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思考

風の声を、聞け

 今、あるような、圧倒的な資本主義的世界において、少なからず、人々は、物質や数式、固定観念から、離れたところに、かたちにみえない、個人的な価値を、見いだそうとしています。だから、ひとつのフィクションとして、用意されている、小説の物語を読んだり、あるいは、音楽を、聞いたりしているのかもしれません。そして、できるだけ、独立した、個人でありたいと願っても、日本という国に住んでいるいじょう、国家や、文化からは、逃れることはできない。そんなジレンマを、抱えることになります。

 学術的な世界や、経済においても、大局的な視点で、意見を、述べることが、要請されます。歴史のなかに身を委ねて、自分の位置を、把握する想像力や、思考力が求められているからです。けれど、どんなに青臭いと言われても、個人的な視点に重きを置くことが、大切だと思います。物事の状況をより、正確につかむためには、ひとりひとりが感じる、ローカルの視点を、無視することはできません。

 1960年代の学生運動で、若者が大きな「体制」に異議を申し立てて、社会にメッセージを発信した。理想主義とまではいかないけれど、そんなふうに、希望を失わず、大志をいだくことが、もう一度、意味を持つような気がしています。風の通り道にたって、風を感じるのが一瞬のように、伝えたい想いを、誰かに、理解してもらいたいと思う時間は、人生の、ほんの一時期なのかもしれません。どこかの洗濯物を乾かしながら、世界の果てまで、いってしまいそうな、風の声を聞くのは難しそうですが、少なからず、理想と、現実を行き交うように、言葉を紡いでいきたいです。