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日常・コラム・エッセイ

重たい石が、心をふさぐ

 あのとき、僕はどうして、嘘をついてしまったんだろう。嫌われるのが怖かったからかもしれない。もう好きじゃなくなったと失望されるのを恐れたんだろうか。いずれにしろ、その明白ともいえる空虚な嘘は、やがて、大きな溝になることくらい、分かっていたつもりなのに。コミュニケーションは、いつも一方的だ。一度相手に投げかけた言葉は、もう二度と返ってくることはない。

     ★      ★      ★

・愚かさ
 つい最近、約1年ともにしたパートナーと別れました。非常に私事なんですが。学生のときに、ゲイ男性のブログを読みあさっていた時期に、こんな内容の記事を何度か目にしていたけど、まさか自分が書くことになるとは、つゆ知らず。でも、たぶん、どこもかしこもありふれたお話です。親しみを感じて、お付き合いすることになり、やがて時が経ち、別の人生を歩むことを決める。大人になっても、やってることは、高校生と変わらないのが、僕の最も愚かなところだ。

・薄まっていく、関係性
 相手の東京への転勤が大きな要因だったんだけど、それがなかったら、僕らは付き合い続けていたんだろうか。たぶん、いずれにしろ、終わりが近い関係だったんだと思う。付き合った当初は、毎週のように会い、いろんな話をして距離が縮まっていくのを楽しんでいた。やがて、会う頻度が少なくなっていって、お互いの存在を特別に感じる瞬間が減っていった。

・ずれる
 思えば、最初から、僕らの関係は少しずつ、ずれていったのかもしれない。お互い、一人の時間も大切にしようとは話し合っていた。しかし、それなら2人で居る意味は何なんだろう。そんな感情を、ひた隠しにして、ごまかしながらも、彼を好きだという気持ちを上から押さえつけて、うやむやにしていたのだ。きっと。

    ★    ★    ★

 もうこの年になって、恋愛のあれやこれやに、一喜一憂している場合ではない。別れにも、多少なりとも慣れているはずだ。それでも、すこし沈んだような、川の流れによって丸く削られた石が、心を塞いでしまうような重い気持ちになるのは、一向に変わらない。人間は、本当の底知れぬ絶望を、捨てきれない。馬鹿げたことだと分かっていても、やめることができない。雨の中の、すこしの晴れ間が、僕の理性を呼び覚ます。きっと、大丈夫と、語るように見えた。いつもと変わらない空なのに。

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favorite song

恋愛なんて、分からない

誰かを特別に思う感情を、恋だという。

でも、すべて僕の中で起きる起伏は

誰にも説明しようがない。

ましてや、君の中で同じことが起きているだなんて

信じようがない。

この歌が、僕にささりましたので、紹介します。

ミュージックビデオの菅田将暉も、いい。

石崎ひゅーいの「ピリオド」。

恋愛なんて、分からない。

むしろ、理解しようとする行為じたいが間違っているのではないか。

この歌のように、相手を思えれば、きっと変わるなにかがあるはずだ。

恋をして、うきうきする気持ちは、お金をだして買えない。

君と出会ったタイミングや、そのときのエモーションがすべてなんだよ。

不思議で満ちあふれている世界の出来事において

きっと恋愛は、ありふれたものかもしれない。

でも、だかろこそ、生きることが無駄ではないと思わせてくれる作用がある。

底辺で暮らす僕でも、恋をするんだぜと

胸を張って叫べばいい。

それが馬鹿にされようが、構わない。

どんなに無様でも、生き抜いてやろう。

ここにある、心もとない衝動と一緒に。

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映画レビュー

006 「ダンケルク」(2017)

<基本情報>
クリストファー・ノーラン監督が、初めて実話を基に描いた作品。
第2次世界大戦時、史上最大の救出作戦と言われる「ダイナモ作戦」が主軸となって展開される映像は、迫力満天。
フィオン・ホワイトヘッドは、監督に大抜擢され、初の映画出演を果たす。
第90回アカデミー賞において、作品賞など複数の候補にあがる。

 これは、戦争映画だ。率直に言って。だからといって、戦火を交えることを賞賛したりはしない。ただ淡々に、かつて国と国が、利権を奪い合っていた事実を、いろんな時間軸で描く。そこで生きる個人が、どんな思いで生き抜こうとしていたか、あるいは、どんなに悲惨な状況でも、人間らしさを失わないでいたかを、スケールの大きい世界観のなかで、細かく再現されている。

 僕は、戦争を知らない。飢えた経験もないし、国のために自らの命を捧げる覚悟もない。上空から爆弾が落ちてくる恐怖を味わったこともないし、とんでくる銃弾をよけてひれ伏したこともない。だからといって、自分とは関係のない出来事だから、考える必要はないとは思わない。だれだって戦争はしたくない。人が死なない方がいいだろう。当時の人たちもそう願っていたにちがいない。でも、闘いの火ぶたは切られた。その真実は、深くこの胸に焼き付けなければならない。

 グロテスクな映像や、血がいっぱい出る残酷なシーンは、僕は苦手だ。でも、そんなことではすまされない行為が、往々にして繰り広げられた真実は、今を生きる僕たちは知っておくべきなんだと思う。知ったからといって、何かが変わるわけではないと、あなたは思うかもしれない。だとしたらこの映画を観るべきだ。観終わったあとに、他人を傷つけることの意味や、生きていくことの人間の執着について、考えたなら、たぶん、この作品の製作陣は、報われるだろう。

 もうすぐ、夏が来る。なぜかこの季節は、緊迫した気配を感じる。かつて、交戦した兵隊たちも、同じ暑さに汗をかいたんだと想像する。戦後70年を越えた日本に住んでいれば、戦争について考えなくても、暮らしていける。戦争について語ることは、困難かもしれない。でも、世界には、難民が大量に溢れ、行き場をなくした人たちがいる。空爆におびえながら夜を過ごす彼らがいる。クーラーの効いた部屋で戦争映画を観る僕たちが、考えなければならないのは、その危機感についてだろう。この映画が、語るべき神髄は、そこにある。

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思考

愛について

 愛も、いつかは朽ち果てる。僕らの間を結んでいる、不安定で、実体のない、奇妙な輝きとも言える関係性は、時とともに、怪物の心臓のような、グロテスクなものに変化していくかもしれない。綺麗なものだけを目に映していくという習慣は、いつのまにか、暴力的な人間性さえも、排除していく。
 でも、忘れるな。誰かを傷つけたくて仕方ない衝動も、保持する強大な権力を行使したくなる願望も、まっさらな大地に捨てることはできない。いつかは、牙をむく人間の破壊行動は、世界を混沌へと導く。いま、もし手にしている平和が、かけがえのないものの正体だと気付いたならば、僕らは、それを絶対に手放してはならない。

    ★    ★    ★

・浮上する力
 ここから、浮上する力が欲しい。どん底とは言えないまでも、今いる場所に、完全に満足している人間が、どれほど居るのだろう。少なからず悩みを抱えている。別に、すべてをぶっ壊したいとか、自分自身を不必要に追い込みたいとは、考えていない。でも、成功者への妬みや、自分とは噛み合ない人間(それが、健常者や障害者だろうと)への不快感は、まったく持ち合わせていないというのは、嘘になる。

・人間の種類
 はたして、人間とはいくつかの種類に分かれるのだろうか。そんなの人間は1種類しか、存在しないよと、あなたは思うかもしれない。人種、暮らし、ジェンダー、性的指向、国籍、それぞれの異なる属性をもった僕らは、同じものを望み、同じ世界を築きたいと願うのか。お金持ちだけが、幸せに暮らす権利を持っていて、運悪く社会から排除され、不安定な暮らしをしているやつは、虫けら同然だとはねのける。しまいには、自己責任なんだから、貧乏はお前のせいだよ、風俗嬢だって自らあなたが選んだ職業だと言う。そんな社会は、いっそのこと、宇宙の散りくずになればいい。

・他者の合理性
 ようは、僕たちが成さなければならないことは、どこまで他者を理解できるかを見定めることだと思う。「理解するのなんて不可能だ」と、口を揃えて言う。でも、ちょっと待って欲しい。あなただって、私達と同じ立場になれば、同じ行動をとるはずだ、そこにはひとつの合理性ともいえる真実がある。それは、れっきとした理解の一つではないか。人間は、どこまで自分たちのことを決めていいのか。その判断は、たぶん神様じゃないと分からない。とりあえず僕の中の、不安や絶望が、他の誰かにも通ずるものがあると信じたい。みな、傷つけば、そこから赤い血がでるのは、同じはずだ。

   ★     ★     ★

 身内ではない知らない人たちへの不信感は、たぶん消えない。そう思うのが、人間だから。たとえ、そうだとしても、別に構わない。気持ちを共有する、相手の痛みを知る、背負っているものの重みを想像する、社会の複雑さを考慮する。そうやって、なんだかんだやっていけるのではないか。いちからすべて理解する必要はない。ただ、あなたがそこに居ることを推し量る。それだけで、世界は輝きだす。

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favorite song

異世界

Mrs. GREEN APPLEの「soFt-dRink」。

何回もリピートしたい。

クセになる。

音楽には、ほんの5分のあいだに凝縮された密度の濃いストーリーが展開されている。

小説を読んだり、映画を観たりするのとは、また違う。

でも、たしかに、こことは違う世界に連れていってくれる。

もし世界が複数、存在しているならば、

今、僕がいるこの場所は、いったいどんな風合いを持ちえているのだろう。

ただ、とてつもない大きな社会を目の前にして

自分とはいったい誰なのかを

問い続ける日常は

ある種の牢獄に閉じこめられたようなもんだ。

それでも、無意味な今が、ただ漠然として続いていく。

生きることは、死んでいくことなんだよ。

あるいは、死んでいくことは、生きることだ。

相反する影響を及ぼす言葉は、

今日も雑踏のなかに消えていく。

まるで、青く光る魂みたいに。

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映画レビュー

005 「ポエトリーエンジェル」(2017)

<基本情報>
若手個性派俳優・岡山天音と、モデルとして、女優でも活躍する武田怜奈を主演に起用。
お互いのフレッシュな演技が、作品を盛り上げる。
あまり馴染みのない「詩のボクシング」というスポーツを通じて、若者の成長を鮮やかに描いている。
監督・脚本・編集は、気鋭の飯塚俊光が務める。

 リングにのぼり、自作の詩を読み上げ、観客により強く思いを届けたほうが勝者となるスポーツが、実際にある。僕は、そんな競技を、知らなかった。でも、一度、観てみると、案外興味を引く。映画に登場する各キャラクターが、思いのたけを叫ぶシーンは、どことなく不安定さを持ちながらも、しっかりと最期まで役を演じきる気概が、感じられる。

 人前で、自分が作った文章を声に出して表現するのって、どんな気持ちなんだろう。もちろん、恥ずかしいっていう思いもある。でも、僕らの人生には、ここぞというときに、声を出して主張しなければならない事柄が、存在する。この作品は、その初期衝動をうまく捉えた形だ。

 普段、言えない思いを抱え込んでいる人にはもちろん、観て欲しい。田舎で暮らす青年が、「俺だって、夢をみたいんだよ。」と父親に泣きつくシーンが、胸にささる。あなたが、あたり前に手にしている、可能性や、思い描く夢や理想は、一部の人にとっては、藁をもすがる思いで獲得したいものかもしれない。

 僕は、映画を見終わったあとの余韻が、凄く好きだ。そこには、まだ消化しきれない様々な感情がいりまじる。あのとき放たれた言葉の裏には、実はこんな考えが根底にあるんじゃないだろうかと想像してしまう。でも、この作品は、思ったことを素直に届けることの、崇高さを教えてくれる。夏が始まるこの時分にぴったりな雰囲気を纏った青々しさが、際立つ。

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詩的表現

狂気

真実なんて、ありやしない。

全ては泡のように消え去っていく。

僕には、聞こえる。

「お前なんて、いてもいなくても変わらない。いっそのこと消滅すればいい。」

それは、ただの病気だよと、あなたは言う。

医学的なカテゴライズで、安心しようとする、現代人。

それで、正気に戻れるなら、よしとしよう。

病と健康の境目にいる僕は、どこか冷静だった。

人間は最も愚かな生き物だと、賢者が語る。

だれもが、狂気のさたで、自分は正常だと思い込んでいる。

突然にやってくる虚無感は、

それぞれの命の無価値を証明する。

だから、なにも手に入れなくていい。

地位も、名声も、信用も、

手放してしまえ。

そこから、始まる人生がある。

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詩的表現

沸き上がる感情

表現というものは、とてもあやふやだ。

誰かを傷つけてしまうかもしれない。

その言葉は、今日も波の彼方に沈んでいく。

最果ては、途方もなく遠い。

纏わりつく邪心をはらって、あなたの元へと

飛び込めればいいのに。

曖昧な孤独は、くっきりとこの空間に線を描く。

沸き上がる感情の、出所を伺い知ることができない。

でも、とめどなく流れ出るそれは、

希釈されたガスみたいに

環境を破壊していくみたいだ。

いっそのこと秩序構造さえも、

変えてしまえばいいのに。

社会についてなにか言及しようとしても

僕はすでに社会の中に包括されてしまっている矛盾は

いつも、拭いきれない不安を浮き彫りにする。

未来を予測することなんて不可能なのに

どうしてだれも気付かないんだろう。

静寂があたりを包み込む。

今日も、あたり前のように

夜がやってくる。

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詩的表現

エゴイズム

居場所がない。

でも、涙はでない。

社会不適合者だと、だれかが罵る。

すべてを壊したいなんて思わない。

ただ、ここに居ていいんだという確証がほしい。

それは、エゴイズムなんかじゃない。

テレビのなかで、もっともらしい正論を唱える政治家のほうが

よっぽど利己主義じゃないかと、あなたは思うだろう。

金持ちは、どんどん裕福になり、

貧乏人は、めいいっぱい苦労する。

格差社会と呼ばれて

いったいどれだけの月日が経ったと思っているんだよ。

もう僕らは、走り疲れた。

結局、自己責任という理論で、すべての口をふさぐつもりなんだろう。

名もなき人たちの声を集める時がきた。

どうせ民衆は愚かだと、たかをくくる指導者は

なにを成すべきなのかが、分からなくなっているにちがいない。

もっと、人間が好きになれますようにと、

遠い遠い空にむかって祈る。今までも。そして、これからも。

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映画レビュー

004 「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」(2017)

<基本情報>
監督は、ジャン=マルク・バレ。
演技派で知られるジェイク・ギレンホールを主演に迎える。
原題は、「DEMOLITION」(解体、分解)。
容姿端麗な妻を亡くした男の、心の再生を描いたドラマ。
劇中で使われている、ハートの「Crazy On You」など、音楽の効果も、作品に大きな幅をきかせている。

 突然、家族を亡くしたときの悲しみは、その当事者にしか分からない。そして、それを乗り越えていく手法は、確立されているわけではない。人は、突然訪れた不幸に対して、ただもがく程度のことしかできないのだ。この物語の主人公は、一滴の涙さえ流さない自分に戸惑いながらも、不器用だが、懸命に、起きてしまった事故に向き合おうとする。

 原題にあるように、彼は身の回りのいろんなものを、破壊していく。そうすることによって、心の在り処を見つけようとする。周囲の人は、狂気じみた行為に、怪訝な顔をするのだが、それくらいが、丁度いいと、僕は思っている。大切な人を失ってしまったときくらい、人は不合理になってしまっていい。ずっと、正常でいることの方が、狂っている。それを、この作品が、教えてくれた。

 自分自身を、ゲイだと自覚し始める年頃の少年が、登場する。彼との交流によって、主人公は、素直に生きる術を学んでいく。一目もはばからず音楽にのったり、幸せでいるには笑顔が欠かせないと諭すように、一緒に笑ったりする。たわいもないやりとりが、徐々に、自分の成すべきことを明確にしていく。

 いってみれば、これは、悲しみの感情を、表に出せない人への、あるひとつの答えとも言える。ありとあらゆる感情は、綿密に、心の中に溜まっていく。それを吐き出す術をもたないくらいに、不健康なことはない。「愛は、そこにあった。ただ、それを疎かにしていた」と、気付いていく人間の、清々しと、実直さは、観る人の心をわしづかみにする。