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日常・コラム・エッセイ

僕は、何を怖がっているんだろう

安定なんていらない。欲しいのは変化だ。 常に揺れ動く今が愛おしい。

もうすぐ夏がくるだろう。 その時、僕はどんな気分なんだろう。 たぶんここにあるそれとは、全く違った心地に包まれているはずだ。

じつは親しく付き合っている人がいる。 一緒に住み始めようかなんて、楽しげに話したりする。 もしかしたら春は、そんな季節なのかもしれない。

★   ★   ★

 僕はこれまで、同性愛者として生きてきた。それなりにコツをつかみ、滞りなく日常を送るやり方を探ってきた。でもそれは、所詮、自分1人の生活にしか対応していなかったようだ。シングルでいるということは、さじ加減を選ぶことができる。これまでの恋愛について、どこまで話そうか。付き合っていた男性を彼女に置き換えて、出来るだけ嘘のないように誠実に、振る舞おうとしたり。

 しかし、相手がいるということは、なにもかもが違ってくる。一番困るのは、相手との関係を、どのように説明しようかという点だ。説明する必要なんてないといえば、そうなのかもしれない。そりゃ、それは僕にとって、どうでもいい人には、その理論が適用される。でも、例えば、家族だったり、親しい友人だったり、いつもお世話になっている近所の飲食店のマスターだったりしたらどうか。

 マイノリティーが自分のことについて語ることは、それほどまでに悪なんだろうかと、考えてしまう。そんな話し、聞きたくない。言う必要はない。辛辣な言葉が浮かぶ。僕は、何を怖がっているんだろう。ただ、パートナーを紹介するだけじゃないか。たぶん、それを躊躇してしまうのは、自分のせいじゃない。世界には、いろんな属性の人間がいるという普通を、見ないふりする私たちの、あるいは社会の問題だからだ。

 カミングアウトという言葉は、大袈裟すぎて、あんまり好きじゃない。(そう呼びたければ勝手にすればいい。)ゲイであることは、僕のほんの一部分にすぎない。なのにそれを告げた途端、その印象が全てになる。なんとも阿呆らしい。セクシュアリティの話を、繊細に丁寧に複雑のまま扱えない人間は、きらいだ。

★   ★   ★

 僕らは、とりあえず幸せの方に舵を切らねばならない。たとえ、視界が不良でも。未来なんて、どうでもいいと思ってた。気持ちのいい今さえあれば。でも少しビターな大人の感覚を、噛み締めてみよう。散りゆく桜を見て、そんなことを思った、昼下がり。

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思考

そんなこと聞いてない

 たまに自分が分からなくなる。どんな時に悲しくて、どんな時に嬉しかったのかを、忘れてしまうみたいに。と言っても、僕がどのような人間であるかを、他人は決めてくれない。その事実が、恐ろしいと思うのは、空虚な悩みだろうか。

 くよくよしている状況に四苦八苦する日常。いっそのこと、いや、だからこそ、愛について、希望について、所有について、何も疑わなかったあの頃に戻りたいと思う。この世界は、ときに僕が僕でいることを、拒んでくる。

★   ★   ★

・世の中がぎすぎすしている理由

 お金が動いている気配がする。そんなとき、僕はこの社会の片隅に追いやられていると感じる。だってそれは、自分にとって関係のない流れだから。そこで生じている売買や取引について考えた。たぶん、商品を提供している側も、高い値段の理由を見失っているんじゃないか。

 いろんなサービスが、できては消えていく。それらは果たして、それ程の価値を世の中に付与しているのか。そこが分からないから、取り繕う。体を装う。もっともらしくする。綻びが出ないように。どんどん中身が空っぽになって、働く人々は、ぎすぎすした空気に疲弊していく。

・正しさなんて

 そして、疲れた大人は寛容さを失い、蔑んでもいいんだと周りから認定された者をターゲットにして、排除していく。そうでもしないと、資源やお金は限られているんだから、自分たちの取り分が減ってしまう。何の取り柄もない奴を、養っていく余裕はないという理論が、正しいのか。

 弱者にたいして、マジョリティー側が権利を認めるかどうかが、議論される。立ち位置の不公平について、指摘する人はいない。いつから僕らは、人間の価値を値踏みするようになったんだろう。歴史から見えてくる、淀みのない形だけの正しさが泣いている。そんな風に思う。

★   ★   ★

 いやいや社会って、そういうもんだろと誰かが言う。でも、そんなこと聞いてない。ある社会学者が言っていたんだけど、社会とは私たちのことだから、それは私たちの問題であるらしい。それならば、その私たちは、障がい者だし、LGBTQの人たちだし、外国人であるかもしれない。とりあえず、僕らは生きていかねばならない。あなたがあなたである理由を、見つけるみたいに。

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思考

僕の瞳に映る世界は

 戦争のニュースで心が痛い。愛する人を殺されたのだから、やり返すのは、当たり前だ。国中の人が、憎しみに駆られる。そんな状況で、どうやって日常を守ればいいのか。空爆で人が死んでいく。安全な場所で暮らす僕らが言えることなんてないのだけど。それでもせめて、平和を願う気持ちを声にしなければならない。生まれ落ちた場所で、幸か不幸かが決まる現実を壊したいから。

  ★  ★  ★

・そぐわないものは捨てる

 大国は、こぞって宇宙開発を進める。それに対して何も思わなかったけど。なんだか、そこまでして人間の力を見せつける必要があるのか。人が踏み入れたことのない場所をそのままにしておく。それはそれで美しい。もし地球が壊れるとき、私たちも一緒に滅びる覚悟があるからこそ、手に入れる命の輝き。外の世界へ影響を及ぼすことが、強く逞しく賢いことだとするなら、そんな価値観はこっちから捨ててやる。

・変化との戦い

 「私の性自認は、クジラです。」ああ、そうなんですねという柔軟さが、必要になってくるんじゃないかと、勝手に思っている。子どものころテレビで、建物に恋愛感情を抱く人たちについての特集を見た。僕は、そのとき頭がぐらっとする感覚があって、これまでの当たり前を崩された気がした。なにも変わらない、なんの恐れも生じない多様性の尊重なら、いらない。変化というものは、自分の存在を脅かしてくるものだと思うから。それと戦うからこそ、新しい時代が来るのだ。

  ★  ★  ★

 外の世界へと、勇敢に冒険しにいかなくても、僕らには、内側にある秘密を探りにいき、未知の自分を発見するという楽しみがある。倒さなければいけない敵がいなくても、攻略しなければいけないミッションがなくても、あるいは、生きがいなんてなくても、思考すべきことはいくらでもある。人を愛することに夢中になっていれば、争っている暇はない。空虚な退屈が襲ってきたとき、人は他者へと牙を剥く。僕の瞳には、世界はそんなふうに映っている。

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自分のこと

長い時間をかけて僕を見てほしい

 当然、それぞれが答えを持っている。これまで自分は、そうやって生きてきたんだから、これからもそうする。もし、別の答えを持ってくる奴がいれば、攻撃せねばならない。なんて阿呆らしい。お前が所有している正しさを、放り投げてしまえ。常に揺らぎの中に身を置く。変化し続けていくからこそ、僕らは、変わらない何かを、大切にできるのだ。そう思う。

★   ★   ★

・悪者になりたくない

 差別は、いけない。だって物語の中に出てくる悪い奴は、決まって不幸になってるじゃないか。だから、私はいい人であろうとする。本当の心の中は、相手を尊ぶふりをして、ただ自分が悪者になりたくないだけ。

 僕らはたえず、偏見を抱く。それは、避けようのないことだから、せめて自分は善人だなんて思わないようにしよう。だって、うちの子どもは、障がいをもって生まれないようにと願うでしょ。それが、差別的であるのかを問いたい。見知らぬ誰かが、ふとした言葉で傷ついて欲しくないから。そこから始まる世界は、きっと優しい。

・恋愛について

 男だから、女であるあなたを好きになった。なるほど。この切ない気持ちは、そうやって一般論に落とし込めば、説明しやすい。男だけど、男であるお前を愛した。なんだか、2人は幸せになれるんだろうかと不安になる。異性愛者と同性愛者の隔たりみたいなもの。それについて、確かな理論を打ち立てることはできるんだろうか。

 ただゲイであることに誠実にいようとする姿勢を、揶揄するのは間違っていると言いたいだけなのに、長々となってしまう。幸せになりたいと純粋に願う人間を笑いたければ、笑えばいい。自分とは相異なる者を遠ざける世界はつまらない。僕は僕だから、貴方を選んだんだと言える強さが欲しい。

★   ★   ★

 社会を生きていくためには、自分をできる奴だと演出する能力が、ときに必要になってくる。残念ながら、それが苦手だ。それでもやはり、働いてお金を稼がねばならない。こうして文章を書いて、考えを発信するそばに、その日常はある。どうか、長いスパンで僕を評価してほしい。これからも、変わり続けていく意思がここにある。人生がどうであれ、辿り着く場所は、誰にも分からないから。

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日常・コラム・エッセイ

人というものは

 SNSで、お月見にちなんだ商品を紹介する動画が、たえず流れてくる。みなが美味いと絶賛する。僕も子供のころ、秋になると月見バーガーを食べるのを楽しみにしていた一人だ。久しぶりにとマクドナルドに足を運ぶ。実際に食べてみると、全然美味しくない。それは、僕の味覚が変わったからなのかは、分からない。でも確実に、美味しくなかった。

 世の中で、もてはやされているメニューはこんなものかと思う。そりゃ、あの価格で勝負しているのだから、高級店のような味を期待されては困るという意見もある。流行りにのっかると、とんでもない目にあうというのが分かった。たとえ、話題になっていたとしても、美味しくないものは、美味しくない。その自分の感覚を、信じてもいい年頃になったのかもしれない。

 テレビは、いろんなニュースを報道する。ジャニーズ性加害問題、福島第一原発の処理水の海洋放出、物価高に対する政府の経済対策。きっと、どれも大切なことなんだろうけど、僕があれやこれやと考えるには、問いが大き過ぎる。誰が真実を語り、誰が嘘を言っているのか。はじめから疑ってかかるのも、めんどくさい。本当は、これから先のことなんて分かりませんというくらいの方が、信用できる。かみ合わない議論が続く状況は、なんだか滑稽に見える。

 それより僕にとって意味があるのは、近所の商店街で美味しいご飯が、びっくりするような、庶民に優しい値段で売られていたり、いつも行く洋食屋さんのマスターとの会話だったりする。この世界では、とんでもないことが起きているんだと思う。それを見逃さないでおきたい。だから、とりあえず、マスメディアが垂れ流す無意味なことは、シャットダウンする。雑音がなければ、深くえぐりとられた、生の新鮮で身近な情報に反応できる感性が冴えるからだ。

 この世界は、なにか常に揺れ動いている。僕らは、それにつられるように、右へ行ったり左へ行ったりする。だけど、思う。結局、自分が死ぬとき、誇れるものがあるとするのなら、それは何を変えずに、生きぬいたかではないか。その変えなかったことは、きっと人それぞれ違う。その人の核というか、芯の部分に触れたときの感動は、計り知れない。だから、とりあえず心を、社会に開いておこうかと思う。それが、人というものなんじゃないだろうか。

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社会の出来事

問いかけは、こだまになる

 今日は、ちょっと真面目な話。いわゆるトランス・ジェンダー(以下、トランス)や性自認のことについて。この類の議論になると、とたんに(あえて意地悪な言い方をするけど)頭の悪さが炸裂している意見を、いくつも目にして、なんだか虚しい気持ちになる。そこに知識人(何を専門にしているのかは知らないけど)や、著名人までも、一緒になって、女性の安心を守るために、トランスを排除しようとか言って、浮かれ騒いでいる。そのことについて、僕の考えを述べる。

  ★   ★   ★

・イメージの不足

 そもそも性自認ってなんなのっていうところから。大半の人は、生まれ持った身体の性別に、違和感を持つことはない。僕もそう。男性器があることに、なんの苦痛もない。それは身体構造における性と、自認している性が、一致しているから。けれど、いま、知られてきているように、その二つの性がそぐわない人たちがいる。

 そこで、手術に踏み切る人もいる。それは、身体の性別を変えるというより、もとの性別に戻るという感覚に近いと聞いたことがある(僕も、その辺は想像でしか書けないけど)。そこまで嫌悪感が強くなければ、そのままの人もいる。だから、みんながみんな、処置を行うわけじゃない。

 恋愛の対象にする性別はまた、違った問題。生まれきた身体は男性で、自認する性は女性であっても、性的指向は女性のケースもある。自分は女性って言うのなら、好きになるのは男性なんだろっていう決めつけは、正直、ナンセンスだ。そもそも性的感情を抱かない、アセクシャルの人もいる。

 そして、なにも自認する性別は、男と女だけとは限らない。どちらの性別にも属さないXジェンダーと呼ばれたりする。ここで頭の硬い人たちは、混乱する。性別って、男と女だけなんだから、そんな性別なんて、認めないというのである。だから、身体が男で生まれてきた人は、男性として扱うし、身体が女で生まれてきた人は女性として扱う。性自認なんていう概念を認めてしまえば、社会がめちゃくちゃになる。

 僕は、それでは、これからどんな世界を望んでいくのかというイメージが不足していると思う。抑圧されながら自分を押し殺して生きている人が一定数いるのを放置したまま、誰もが幸せに生きれる世界にと理想を掲げるのは馬鹿らしい。ただ良くないところを変えていく。それだけだと思う。

・知性を取り戻せ

 もしトランスの権利を認めてしまえば、男性器のついた、女性を自認している人間が女風呂にはいってきてしまう。そうなると、女性は危険にさらされ、著しい権利の侵害だという。それはそうだ。でも一歩立ち止まってほしい。その部分は、トランスの当事者たちが、もっともセンシティブに考えている部分ではないか。その当事者たちの声を聞かず、排除する正当性を持たせようと、極端なケースだけをかいつまんで、必死になって批判しようとするのは、果たして、知性的なのか。

 例えば、トランスだと嘘をついて女風呂に侵入してくることを考えるなら、それは、彼ら彼女らのトランスの当事者の問題ではない。悪意を持って犯罪を犯そうとする、性別違和を持たない、いわば、私たち側の問題である。それをすり替えて議論が進んでいくのは、間違っている。

 そもそもトランス当事者の方が、公共施設において自分の思い通りの性別の利用を求めているのか。女性の権利を守ることと、トランスの権利を尊重することは、本当に対立構造にあるのか。まるで、トランスが行き過ぎた権利を主張しているような情報は、フェイクではないか。繊細な問題であるからこそ、慎重に丁寧に考えていく必要がある。僕はそう思っている。

★   ★   ★

 いまでこそ、性同一性障害やトランスという言葉が、知られるようになった。でも、それよりも前に、性的マイノリティーと呼ばれる人たちは存在していた。その人たちの生きづらさを思い浮かべてみる。というか、どうやって生き延びてきたんだろう。自分の苦しみを誰にも理解されず差別され、毎日、泣いてばかりいたんじゃないだろうか。あるいは、日常を淡々と、しなやかに強く過ごしてきたんだろうか。

 性は、全ての人の問題である。人間の本来の生き方を模索する僕らにとって、見過ごせない問いかけは、こだまになって、舞い戻ってくるみたいだ。愛の形が、様々であるなら、生き方だってそれぞれでいい。まあ、とりあえず、生きよか。

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思考

飢えを知らない僕たちは

 頼りない僕は、何にすがりつけばいいんだろう。いつまでも不安なのは、圧倒的に経験が不足していることを指す。確固たる自分なんてものは、待っていても、向こうから歩いてくるものじゃないことは、分かる。少しでも肯定してくれる言論を求めて、他から怪しげな理論を借りてくる弱さ。そうだ。歪んだ歴史認識を真に受けてしまうお前は悪くない。ただ、ただ社会が、混沌としていく。

★   ★   ★

・理解という思い込み

 あなたのなかに描かれる僕は、いったいどんな人間なのか。きっと実際とは、かけ離れたものであることは、容易に想像がつく。だけど、相手を知るというのは、今、自分がどのようにその人のことを、感じているのかという、想像の域をでない。じゃあ「理解」って、そもそもいったいなんなのか。不快かどうかという感情のものさしだけが大きくなり、それが印象の全てになる。でっち上げられた人物像が、さも正しくあるかのように、もっともらしく批判する輩の愚かさ。まずお前は、自分にとって不都合な存在に、なぜそういった苛立ちを持つのかを、探るべきだ。

・見落としていた愛を思い出す

 ひとりで生きている。そう思ってた。つらくて、悔しくて涙が出るときも、横には誰もいなかった。大人になるのは、こんなにも苦しいのかと、誰かに吐き捨てたい気持ちだった。けれど、今まで僕に注がれていた優しい眼差しは、すでにそこにあったのだろう。ただ気付かないだけで。幼い頃、感じた幸福。親に施された慈しみが、たしかにここにある。それを、反芻するかのように、あるいは過去を取り戻すかのように、幸せへの経路をたどる。今になって、愛が確固たるもになって、心に根付いているのが分かる。次に何をなすべきかという答えは、すでに僕のなかにある。

★★★

 飢えを知らない僕たちは、いったい何を渇望すればいいんだろう。よく言われる。日本という国に生まれ落ちたこと自体が、幸せだと。そんなこと、言われなくても若い人は分かっている。こんなにも物が溢れかえり、至れり尽くせりの娯楽が用意されている。それでも、満たされない何かの正体は不明だ。環境、不平等、戦争、飢饉、そんなワードで片付けられない現実が、すぐそばにある。結局、僕は何ができるんだろう。思考することさえ、おぼつかない。とりあえず、文章を書く。不器用な言葉が、誰かに届くことを願って。

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自分のこと

あんな大切な夢を、どうして忘れていたんだろう

 自室の中の置物たちは、静かに僕を見守っている。寝るときも、少し気分が落ち込んでいるときも、何も語らずじっと。何かに愛を注ぎたいから、そっと彼らを慈しむ。いつか、いざとなれば動き出し、正義のために戦ってくれるんじゃないか。いや、たかが人形だからと言われても、今の僕には、そんな言葉は、なんの意味も持たない。だって、世界をどう解釈するかは、自分で決めるから。

★   ★   ★

・罠を暴け

 生きづらいと感じている人に、共感する僕がいる。大勢になじめず、居場所のない苦しみに耐えるとき、人は一人になる。そんな弱い部分を隠そうとしても、嘘はすぐに剥がれ、虚しい涙が頬をつたう。結局、私たちが立ち向かわなければいけないのは、こちらに暴力を有無を言わさず、ふるってくる奴らであって、自分ではない。敵は外側にいると、確信したとき、あなたはほんの少し強くなれるはずだ。でも、力に力で対抗するアホらしさに気付いている崇高さ(優しさといっていいのだろうか)が、行く手を阻む。全てのバイオレンスを否定する理論は、あちら側の有利になる罠みたいに、よくできた仕掛けだ。だって、不条理な秩序に対して、声をあげるときも、ある種の乱暴さが伴うから。

・淀みのなかの言葉

 夏の暑さが、それぞれの孤独を溶かしていくみたいだ。そういえば父が死んだ日も、こんなふうに日差しがきつかった。季節が巡っていくなかで、心だけが立ち止まっている。もし、いま、父に伝えるべきことがあるなら、それは何なんだろう。きっと今の僕は、何ら変わらずあのときのままだよと、言おうとしたとき、少しの、淀みが、顔をだす。もう僕は、イノセンスな存在ではない。でも、思う。あなたが、家族を必死になって愛し、守り続けた日々のなかにいた、まだ何も知らない幼な子だった自分。時が経って、背丈が伸びようと、そのままの不器用な自分が、ここにいると。

★   ★    ★

 父は、眠りのなかで、「ごめんね。」と、僕に告げた。あんな大切な夢を、ふと思い出す。その一言は、全ての創造につながっている。世界を深く感じようとする繊細なアイデンティティが、この社会を覆い尽くせばいい。僕らを支配しようとする奴らは、きっとそれを一番、恐れているに違いない。コントロールしやすい人間ばかりに教育しようとする仕組みを、燃やし尽くせ。後になって残るのは、自由と知性に溢れた世界だから。まだ希望が残っているうちに、掠れた喉を痛めつけるみたいに、思考を言葉にしてみる。そんな夜。

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映画レビュー

048 「君たちはどう生きるか」(2023)

<基本情報>

宮崎駿が、監督、原作、脚本を務める。 タイトルは、吉野源三郎の著書を借りたもの。 公開初日まで、作品に関わる情報を出さず、異例の宣伝スタイルをとる。 にもかかわらず、興行収入は好調の出足。

★ ★ ★

 映画レビューから遠のいていたけど、この作品を観て、久しぶりに書きたくなった。もちろん、これから映画館に足を運ぶ人もいるだろうから、ネタバレはしない。だから、ぼんやりとしたことしか言えないけど。観終わったあとに、面白いと僕は思った。もちろん、好みはあるので、様々な意見があると思う。それが、真剣にクリエイトされたものなら、なおさら。

 この作品を語るには、なぜ僕らは、絵を描いたり、音楽を奏でたり、小説を書くのかという問いを背負わなければならない。いうなれば、フィクションの形を借りて、何を表現しようとしているのか。この社会のここが、変だよねとか、死んでしまったら、たぶんこういう世界に行くんだろうとか、漠然としたイメージが無意識のなかにある。その姿を、具体化するのが、ある種の意味だと僕は思っている。

 それを意識的にできる作り手のひとりが、宮崎駿という人間だ。もちろん、エンターテインメントとして、成立しているのが理想である。今回の作品は、やや僕の思う意味を重視して、彼の描きたい世界が、ふんだんに盛り込まれ、観客を置き去りにしてしまうかんじは、たしかにある。でも、それでいい。そういうのが見たかったという人は、少なからずいるから。きっと、この先も、愛される作品になるにちがいない。

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日常・コラム・エッセイ

過去が過去になるのには、少なからず多少の時間が必要なようだ

 新しい仕事に就いて、約1ヶ月が経った。少しずつリズムを掴み始め、僕はこなさなければならないことを、順になしていく。そんなに難しい内容でもないから、あと少しすれば、全体を理解しながら、個々の作業に没頭できるはずだ。

 人生は、不思議だなと思う。前の職場にいた自分こそが、自分だと思っていた。でも、今は環境が変化して、新しいことをしながら、生活している。ここで僕が思ったのは、仕事が何であるのかと、自分が何者であるのかは、関係しているのかということなのかもしれない。

 そんなことを考えても、結局、日々、労働者として、お金を稼がなければいけないのだけど。でも、お金を払えば、人を雇えることとか、利益を追求していかなければ生き残れない資本主義とか、当たり前になっている仕組みに対して、あれやこれやと文句を言いたくなる。どうやら僕は、ややこしいタイプの人間らしい。

 とりあえず、無力な僕がここにいる。落ち着きのない社会から、振り払われそうである。きっと、排除されたところで、必至になってしがみつこうとすることの馬鹿馬鹿しさに、気付くだけだ。だって、世界は、向こう側にあるんじゃなくて、常に周りに飛び火していく縁のなかに存在しているから。僕が投げた優しさは、いつか僕に舞い戻ってくる。

 何も知らず、ただお前はなんの役にも立たないから、ここにいるべきではないという声に抗っていた。でも、そんな時期は、無音に、そして無意味に、過ぎ去っていく。どうやら過去が過去になるのには、一定の時が必要なようだ。そのタイムラグは、大人になるにつれ、大きくなっているように感じる。以前の無垢な僕にたいして、どんなメッセージを伝えなければいけないのか。それが、全くもって、答えの問いかけみたいに、分からないのだ。

 ここから発信されたセンテンスは、海の藻屑になって消え去っていく。でも、それでいい。ただ、爪痕を残そうとして、あるいは、心を繋ぎとめておこうとして、精一杯に歩く僕は、まだ未完成だから。いつか、僕の思考があなたに届けばいい。そんな夜は、月が綺麗に輝いていることを、切に願う。

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