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思考

社会は、僕抜きでちゃんと動いている

 思考のリズムが、どことなく不均一で、ひとつの事実を、うまく、呑み込めないときがある。起きたばかりで、頭が、まだ、よく働かなかったし、それに、もし、頭がよく働いたとしても、僕のまわりで、起こりつつある様々な出来事の、ひとつひとつに、きちんとした意味を、与えていくことは、もうとっくに、僕の能力の範囲を、超えていた。要するに、物事を、流れのままに、まかせるしかないのである。

 そんな時は、草原の真ん中に立って、まわりの風景を眺める。そして、いつも不思議な気持ちになる。緑以外、何も目に入らない景色は、何かしら、奇妙なものだったし、遠く離れた都会で、人々が、今も日常の営みをつづけているというのも、妙だった。何よりも、社会が、僕抜きでちゃんと動いているというのが、いちばん、奇妙だった。

 中学生の時期を、通り抜けて、いつのまにか高校生、大学生になっていく。社会に出ると、いきなり、国家や、社会の一員としての、自分を、自覚することになる。学校のことで、手一杯だった、あの頃が懐かしく感じる。日本人としての自分の、空虚さ。国際的な視野に立った視点が、求められることが、多くなるけれども、小さな視点を中心として、許すことや、憐れむことを、忘れないでいたいと思う。

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思考

音楽は、思想ほど風化しない

 古い書棚に、数多くの古書が、ぎっしりと、並んでいたとする。地理や科学や歴史や思想、政治に関する本が、多い。どれもが、戦前の本で、その大抵は、無価値だ。一昔前の、一般的知識人の、基礎教養を、研究する以外の目的には、まるで、役に立たない。何冊かの小説だけが、風化を、まぬがれて、生き残っていた。厳しく、長い冬を、越すにあたっては、結構、役に立つのかもしれない。その隣に、60年代中期に、流行ったタイプの、スピーカーと、アンプと、プレーヤーが、セットされている。二百枚ばかりの、レコードは、どれも古く、盤面は傷だらけだが、少なくとも、無価値ではない。音楽は、思想ほど、風化しないのである。

 それでも、音楽は、僕の心に寄り添い、癒してはくれたけど、あの時、戦争を止めることはしなかった。いつだって、この世界は、不条理と暴力で、あふれている。人の命が、亡くなれば、そこには、いつでも正しさがあるとは言わない。けれども、様々な、歴史認識があるように、何一つとして、確かなことなどない今の社会で、ただ一つ、断じて言えることは人は、いつかは、死を迎えることである。それには、深く、考慮する価値があると、僕は思っている。

 なぜ当時、日本人は、あの無謀な戦争に突き進み、非人道的な行為が、次々に、繰り広げられたのか。戦後70年目の夏を迎えている現在、むせかえるような暑さが、続く、毎日の狭間に、考える余地が、あってもいいと思うし、今の日本人に課せられた、一つの使命だとも思う。