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フラッシュバック

季節がひとつ、めぐるたびに

僕は、僕に近づいていく。

そんな気がする。

分からなかったこと、

知らなかったこと、

見ようともしなかったこと、

全部が

点と点を結ぶように

線になっていく。

紡ぎだす愛という

螺旋状の糸は、

いったい、どこに

辿り着くんだろう。

みんながみんな、快楽を求めるから、

世界は汚れてしまう。

生々しい、歌詞が、印象的。

ねぇ、忘れないでね。(現:センチミリメンタル)の「ラブソング」。

こんな、愛の歌が、あっていい。

明日がくることが

たぶん、決まっている。

それでも、今日という日は

一生のうち一度しかない。

そうやって、無理矢理、

意味を持たせて、

毎日を、だまくらかす。

どんなにときが、流れても

何度も、何度も、

思い出してしまう場面がある。

ふとしたことが

きっかけで、

フラッシュバックする記憶。

どうして

僕らは

不都合な真実だけを忘れて、

美しいものを覚えているんだろう。

いっそのこと

すべてを

忘れられたらいいのに。

微かな熱を持った思い出と

不確かな未来を携えて

歩こうと思う。

この、いやになるほど

リアリスティックな世界を。

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思考

静謐なひととき

 季節の移り変わりを意味する静寂によって、あるいは、その美しさによって、僕の感覚は、研ぎすまされる。あいまいな、いつまでたっても安定しない、たよりなく揺れ動く自我が、どこまでいっても出口のない迷路を、さまよっている。それは、大人になりきれない、魂の叫びを帯びている。いつになれば、不完全という枠組みを越えて、卓越した精神を、手に入れることができるのだろう。迷いがひしめく夜に、書き綴る文章は、どこか危なっかしい。

    ★    ★    ★

・浄化
 これまでに蓄積された毒素は、誰かの手によって、浄化されなければならないと、考えるのは、危険だろうか。そもそも、毒づいた言論なんて、そこらかしこの落ちているじゃないかというかもしれない。でも、僕らは、そのひとつひとつを、丁寧に、すくい上げて、全力の闘魂で、追い返さねばならない。それが、アカデミックな世界に課せられた使命だと思うし、一人で、うずくまって、泣くことしかできない彼らが、すこしでも、生きやすい世界を獲得する、鍵になるのだ。

・死者の声
 戦争の歴史を紐解くとき、それは、すでに誰かの視点が、紛れ込んでいる。完全な中立や、公平で偏りのない思想なんて、ありやしない。じゃあ、僕らは、誰から過去に起きたことを、学べばいいのか。そこで諦めてしまえば、いっそ楽なのかもしれない。でも、時空の狭間を越えて、炎の戦禍のなかで、死んでいった者たちの声が、なりやまない。

   ★   ★   ★

 すべての人間は、時と場合によって、ありとあらゆる残虐行為を、行使しうるという真理を、知らしめる必要がある。もう、こんな時代に、戦争なんて起きる訳がないよ、ましてや、ファシズムなんて流行らないと、思考停止することで、世の中から暴力が消えるなら、それで構わない。だけど、現実は違う。テレビのむこうで活躍する、オリンピックの選手の母国が行う空爆で、人が死んだりする。
 もう静謐なひとときを送る時代が、来たんだと、歴史の道しるべが語る。なにも、過去への執着を、強調したいわけじゃない。これまでより、存在感を強めるテロリズム。そんな暴力なんて、目新しくもなんともないと、一蹴する勇気が試されている。そこで、はじめて、歴史は、死んだ人間を離れて、今を生きる僕たちのものとなる。

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詩的表現

ホーリスティック

世界で起きている事象について

どうやって記述すれば

正確に伝えることができんるんだろう。

簡単に、一般化や抽象化をしてしまうと

薄っぺらい文章になる。

ホーリスティック(全体論的)な思考は、

一歩、ひいた視点によって、成立する。

それは、僕らが思っているよりも

困難な作業だ。

ただ、あなたの言葉が

とても重々しく、

意味のあるものだと思った。

死ぬことを、

考えるよりも

明日を生き抜いていくことで

精一杯だ。

でも、もし余裕ができたのなら

いつかは消えてなくなる存在であることを

思い浮かべてごらん。

孤独とか、絶望とか、不安とか

胸の中に押し寄せる黒いやつは、

人生で、最も尊い灯火となる。

心の闇を照らすように、

優しい星のひかりみたいに

輝きだす。

それまで、待てばいい。

ありのままの現実を、

受け入れるには、たぶん重すぎる。

呼吸がしやすい方へ、

向かえばいい。

命は、尊い。

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社会の出来事

瀉血のごとく

 夏の暑い、うなだれるような日差しを目の前に、部屋で寝そべりながら、蝉の鳴き声が耳に響く。もうそろそろ、言い争いはやめにしないかと、虫が教えてくれているみたい。誰かの意見を、批判することは、構わない。相手の見方を尊重しないで、自分の見解を、ただただ繰り返すだけじゃあ、議論とは呼べない。誰かの、もやもやとした気持ちを、言語化できる識者が、僕らには、必要なようだ。夏は、刻一刻と終わっていく。だけど、まだ暑さは続くのだよと、かんかん照りの気候が、報せてくれる。

    ★    ★    ★

・だけど、言いたい
 同性カップルに、法的な権限をあたえるかどうかの問題で、杉田水脈衆院議員の主張に、注目が集まっている。そんななかで、自民党の谷川とむ議員が、追い打ちをかけるように、同性愛は、趣味と変わらないと発言し、波紋を呼んでいる。無知っていうのは、簡単に、人を傷つける切れ味のすごみを含んだ、言葉に早変わりする。それを、念頭に置かなければならない。自分の考えを発言することは、同時に、違う立場の人を、追いやることになりかねないということは、ブログやSNS上で情報を発信する人は、知っておくべきだろう。
 一方で、彼らの発言を受けて、冷静に、声をあげるべき人たちが、的確な論評を並べてくれることが、当事者として、素直にうれしかった。たぶん、もう、僕の言うべきことはないと思う。あったとしても、同じことの繰り返しになる。だけど、言いたいから書こうと思ったので、こうしてつらつらと、文章を書いている。

・暮らしたい世界
 杉田氏の「LGBTは生産性がない」という旨の発言は、多くの人が感じているように、とても偏った意見だと思う。そもそも生産性をもって、人間の価値を決めようとすることは、とても、危険だ。よく仕事をして、成果をあげる人だけが優遇され、仕事ができない障がい者や、子どものできない夫婦は、蔑ろにされる国なんて、はたして、僕らが暮らしたい世界なんだろうか。暴力的な線引きをしない、差別されても何も言えない社会的弱者だとしても、安心して暮らせる社会を、構築することが仕事のはずの政治家がいう、言葉ではない。僕は、そう思う。

    ★   ★   ★

 僕は、良い社会というものは、他人どうしが、お互いに親切にしあうことができるような社会だと、思う。でも、実際に、優しくするのは、とても難しい。もしかしたら、親切が相手には、おせっかいになるかもしれない。街は、それを、知ってか知らずか、だれしもが、無関心に溢れている。知らない人に声をかけてはいけないというルールを、かたくなに守っている。身体のなかで脈打つ心臓が、瀉血のごとく、朝やけ色に染まる。そうだ。この痛みこそが、生きているリアリティーなのだと、僕の脳みその奥から、語りかけてくる。