした主張をする人もいることは、知っている。)今回のことも、内容は、よく分からないが、どうやら、生活保護者や、野宿して生活する人の、命を軽んじる趣旨の発言を、うけてのことらしい。それについての、まっとうな批判は、各方面から、声が、あがっているので、ここでは、しない。

・正義vs不正義の構図の危うさ
 例えば、彼のように、考える悪人と、それは、間違っていると諭す良人に、この社会の人間は、区別されるのか。世界は、そんなに、単純じゃない。彼の発言の根幹を根絶やしに、しなければならないと、意気込むだけでは、意味がない。だって、家族から慕われ、人望があつく、地位や名声に恵まれている人間が、差別主義者であることなんて、ざらに、ある。どんなやつでも、相手によって、接し方を変える醜悪さを、抱えている。それを、前提にしないと、建設的な議論はできない。
 かんたんに言ってしまえば、自分にとって、不都合な他者を、どれだけ、許容できるか。必要のない人間は、死んでしまえばいいというのは、暴論である。自分とは違う価値観で生きる人間が、いる。そして、彼らも、彼らなりの合理性をもって、今に至っていること。それを、想像する力を持ち合わせながら、言葉を発信できる人を、僕は、信頼する。

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 彼の炎上が、取り沙汰されて、エンターテイメントになりつつある現状は、はっきりいって、不快だ。間違っている考え方は、改めることができる。(おそらく、それには、時間が必要である。そして、その作用は、誰も見ていないところで、ひっそりと孤独と戦いながら起きることを、僕らは、経験的に、知っている。)
 この問題を一過性のものに、するのではなく、成熟した社会につながるための、粘り強い姿勢を、求める。差別は、もっと身近にある。日常の端々に、発見する自分の中の、違和感や、とまどい。それは、もしかしたら、悪い感情かもしれない。でも、たしかに、存在する偏見。他者とともに生きていくとは、それを、自覚することに、他ならない。

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社会の出来事

殺伐とした空気のなかで

 いろんな思想を持った人が、いる。SNSから流れてくる情報を、飲み込むまで、時間がかかる。心にモヤモヤが、溜まっていく。世界には、自分と似たような人間だけが、暮らしているわけではない。それぞれの主張に、目を通すことで、精一杯になる。だけど、もし、そこから、自分なりの考えを抽出できたらと思いながら、文章を書きたい。

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・「BlackLivesMatter」について
 子どものときは、分からないだろう。自分が生まれた属性と、一生向き合っていかなければならないことを。肌の色が違うだけで、不当に扱われる。どんなに、あなたが、誠実であり、なんの落度もないことを証明しても、聞く耳を持たれない。抑圧される側の、声を、届ける手段を、僕らは、探し続けている。
 教育という名の下で、歴史に触れる。人間は、絶えず、権力を欲し、人を蔑み、殺しあってきた。その過ちについて、学ぶことに、ほとんどの意味が、含まれている。だけど、やむを得ず、暴力にうってでなければならなかった、差別される側の、行為について、注視することができなかった。どんな種類の暴動も、略奪も、内乱も、ひとつのまとまりとして、捉えていたからかもしれない。もし、他者の痛みを、分かち合えるのであれば、僕は、必ず、彼らの声に、耳を傾ける。

・一歩踏み込む 
 「差別を、してはいけません。」と言う人たちにたいして、無関心でいる。はいはい、あなたはいい人ですねと、受け流す。はたして、それは、本当に興味がないだけなのか。いま、差別されている人たちが、声をあげることによって、現状維持が、阻まれる。それに、恐怖しているのが、僕らの本音だとしたら。それに、気付くことが、面倒だから、遠ざける。べつに、今私が、困っているわけじゃないし。
 だけど、一歩、踏み込むことが、必要でなはないか。黒人であることを理由に、被害をうける。性的マイノリティーであることを隠して、生活しなければならない。障がい者は、身の程をしるべきだ。あなたは、いつも、批判をする立場だったかもしれない。だけど、今、世界中で、起きていることは、何も間違ったことはしていないと、信じているあなたに、向けられて、発せられてる言葉だと、思って欲しい。自分のなかの誤った考えを、改めていく。価値観を、アップデートしていく。そうやって、僕らは、知を愛してきたのだから。

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 なぜ、いま殺伐とした空気に、包まれているのか。どこの組織にも属さない人間を、どう扱えばいいのか、社会は戸惑っている。名もなき人の声にたいして、どうせそんなものは、だれも相手にしない。そう、権力者は、考えているだろう。そうやって、民衆の意見を、蔑ろにしていく。その事態を、回避するために、僕は、ここから、発信していく。

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性別について、あるいは「らしさ」を押し付ける暴力

 かっこいい大人になりたい。ただ、それは、不特定多数の人に、性的な目で見られることを、望んでいるのと、同義ではない。いま、目の前にいる、あなとにとって、魅力的な人間でありたいと思う。その違いは、理解しておくべきだ。
 性別という、差異を、ありのまま受けいれ、なおかつ、平等に扱われる社会。でも、はたして、それは、どんな世界なのか。今日も、ただ、男として、女として、目に見えない構造の中で、抑圧される。もちろん、男でもない、女でもない、性別に生まれた人間の、既存の枠組みに抗う、勇気に敬意を持ちながら。

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・風俗嬢に関する、岡村隆史氏の発言について
 ラジオにて、「コロナが明けたら、お金に困った美人さんが、風俗嬢に流れ込んでくる。」という、主旨の発言。(実際の詳しいことは、知らない。)これをうけて、いたるところで、批判が起きている。それは、当然だと、思う。セックスワーカーについて、専門的なことは、分からない。でも、どうしようもない状況で、やむを得ず、その仕事に就くことを、嬉々として待ち望むのは、違う。
 一方で、たぶん、綺麗な女性や、かっこいい男性と、一夜を共にしたいと思う、ゲスい欲望って、誰にでもある。お金を払えば、その願望が叶う。そういう社会を、放置してきたのだ。人間を、商品にみたてて、性的に搾取する。それは、いまに始まったことじゃない。セックスは、相手の貧困につけ込んで、およぶ行為じゃない。それを、再確認するべきだ。

・鏡に映った自我
 こうすれば、周りから、認められるんじゃないか。そんな、考えに、埋め尽くされる。つねに、鏡(社会)に映る自分を、想像する。女性なら、愛嬌のある笑顔をするべきだ。男性なら、仕事に精を出さなければならない。それに、答えていこうと努力するやつが、悪いんじゃない。問題は、求められた役を演じない、規範に従わない人間を、排除していくシステムにある。
 たとえば、ゲイ・セクシュアリティーの男性の、女性らしい振る舞いをみて、否定する。それは、「男らしさ」を強要する暴力に、他ならない。性が、倒錯することに、不安を抱く人がいる。だけど、セクシュアル・マイノリティーの当事者は、あなたの幸せを、奪おうとしているんじゃない。ただ、自分自身の性に、誠実であろうとしている。その姿勢にたいして、差別することを、僕は、肯定しない。

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 みんながみんな、与えられた役割を、果たそうとしていたら、社会は、なんら変化しない。心のなかに眠る、いい顔をしようとする自分に、抵抗する。既存のルールを、壊していく。人が、はじめて主体性を手にしたとき、社会は、改善していく。「男は、女よりも、えらい。」そんな、くだらないことを、いつまでも言う人間は、置いてけぼりにしてしまえばいい。僕らは、いま、確実に、不確かな未来を、手にしようとしている。

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幸福の欠片

 過去の宿る場所について、思考する。教科書に記載されている歴史的事実を、振り返っても、意味がない。その当時の記憶は、ひとり一人の心の内部に、あるいは空間や物に、つめこまれているからだ。つねに再構築される過去は、もはや原型をとどめていない。学校や、家族、職場、いろんな集団に属する僕らは、それぞれの風景を、心に描く。それを基に、社会を考察することが、重大性を増してくる。

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・映画好きの戯言
 パニック映画というジャンルがある。未曾有の自然災害に見舞われたり、隕石が地球にぶつかったりする。いずれも、人間が窮地に陥る。これらの作品は、いつか現実として、そんなふうな問題に、人類が遭遇したときに、パニックにならないために、制作されているという噂を聞いたことがある。(本当かどうか、分からないけど)
 そして、いま、コロナウイルスが、生活環境に、大きな影響を及ぼしている。緊急事態宣言が発令されて、緊張感が高まっている。感染症の流行が描かれているストーリーに、一度はみな触れているはずだ。なにも、映画の世界みたいなことが、そっくりそのまま起こっているわけじゃない。だけど、それに近いことが、起きようとしている。そんなとき、僕らができることって、そういえば、こんなふうな映画を観たことがあるなと、ふと冷静になることなんじゃないだろうか。これまで培ってきた想像力を、今、発揮するときだ。僕は、そう思っている。

・物語のなかに身を置く
 「E.T.」を観て、異星人とのファーストコンタクトを学ぶ人間が、いてもいい。いわば、物語のなかに身を置くことによって、現実の出来事を解釈する。というか、それくらいのことしか、人間はできない。僕らは、自分が、何者かを、知る由もない。ただ、男であったり、女であったり、赤ん坊であったりする自分を、なんとなく、生きている。でも、それでいい。他者と共存していくという、理念さえあれば、優しくなれる。

・ささやかな抵抗
 経済が、滞る。それは、資本主義社会において、致命的だ。だけど、それよりも、命を優先することが必要とされている。外出を控えることを要請するならば、それにともなう収入の減少分を補償をするべきだという批判は、べつにここじゃなくても、あちこちで、言われている。ここで、こてこての政権批判をすることは、僕の、本意ではない。
 だけど、なにか、文句の一つでも言わなければ、事態は、悪化してしまうんじゃないかという危機感が、ある。安倍政権への、不満を、言葉にできない状況は、好ましくない。利権が絡んでいたり、保身のためだったり、(少なくとも僕にとっては)どうでもいいようなことで、国民の生活を守れない政策は、いらないと、はっきり言うべきだ。それは、こんなへんてこなブログに綴る文章で、けれど、まちがいなく国民のひとりである、僕の、ささやかな抵抗だ。

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 僕は、弱虫だ。無能だといってもいい。だけど、唯一、誇れるものがあるとするならば、私が私であり続けるという、強い意志だ。状況が、刻一刻と変化する情勢において、先手を打つことは困難なのかもしれない。専門家の意見でさえ、わかれてしまう。何を信じたらいいのか分からない。不安になることも、ある。それでも、営みのなかに眠る、何気ない会話の中に隠れている、幸福の欠片は、決して、消えやしない。

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社会の出来事

別のシナリオを探す

 権力の側にいると、大切なものが、見えなくなってしまうんだろうか。僕は、絶えず、底辺の、この場所から、声をあげていきたい。自分の努力で、勝ち上がってきたんだ、だから、お前も、頑張ればいいと、考える人間は、嫌いだ。生まれおちた場所、性別、人種、家柄、不平等を前提にくみこまない、愚かさ。そもそも、別に既得権益を、奪ってやろうとすら、思ってない。せめて、それぞれの、暮らしや、命を脅かさないでほしい。

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・新型コロナウイルスについて
 人間もいつかは、滅ぶはずだ。全ての、病原菌に、対抗できると考えることが、間違っているんじゃないか。でも、やっぱり、それは、怖い。これまでも、たくさんの危機が、おとずれている。それでも、乗り越えることができた、力の源は、何なんだろう。ウイルスに、国も、人種も、思想も、関係ない。どこの国の対応が、ずさんだとか、批判しあってる場合ではない。たとえ、関係が、良好でなくても、手を取り合う勇気が、今、試されている。
 医学の知識が、たくさん蓄積されている。それでも、新型のウイルスの出現に、右往左往してしまうのが、常のようだ。まるで、今までの、英知が、何も役に立たないのかとさえ、思ってしまう。分からないことは、分からないと言えば、いい。不安なことは、いっぱいある。たぶん、これまでは、何かが起こるまで、変えることをしない国だったと思う。問題を隠してしまったり、波風を立てるのを、防ごうとする。でも、やっぱり、それじゃあ、対応は、後手に回る。

・何を優先すべきか
 経済を止めることに、異常なまでに恐れを抱いている人がいる。それが、ただ、損をすることが、嫌なのか、生活がかかっている瀬戸際だからなのかは、わからない。倒産寸前の会社だってあるだろう。お金の動きを、ストップして、死んでしまう人がいるのであれば、措置が必要である。そうじゃない人は、いったん、経済に翻弄される立場を、降りればいい。今、あなたにとって、危険なのは、ウイルスなんだから。お金なんて、後から、稼げばいい。僕は、そう思う。

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 自分の中に、形成されてきた固定観念は、どうやって塗り替えられていくんだろう。無意識のまま、インプットされている、模範。再生産されていく価値観に、どこまでも、追いつめられる。もっと、縛りのない人生を送れたら、楽なのに。これまでの経緯のなかで、異性同士が、欲情しあうというシナリオが、用意されているみたい。歴史からは、自由になれない。安直に、オーガニズムに達する僕らは、今日も、台本どおりに生きていく。

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思考 社会の出来事

分け隔てなく生きる

 自分らしさを、表現することは、秩序を壊すことだと思う。いままで存在しえなかった価値を見出す作業は、孤独に包まれている。どうせ道徳や正義なんてものは、マジョリティーの言い分にすぎない。だから、もし、この世界が、支配する側と、支配される側に、分断されるなら、後者は、抵抗すればいい。僕らは、生きている。言うまでもなく。人間であること、女性であること、弱者であること、あるいは動物のひとつに過ぎないこと、ありとあらゆる生命が、今日も躍動している。

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・なにを言祝ぐべきなのか
 イランとアメリカの対立が深まり、憎しみの連鎖が、舞い戻ろうとしている。「戦争」という体験をしないまま、大人になった世代が、平和を語ってはいけないのだろうか。命が、軽んじられ、国のために全てを投げ打った彼らは、何を思い、死んでいったのか。終戦を向かえたときの、不思議な安堵感を、僕は想像する。もう、戦わなくてもいいんだという思いが示す方向に進めばいい。この先に日本が、言祝ぐべき進路は、空爆のニュースを見た時の、一人ひとりの感情の内側に眠っている気がする。

・相模原殺傷事件について
 みなの命に平等に価値がある。そんなあたりまえの考えが、根本から揺らいでしまったのが、この出来事だったと思う。公判が始まり、事件の詳細が、明るみにでるとき、世界に、ひとつのひずみが生じる。その衝撃波は、螺旋状にゆっくり広がっていく。さて、僕らはいったい、だれに憤りをぶつければいいんだろう。命に線引きをしては、いけないことは分かる。他人に生きる価値があるのか、ないのかを、決めることはできない。たとえ誰かが、無意味であると判断しても、それが、命の生き死にに関わってはいけないということを、はっきり言う必要がある。

・なぜ大学教育が行われるのか
 それぞれの大学の発足の理念なんてものは、僕は知らない。でも、決して大学は、企業が求める人材を育成する機関に成り下がってはいけない。上からの命令に、文句を言わず従順に従い、サービス残業もいとわない若者は、たしかに都合がいいだろう。だけど、教育って、人を育てるって、そんな目的のもとで行われていいのかを、問いなおすべきだ。
 科学技術が進歩していく。生まれる前から、障がいを持っているかを、判別できるようになる。優秀な遺伝子だけをかき集めて、人間をつくりだす。そんな時代に、誰が、正しいか、間違っているのかを、導き出すのか。そんなことは、専門家に、まかせればいいと、あなたは、思うかもしれない。だけど、少なくとも、教育の目指すべきところって、あくまでも、自分とは立場の異なる他人に、優しくできる人間にすることなんじゃないかと僕は、思っている。

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 人間は、もうすでに、幾度となく失敗を繰り返している。優生思想における批判を、もう一度、やり直せばいい。僕が、ここで述べてきたことは、いわゆる、どうやって分け隔てなく生きることができるかということだ。宗教や、政治理念の違う国や人間にたいして、どうアプローチしていくか、障がい者と健常者を、違う教室で学ばせることに何の正当性があるのか、他者と自分との垣根をどう、壊していくのか。
 もちろん、そこには「恐怖」があるだろう。自分とは異なる他人を、疎ましく感じることは、誰にでもある。だからと言って、いがみ合う必要はない。まして殺しあうなんてことは、途方もなく馬鹿げている。もし、僕らが成熟した社会を生きているならば、過去の過ちに学び、どう共生していくかを、模索していくべきだ。

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僕の全て

 各々の考え方で、生きたらいいじゃないかと、僕は思う。地位や名誉や威厳を、保ちたい人は、そうすればいい。人間関係に煩わされたくない人は、無人島に住めばいい。働きたくない人は、自由にしたらいい。それで、社会が崩壊してしまうなら、そのときに考えよう。
 高齢化していくなかで、社会保障の財源を、どう確保するのか。もちろん、シビアな問題もある。だけど、なんだかんだで、変わらない営みが続くのは、人間のもつ理性のおかげである。税金を払おう、つらい朝に、めげずに通勤しよう、知識を身につけ、役に立つ大人になろう、それぞれが、なんらかのルールにそって生きている。それを、僕らは「秩序」と呼ぶ。

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・そんなジャーナリズムなんて
 とある芸人さんが、納税を怠ってしまったことについて、無責任であると、テレビが言う。それは、分かる。でも、名前の売れている人の不祥事をとりあげるのって、くだらない。失敗をおかしてしまったことについて、ある一定の社会的制裁を受ければ、それでいいんじゃないかと、思う。何回も、何回も、顔や名前をさらして、まるで、悪の権化みたいにするのって、極端にいって、不愉快だ。もっと、取り上げられなければならない事実が、たくさんある。それらを無視して、一人の人間を責め立てることしかできないジャーナリズムなんて、いらない。

・パラダイム
 冷戦が終結したとき、あるひとつのパラダイム(理論的枠組み)が失効する。世界における理解の視点が、バラバラになり、それぞれの個人は、自由になる。それから、世の中は、どんどん複雑になる。テロリズム、排外主義、自国ファースト、貿易戦争、すべてが、いまに繋がっているのだ。たぶん、僕らは、なにを大切にすべきなのかを見失っている。分かりやすい数字や、株価に踊らされる光景は、ほんとうに愚かだ。

    ★     ★     ★

 僕と社会をつなぐ物語が、シンプルで、かつ強固なものであるとき、それは、心の平穏を連れて来る。でも、人生は、そんなに簡単じゃない。信じることを、やめてしまった瞬間に、ぼやけていく、他人との関係性。自分を自分たらしめる、理由や、必然性が欠如しているのだ。だから、とりあえず、歴史をたどってみる。たぶん、宇宙の始まりから考えたら、僕の生きてきた30年は、1秒にもみたない。だから、どんなにやりきれないことも、それだけのことだと、うけ流していける。勇敢にもなれる。ただ、もし、一人で泣いている人が、いれば、そこに寄り添いたい。それが、今の僕の全てだ。

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社会の出来事 自分のこと

3つの命

 朽ち果てていく定めのなかで、どう足掻いても、心のゆきどころが見つからない。ただ、社会化を目的に教育された僕たちが、誰からも侵されない自由を手に入れるなんて不可能なのだ。もし、落ち着ける場所があるならば、それはきっと深い眠りの間に存在する、薄暗い闇と悲しみが入り交じった、荒れ果てた宇宙のなかだ。

   ★    ★    ★

・いびつ
 「知性」という怪物が、体の奥の方を、刺激する。いつの時代にも、愚かな民衆はいた。移りゆく時間は、一向に止まる気配はない。ある前提条件が前置きされた状況で、たくさんの人間が選択してきた制度は、歪だ。整合性のとれたものを求めて人間が、試行錯誤してきたならば、その所業は、失敗に終わったといっても過言ではない。

・覚悟をみせろ
 僕はここで、安倍政権批判をしたい訳じゃない。でも、目に余る偏向報道について、何かを言わなければいけない焦燥感が拭えない。ニュートラルな立場での言論は、誰かの熱狂的な支持を得ないかもしれない。でも、メディアの果たす役割を考えたとき、名もなき人々を傷つける言葉を選んではいけない。権力側に、すり寄るんじゃなくて、公平に批判を展開しなければならない。僕の怒りの発生源を、突き止める作業は、困難を極める。きっと、そこで暮らす市民は、世の中の空気を、敏感に読み取っている。利権に群がる連中がいることを知っているし、自己の保身に走る汚い大人がいることも知っている。もし、良識に反した意見を押し通すなら、その覚悟を見せろ。自分の思想に、賛同してくれる人にだけ向けた言葉はいらない。

・覚醒
 僕は、この世界に、3度、生まれた。1回目は、母親のお腹から産まれおち、産声を上げたとき。2回目は、自分のセクシュアリティーを自覚したとき。3回目は、父親が死んだときだ。それぞれの節目で、覚醒とも呼べる、なにか研ぎすまされた知覚を覚える。どうしようもない不条理や、生まれた国によって違う待遇、多様な文化、人間の尊厳、そんなものを、知ったんだと思う。社会における、自分の階級、居場所、立場を、確立していくなかで、弱者と呼ばれる層が存在することから、けっして目を逸らしたくなかった。いつだって心のひだに届くのは、どん底にいても、けっして希望をすてない人間の姿なのだ。それを、笑って馬鹿にする行為を、僕は許さない。

    ★    ★    ★

 自分が、どう格付けされているのかを執拗に気にする人が一定数いる。日本は、韓国より格上だ、その事実を脅かすものには攻撃しなければならない。でも、僕は思う。自分のよりどころは、たぶん、自分にしかない。死にむかっていく過程で、思い知らされるのは、孤独という感情が、あまりにも僕らを、覆っていることだ。たぶん、死ぬ時も、一人だと思う。想像だけど。誰かと一緒に、死ぬことはできない。光に、すべてを期待する時代は、終わった。命の店じまいにむけて、淡々と生きるのだ。

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社会の出来事

影のない世界

 駅のホームで、電車を待つ。人ごみの中の僕は、どこか、たどたどしく、浮いているようだ。ただ、ひとりで、あてもない人生の迷宮に、入ってしまった。死にたいと考えること自体が、生きている証なのだと、あなたが言うから、少しでも、陽のあたる場所へ向かう。
 あの日、たしかに流星をみた。夏の遠い空だった。黒に近い濃密な紺色の夜空は、まるで、すべての光あるものを、のみ込んでしまうほど、圧倒的な景色で、少したじろぐ。ここで、こうして、宇宙に片隅で、ひっそりと生きる人間が、なんだか可愛く思えた。どうか、明日も、同じ澄み切った空であることを願う。

     ★     ★     ★

・表現の自由論争
 ネットを飛び交う言葉に、これは正しいとか、間違っているとかの議論は無駄だと思う。それは、みんな分かっている。自分とは異なる立場の意見に、どう向き合うのかを探る作業が、自己を決定づける作用となる。表現の自由は、守られるべきだという、主張がある。でも、それには制限があるんじゃないという人がいる。人を傷つけたり、人格を貶めたりする発言にたいして、Noということは、間違っているのか。

・あたりまえ
 たぶん、いまは、「禁止されるべき芸術」とか「韓国」とか「フェミニズム」とか、とても敏感な時期にあると思う。あえて、そこに踏みこむことによって、うまれる論争には、大きな意味がある。(もちろん稚拙な言い争いは抜きにして)表現や、芸術は、なんらかの作者の意図や、志向がある。でも、受け取る側が、それらすべてをくみ取ることは、不可能だ。だから、観る人によって、沸き上がる感情が、違う。でも、それって、考えてみれば、普通で、あたりまえだ。

・愚かじゃない
 嫌韓や、反日みたいのものを、言葉にして、直接、他人にぶつける行為は、嫌い。どんな理由があろうと、属性を理由に、差別するのは、間違っている。たぶん、韓国に生まれれば、日本を嫌いになったり、日本に生まれれば、韓国を嫌いになったりっていう、ちっぽけなものなんだ。生まれおちた場所が、違うからといって、争うなんて、途方もなく馬鹿げている。もちろん、これまでの歴史的経緯はある。だからといって、そんな大局的な視座で、個人間の交流が、なくなるほど、僕らは、愚かではない。韓国人の友達や、恋人がいる人は、大事にすればいいし、なんならもっと好きになればいい。

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 物事には、光と影があるとよくいう。だけど、光のあたる場所と、影の部分が、固定化されたものが、今の社会だと思う。影に覆われたところに住む人は、そこで限られた希望を手に入れようとする。でも、そんなものまやかしだということに、気付く。人間は、苦労すると、その環境に慣れてしまう。だから、現状を変えようと思う意志を、持たなくなる。
 でも、そうじゃない。社会は、変えることができる。いままでが、そうであったように。いっそのこと、影のない世界を、想像する。そこで暮す人々は、だれもが、陽にあたり、いきいきとしている。そんな理想を想い描く凡人がいてもいい。季節が巡っていく。そのなかで、錆びない感性だけが、凛として、美しい。