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心情

本音

ほんとうのことを言えば、働きたくない。
だけど、どこからか命令がくだる。
よき労働者であれと。

なにもしなくても、暮らしていける社会が、もっとも進んだ現代じゃないかと、勝手に思っている。
ここで、ベーシックインカムを持ち出すことが、適しているのかどうか、分からない。
(それについて詳しいことを知らないからだ。)

経済成長しなければ、みんな不幸になってしまう。
けれど、成長しなければ、生きていけないことの方が、不健全だ。
僕らが、進んでいかなければいけない方向。
それは、感受性や知性を深めて、より奥に、内部に向かっていくことだ。
簡単にいえば、朝、太陽が昇ることで、幸福を得られる。
そんな自分でありたい。

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映画レビュー

039 「バジュランギおじさんと、小さな迷子」(2019)

<基本情報>
2015年に、インドで公開され、またたくまに、世界中でのヒットにつながる。
主人公・パワンを演じるのは、俳優として、人気の高い、サルマン・カーン。
監督を、カビール・カーンが、務める。
インド映画における、世界興行収入の歴代、第3位を誇る。

 「正直者が、馬鹿をみる。」という、言葉がある。悪賢い人間が、得をし、かえって、真面目な者は、損をすることだ。そんな世界は、嫌だと、あなたは思うかもしれない。だけど、現実は、きれいなことばかりではない。不条理で、あふれている。ときに、誠実であれば、あるほど、苦しむことになる。だから、せめて、映画の世界ではと、救いを求めてしまう、僕がいる。主役の青年・パワンは、底抜けに、お人好しだ。そのことで、事情が、ややこしくなる。だけど、一貫して嘘をつかない人柄が、たくさんの人の心を動かし、それが、大きなうねりとなって、ストーリーを、盛り上げる。

 インドという国は、不思議だなと思う。例えば、人口が多いという、印象がある。なにをもって、あれだけ、たくさんの民衆が、ひとつのまとまりになっているのか。異なるカーストや、宗教が、混在していて、一見、多様性を帯びている。だけど、そのなかで、統一された営みを続けている。一度、バランスを崩すと、崩壊に向かうリスクを抱えつつ、まとまりを維持している。その神秘性に、世界の人々は、惹かれているのかもしれない。

 この作品のテーマは、宗教である。インドとパキスタンの、永きにわたる対立は、そんな簡単に、取り除くことはできない。異教徒に対する弾圧、偏見は、憎しみとなって、あぶり出される。だけど、この作品では、そんな両者の紛争状態を、小難しく、語ろうとはしない。なによりも、大切なことは、「愛」だと叫び、それが、争いをなくしていくと信じる。その展開は、あざといとさえ、思うかもしれない。だけど、それでいい。この映画を観て、感動し、涙をながし、目に見えない絆を、大切にしようと考える。そんな人間の、単純なところが、愛おしくなる。それが、作り話の、醍醐味だ。

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心情

心情を、吐露する

限られたお金で、最大の効用を得ようとする僕ら。
とうてい、手の届かない値札の貼られた、高額な商品。
つい、それを手にすることが、幸せだと、考えてしまう。
だけど、ほんとうは、数字では、はかれない価値を見出せばいい。
そこから、見えてくる、人のつながりの重要性。
拝金主義に、さよなら。

コロナウイルスで、大変な時期ですが、乗りこえていきましょう。#stay home

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favorite song

ダブル・スタンダード

生活のなかに

根付く

華々しい

出来事。

セックス、笑い、娯楽、歌。

他者との

やりとりによって

生まれる、歓び。

自然に触れて

わき起こる

癒し。

それら

全てのさきにある

エクスタシーが

中毒になっていく。

安田レイの「through the dark」。

享受しうる

できるかぎりの

資源を

むさぼり食らう。

その裏に

ひそむ

搾取、貧困、無限的な消費。

異なる基準で

引かれる、境界ライン。

ありふれた

ダブル・スタンダードが

概念を

分断していく。

僕らの

世界は

まるで

ひとつに

繋がっているかのようだ。

断固として

暴力に立ち向かう。

まだ

捨てきれない

淡い

希望のために。

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詩的表現

テレオノミー

僕たちは

何に

魅せられて

この時代を

生きているんだろう。

「自由」であることの、意味。

束縛されず

思うがままに

なすことを

望んでいる人間を

見たことがない。

独裁者に

喜んで

服従していく

民衆。

テレオノミーからの

脱却を試みて

気付く

「自由」の不自由性。

人生の目標を

見失ったときに

訪れる

不安。

敷かれたレールを

従順に

なぞる日常。

宙に浮いた

自我が

寂しく

泣いている。

目的が

ないことを

恐れるな。

ただ、生きる。

それが、望みだ。

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favorite song

アクチュアル

夢と

うつつの

あいだで

置き去りにされる。

その場所で

僕は

いつもと

変わらず

口笛を

ふく。

相対と

絶対の

比較。

アクチュアルなことについて

語るときに

必要な

イマジネーション。

自分の

立ち位置を

見誤ったときに

生じる

誤差。

ここぞとばかりに

襲いかかる

批判の目。

現実を

生きるのに

疲れたなら

休めばいい。

朝の散歩のときに、テンションをあげる曲。

Allie Xの「Sanctuary」。

変化していく

趣味や、嗜好。

それに

ともなって

確立されていく

無意味な

虚勢心。

変わることが

怖い。

純真無垢の

僕は

もういない。

できるかぎり

誠実でありたいという

愚かな

望みを

青い空に

託す。

終わりゆく

春を

惜しみながら。

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映画レビュー

038 「WEEKEND ウィークエンド」(2019)

<基本情報>
2011年に、イギリスで制作された作品。
監督は、「荒野にて」「さざなみ」の、アンドリュー・ヘイが、務める。
2人の男性の、距離が近づいていく過程を、繊細なタッチで、描く。

 「エモい」という言葉がある。英語の「emotion」が、形容詞化したものらしい。どういうときに使うのか、あまり分からない。だけど、この作品を、一言で、表現するなら、そのワードだと思う。全体に流れる雰囲気が、いちいち、感情に訴えかけてくる。仕事におわれながら、孤独に過ごす毎日。気兼ねなく過ごす、友人同士でのパーティー。心が浮つく、週末。どの時間も、間違いなく自分なんだけど、それぞれでわき起こる、ことなる感情や、心情。その微妙な変化を、軽やかに、映し出していく。

 自分に自信を持てず、内向的なラッセル(トム・カレン)。それとは、対照的に、ゲイであることを、隠さないグレン(クリス・ニュー)。いっけん、相性の悪そうな2人が、同じ時間を過ごしていくうちに、お互いが、何を大切にして生きているのかを、知っていく。マイノリティーへの、偏見や差別を、なくそう。だけど、なぜ、それらの行為を、してはいけないのか。その理由を、理屈ぬきで語る。それを、さらっと積み上げていく、ラディカルな視点が、垣間みられる。

 男性同士の、恋愛。それについての、イメージは、ひとり一人、違うと思う。肉体関係だけの、つながり。あるいは、プラトニックのような、精神的な結びつき。だけど、例えば、異性同士の恋、女性同士の恋との、相違点を、言葉で、定義するのは、とても困難だと、思う。たぶん、どの場合にも通ずる、人間の奥に潜む愛情。お互いの性質を、尊重し、理解していく行為は、自分自身を、変えていく。この映画は、あたり前のように、出会いと別れを繰り返す、僕らの普遍性についての、物語だ。

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映画レビュー

037 「真夜中のパーティー」(1970)

<基本情報>
オフ・ブロードウェイで、注目を集めたステージを、映画化。
原作者のマート・クロウリーが製作、脚本を担当。
監督は、ウィリアム・フリードキンが、務める。
原題は、「The Boys in the Band」。
国内では、白井晃が演出を手掛け、安田顕(TEAM NACS)が出演する舞台「ボーイズ・イン・ザ・バンド~真夜中のパーティー~」が、2020年7月から、上演される。

 いまでこそ、LGBTをテーマにした作品が、メインストリームに、登場する。けれど、当時、アメリカでは、同性愛が、法律で禁止されており、間違いなく、それはタブーだった。そんななか、今作は、同性愛者の心理を、ごまかさないで、逃げずに真っ向から、描写していく。作り手側の、覚悟が、伝わってくる。自分の性的指向を、ときには、否定してしまったり、かと思えば、おなじゲイの友人と、ジョークを言って、笑い話にする。そういう風にして、生きる術を、獲得していく。

 これは、会話劇だ。友人のために、催された誕生日パーティーに、集まったホモ・セクシュアルの仲間たち。彼らが、繰り広げるやりとりは、終始、張りつめている。そして、事態は、思わぬ展開へと、連なっていく。中盤に、あるゲームが、行われる。これまでで、最も愛した人に電話をかけ、愛の告白ができたら、高得点となるルールに、息をのむ。最初に参加したバーナード(ルーベン・グリーン)が、「自尊心が奪われる。」と吐き捨てる。それは、このゲームの恐ろしさを、物語る。

 あえて、差別的な表現が、含まれる。黒人やユダヤ人にむかって発する、辛辣な言葉は、気心の知れた友人同士だからだろう。そんなこと言ったら、相手を傷つけてしまうんじゃないかと、観ている側は、どきどきする。でも、怖気づかず、はっきりとした口調で、返答していく様に、安心する。マイノリティーとして生きていく不安、それに伴う孤独や、疎外感。それらを乗り越えていく人間の、力強さ。涙に暮れるときもある。でも、そんな風景を重ねてきて、今があることを、証明する作品だ。

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自分のこと

アポリアからの探求

 自分が、何者かについて、考える。もしかしたら、優しいやつかもしれない。あるいは、臆病者かもしれない。結局は、よく分からない人間ということで、落ち着く。日本人であること、男性であること、健常者であること、とくに、選んだわけでもない属性が、<私>という存在を、説明する材料みたいだ。だけど、ほんとうは違う。個性というものは、もっと複雑で、一言では言い表すことのできない賜物なのだと、僕は、思う。

      ★     ★     ★

・否定から、はじめる
 「不適切な発言をして、申し訳ありません。」テレビのなかで、誰かが謝罪している。それは、だれに向けられた言葉なんだろう。電波にのって、発信されるメッセージは、空虚となって、消えていく。知らぬ間に、相手を傷つけてしまったなら、誠意をもって詫びればいい。失敗を、償えばいい。人間は、完璧じゃない。優位にたちたいとか、賢くみられたいとか、雑念まみれだ。そもそも、僕らは、くそな大人だというところから、出発する。否定から、はじめることで、ぎすぎすした社会に、風穴をあける。それは、品行方正とされる言論への、アンチテーゼだ。

・よく、分からない
 内なる、性的欲望が、誰かを、不快にする。だから、それは、隠さなければいけない。けれど、心のなかの願望までは、規制できない。とめどなく湧き出る衝動は、抑えられない。どこまで、性について語ることが、許されるのか、正直、分からない。僕は、ゲイ・セクシャリティーだ。(端的にいって)男に欲情する。それを、ところかまわず、相手に伝えれば、(当然のことながら)気持ち悪いんだと思う。たぶん、女性は、たえず、そんな気持ちに、さらされている。予期せぬところで、性的な目で見られることの、嫌悪感。それを声にだすことは、この社会を変えていく種になる。

    ★    ★    ★

 一貫して、僕らは、愚かである。「人間とは、良識を失った動物である。このように動物たちは人間を批評しているだろう。」ニーチェの言葉だ。資本を、増大することを目的として、民衆の命を軽んじるやからが、いる。戦争をすることで、金儲けしようとする連中が、いる。現代社会における、矛盾や難題にたいして、理論的に向きあえば、どうしても、立ち往生を余儀なくされるかもしれない。だけど、アポリアからの探求を、続ける意志が、世界を塗りかえていくはずだ。

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映画レビュー

036 「メランコリック」(2019)

<基本情報>
映画製作ユニット「One Goose」による、第一弾目となる作品。
第31回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で、監督賞に輝く。
監督は、田中征爾が務め、新人とは思えぬ、技巧に長けた演出をみせる。

 タイトルや、醸し出す雰囲気が、まず、その作品の顔になる。「メランコリック」という言葉の意味について、考えたところで、なにか答えに辿り着くとは、思えない。たしか、この前、読んだ本のなかに、そんなワードが、散りばめられていた。とても、重々しく、深い用語として。(内容については、なぜかすっかり忘れてしまったけど。)それで、僕は、この映画を観ることになる。私達と、物語をつなぐものなんて、所詮、そんなものだ。だけど、複雑で、愛おしい出会いになることがある。

 近所にある銭湯は、夜になると人を殺す場所として、貸し出されている。異色な設定だけど、そこから、どんな展開になるんだろうという、興味を、観る側に、持たせる。名門大学を卒業し、アルバイトをしていた主人公、和彦(皆川暢二)は、そこで働くことになる。優秀な大学をでたならば、いい会社に就職をして、幸せにならないといけないのか。彼が、そう話すシーンがある。生きるうえで、それぞれが何に価値を見出すのかは、自由だ。それは、たぶん、各々に降り掛かる難題で、だけど、その問いかけが、暮らしに、彩りを加える。

 僕らは、たえず憂鬱な気持ちを、抱いている。なにか特別に悲しいことが、あったわけでもない。だけど、目の前に立ちはだかる人生は、なぜか、悲しみでいっぱいだ。ときには、幸せな気分が、訪れる。それは、ほんの一瞬で、時間が経てば、何事もなく、いつもと変わらない日常に舞い戻る。埃まみれの、泥くさい日々。だけど、なにものにも代え難い。それとは対照的な、バイオレンスな要素を含みながら、描かれる世界は、なぜか、哀愁をも、生み出していく。