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048 「君たちはどう生きるか」(2023)

<基本情報>

宮崎駿が、監督、原作、脚本を務める。 タイトルは、吉野源三郎の著書を借りたもの。 公開初日まで、作品に関わる情報を出さず、異例の宣伝スタイルをとる。 にもかかわらず、興行収入は好調の出足。

★ ★ ★

 映画レビューから遠のいていたけど、この作品を観て、久しぶりに書きたくなった。もちろん、これから映画館に足を運ぶ人もいるだろうから、ネタバレはしない。だから、ぼんやりとしたことしか言えないけど。観終わったあとに、面白いと僕は思った。もちろん、好みはあるので、様々な意見があると思う。それが、真剣にクリエイトされたものなら、なおさら。

 この作品を語るには、なぜ僕らは、絵を描いたり、音楽を奏でたり、小説を書くのかという問いを背負わなければならない。いうなれば、フィクションの形を借りて、何を表現しようとしているのか。この社会のここが、変だよねとか、死んでしまったら、たぶんこういう世界に行くんだろうとか、漠然としたイメージが無意識のなかにある。その姿を、具体化するのが、ある種の意味だと僕は思っている。

 それを意識的にできる作り手のひとりが、宮崎駿という人間だ。もちろん、エンターテインメントとして、成立しているのが理想である。今回の作品は、やや僕の思う意味を重視して、彼の描きたい世界が、ふんだんに盛り込まれ、観客を置き去りにしてしまうかんじは、たしかにある。でも、それでいい。そういうのが見たかったという人は、少なからずいるから。きっと、この先も、愛される作品になるにちがいない。

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047 「Mommy マミー」(2015)

<基本情報>
2014年、カナダ発。
第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に、出品され、審査員特別賞を受賞。
自身も俳優として活躍する、グザビエ・ドランが、監督を務める。
現在、同監督作品「マティアス&マキシム」が、公開中。

 ADHA(多動性障害)のある、青年が、登場する。その病気についてのすべてを、語ろうとするのは、たぶん、映画の役目じゃない。たぶん、障がいを、テーマにするならば、ナイーブにもなるし、繊細な描写が、必要になる。観る人に、誤解を与える表現は、避けるべきだ。いわゆる、健常者が、期待するようなエンタメに変容させ、それを消費する形は、誰しもが、望んでいない。けれど、架空の物語の中に、発達障がいに、向き合い、必死に未来を掴もうとする、彼らがいたことは、深く、観客の心に、刻まれる。そんなストーリーに、仕上がっている。

 その主人公である、15歳のスティーブを演じるのが、アントワン=オリビエ・ピエンだ。僕は、あまり、キャストのルックスに、魅せられることは、ない。それよりも、今までみたことのないような、稀な人間性や、オリジナリティーを、期待する。けれど、この作品は、やはり、彼の表情だったり、しぐさの、ひとつひとつが、キャラクターと、調和していく様子に、目がいってしまう。それくらい、見た目が、主張し、みずみずしさと、危うさを、併せ持つ、スティーブの、魅力につながっていく。

 そして、この作品の要になるのが、ドラン監督による、映像や音楽への、こだわりである。画面のサイズが、いつもと違う感じがする。終始、1対1の正方形の画角で、物語は、進んでいく。だけど、場面によって、縦横の比率が、変化していく。その演出が、スケールの大きい世界観をうみだし、開放感と、ダイナミックな意識の波を、もたらす。劇中に使われるカウンティング・クロウズの「Colorblind」という曲が流れるシーンが、印象的。ポップさと、苦境にたつ母と息子の、相反する景色から、鮮やかに、繰り出される愛は、観ていて、飽きない。

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046 「がんばれ!チョルス」(2020)

<基本情報>
2019年、韓国発。
監督は、イ・ゲビョク、主人公を、チャ・スンウォンが、それぞれ、務める。
原題は、「 Cheer Up,Mr.Lee」。

 この作品を、友だちと、鑑賞した。けど、それは、間違いだった。僕は、映画をみて、涙を流すことは、あまりない。さも、はじめから、大人であるかのような、勘違い。もう、分別はわきまえている、そんな、物語ひとつに、感情が揺さぶられることなんてない。いってみれば、ただの、かっこつけなのだ。そんな自分は、もろくも崩れさってしまう。人目もはばからず、号泣してしまった。友人に、泣き顔を見られるのは、なんとなく、恥ずかしい。

 同じ時期に、韓国の映画で、注目されていた「パラサイト 半地下の家族」と、共通することがある。それは、前半と、後半の対比である。導入は、どちらも、コメディ要素に、溢れている。観客は、こういうふうに、話が進んでいくんだなと、思う。それを、いい意味で、裏切ってくれる。その、豹変ぶりが、激しいほど、僕らに、もたらす、衝撃や、印象度も、比例して、大きくなる。

 難病と闘う、少女が登場する。その設定をみると、よくある感動ものだと、あなたは、思うかもしれない。だけど、それだけでは、この作品は、語ることができない。悲しみは、突然に、訪れる。それにともなう、予告は、誰もしてくれない。だけど、それを乗り越えていく力が、人間には、備わっているんだと、僕は思う。一人の力では、どうにもならないことが、社会の片隅で、見捨てられることなく、光をあびる。その光景は、なんともいえない、熱狂を生み出す。

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045 「 BOYS ボーイズ」(2020)

<基本情報>
もともとは、テレビ映画だったものが、大きな反響を受け、オランダで、2014年に、劇場公開にいたる。
第33回オランダ映画祭で、批評家賞など、2部門で受賞。
日本では、名作を発掘するフェスティバル「のむコレ3」で、上映された。

 相手に、好意を抱いていることに、気付く瞬間がある。恋とか、愛とか、あるいは、べつの呼び名なのかもしれない。その感情から、目を背けようにも、徒労に終わる。確実に、大人になっていく身体に、心は追いつかない。アンバランスな状態を保ちながら、必死で、前に進もうとする、彼らの姿は、思いのほか、眩しい。同性愛とか、ゲイとか、セクシュアリティーとか、それらの言葉から、わき起こる想像に、目を向けて欲しい。それが、拒絶だったり、嫌悪だったりとしても。この世界に存在する、人を想う、多様な形を、尊重できるように。

 主人公・シーヘル(ヘイス・ブローム)の家族が、織りなす生活は、物語に、アクセントを加える。兄のエディ(ジョナス・スムルデルス)は、不良っぽいところがある。思春期のころの、既存の枠組みを壊して、悪さをしてみたい衝動。ルールをただ、遵守することだけでは、味わえない感覚。そのせいで、父との、関係は、良好ではない。親子だから、うまくいくこと、そうじゃないことがある。それでも、うまくやっていこうと努める、懐の深い、父親の背中は、大きかった。

 80分の尺は、そう長くはない。だけど、そのなかに詰め込まれている、緊張や、感動は、まるで、永遠のようだ。画面ごしに流れる音楽、気の利いたカット割り、俳優らの瑞々しい演技。どの要素も、欠けてしまってはいけない、映画の一部分になる。これは、いわゆる、シーヘルとマーク(コ・サンドフリット)の、少年同士のラブストーリーだ。かと言って、その一言で、終わらせたくない。自分の気持ちを、押さえ込んでいたことを、認識し始め、本当に大切にしなければいけないことを、明確にしていく。人生における、大きな意味について、疾走感をもって、描き出していくさまは、たくさんのドラマで溢れている。

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044 「his」(2020)

<基本情報>
2019年にドラマで放映され、話題を呼んだ。
今作は、その出会いから、13年後を描く。
俊英の宮沢氷魚が、初主演をかざる。
Sano ibukiの「マリアロード」を、主題歌に、起用。
監督は、「愛がなんだ」の、今泉力哉が務める。

 変わりつつある、家族のかたち。ペットだって、大事な家族の一員になる。そんな時代に、同性同士のカップルが、子どもを育てるなんて、珍しくない。はたして、本当にそうだろうか。現実に、立ちはだかる壁は、そう低くはない。伝統的な価値観を、守ろうとする。知らずのうちに、自分のなかにある、偏見や差別。それを、乗り越えて、違いを認めていく勇気が、僕らには、あるんだろうか。揺れ動く社会のなかで、自分の居場所さえ、ままならない。

 結婚という制度によって、得ることのできる権利。それを、自覚している人が、いったい、どれくらいいるんだろう。愛し合った者同士が、一緒に暮らすことさえ、ままならない時が、ある。法律は、いつも平等を約束してくれるとは、限らない。享受できることが、あたりまえすぎて、無自覚になる。マジョリティー側の都合で、物事が進んでいく。少数派を、排除することで、安心を得ようとする。自分は、さも、公平さを保持しているかのように、振る舞う。だけど、言っておこう。あなたの中に、存在する憎しみを他人にぶつけても、なにも、変わっていかない。

 田舎で、男2人と、娘の空(外村紗玖良)の3人で暮らす様を、周囲の人が、受け入れていく。でも、いつまでも、うやむやにできない焦燥感が、当事者にふりかかる。同性愛者ということを、話す必要があるのかという声を、聞く。自分のセクシュアリティーに、誠実にあろうとすれば、説明を余儀なくされる。それを、受け取った側の、描かれ方が、印象的だ。人間味のある、奥深い優しさに溢れている。「多様性」を構築していくために、必要な寛容性について、たぶん、もう、僕らは、気付き始めている。

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043 「存在のない子供たち」(2019)

<基本情報>
2018年、レバノン発。
第71回カンヌ国際映画祭で、審査員賞ほか、全2部門で、受賞を果たす。
監督は、長編初となった「キャラメル」で、注目を集めた、ナディーン・ラバキーが、務める。
原題は、「capharnaum」。

 中東映画という、枠組み。国境は、たえず、僕らに重くのしかかる。世界は、あたかも、ひとつに、つながっているかのようだ。でも、ふたをあけてみると、まるで、社会は、いくつもの、セクターに、分断されている。そこで、暮らす人たちは、必ずしも、いいことばかりに、見舞われていない。現実に、目を背けたくなることもある。映画を観ただけで、何かを、分かったような感覚でいられるのは、楽観主義だろうか。それでも、問い続けるということを、やめないでいたい。そう思わせる力が、この作品にはある。

 日本で、生まれたなら、幸せで、貧しい国に、生まれたら、不幸なのか。「貧困」、「移民」という社会問題は、往々としてある。それを、テーマにした作品は、社会派とうたわれる。映画のジャンル分けに、どれだけの意味があるんだろう。だけど、ひとつ確実に言えるのは、本作は、娯楽作品とは、一線を画している。観終わった後の、不思議な脱力感。物語を、どんなふうに解釈し、心の中の、どの位置に、置き場所を定めようか、分からないのである。そんなふうに思ったのは、はじめてかもしれない。

 貧民街で暮らす12歳と思われる少年・ゼイン(両親さえ、彼の年齢を把握していない)は、出生届が提出されていないため、IDを持っていない。彼が、両親を告訴するところから、この物語は、はじまる。それに、至までの経緯を、実情を踏まえた展開とともに、つぶさに、描き出していく。うまくいかないことばかりだと、どうして、自分は生まれてきたんだろうと、感じる。ふさぎ込んでいるわけではなく、ただ漠然と思うのだ。厳しい状況を、目の前にして、彼は、子どもながらにして、それを、実感していく。その眼差しは、「命の始まり」に対する、疑念を抱かせるまでに、神々しい。

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042 「希望の灯り」(2019)

<基本情報>
2018年に、ドイツで公開される。
第68回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、賞賛を受けた。
旧東ドイツ出身の作家、クレメンス・マイヤーの短編小説「通路にて」を、映画化。
原題は「In den Gangen」。

 自分の好みが、はっきりとしないときは、とりあえず、手当たり次第、作品を観ることになる。徐々に、好きな監督だったり、肌に合う作風だったりが、明確になってくる。今作は、僕の欲する要素が、ふんだんに盛り込まれている。観終わった後に、こういう映画が、もっと作られればいいのにと思った。静かに、ストーリーが進んでいく。けれど、一つ一つのシーンに、重みがある。どのセリフも聞き逃したくないから、スクリーンに集中する。あっという間の、2時間だ。

 ベルリンの壁が崩壊したとき、僕は、まだ幼子だった。歴史の授業で、その事実について学ぶことになる。教科書に貼付けられた写真には、嬉しそうに、壁の上にたって騒ぐ人たちが、おさめられていた。そのとき、なぜ民衆が、そろいも揃って、喜んでいるのかが、分からなかった。歴史のうねりに、翻弄されながら、生き抜いていく力強い人間の逞しさや、繊細な心についてなんて、当時は、知る由もない。大人になって、少しなら、慮ることができる。たぶん、良いことばかりが、起きたわけじゃない。怒濤に変化していく社会に、なす術無く、あおられた人生が、そこにあったんだろう。

 旧東ドイツ・ライプツィヒ近郊の田舎町に建つ、巨大スーパーマーケットが、舞台だ。寡黙な青年、クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)は、新しい職場で、少しずつ仕事を覚え、周囲と打ち解けていく。それは、たぶん、どこにでもあるお話だ。それを、つまらないと感じるなら、この映画は、観ない方がいい。だけど、なんの変哲もない、遠い国の、何気ない日常に、心が締め付けられる。いっけん、物語は、暗いムードのまま、終わりを迎えるのかなと、思わせる。そして、かろうじて、希望の灯りを、残す。それは、ほんとうに、ちっぽけで、こころもとないものかもしれない。だけど、生きていくには、それで充分なのだ。

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041 「ヒトラーの忘れもの」(2016)

<基本情報>
2015年に、第28回東京国際映画祭コンペティション部門に出品される。
その際の、題名は、「地雷と少年兵」。
戦争の爪痕として、デンマークの海岸に残された地雷。
それを、取り除く使命を課せられたのは、ドイツの少年兵たちだった。
マーチン・ピータ・サンフリト監督が、史実をもとに、過酷な現場の様子を、えぐりだしていく。

 ナチス・ドイツを題材にした作品は、いくつもある。ヒトラー率いる帝国軍が、してきたことを、ここで議論するつもりは、ない。第二次世界大戦後においても、なお、それらの映画が生まれることの、意味や、成り立ち、関係性について、もっと見直されるべきではないか。この物語は、ただ単に、反戦を唱えているわけでなはい。人は、できるだけ、死なない方が、いいだろう。みんなが、そう思っている。だけど、現実は、違う。今日もまた、どこかで、なんの落度もない人間が、不条理に死んでいく。そのリアリティーを、映像を通して伝えていく。

 国家の指令によって、翻弄される、かけがえのない人生。消えていく命。歴史から、見えてくる、人間のなかに内在する暴力性。どれだけの個人の尊厳を奪っていけば、自らの行為を、改めることができるんだろう。映画を鑑賞して、心が和んだり、癒されたりする。そんな体験を望む人に、今作は、おすすめできない。その理由は、観れば分かる。どんな言葉でも、表現できない感情がある。胸が、えぐられるような、感覚を、植え付けてくるという点において、この作品は、他と一線を画している。

 ラスムスン軍曹(ローラン・モラー)は、ナチスに、強い憎しみを持っている。けれど、徐々に、その怒りをぶつける相手について、深く考え込むようになる。その変化していく心情を、見事に演じていく。戦争が終わっても、なお、人間に残していった憎悪。その思いは、これからを、生きていく者への「愛」へと豹変していく。戦争や、餓えを知らない、僕の書く文章が、行き着く先は、どこなんだろう。間違いなく、誰かを傷つけていたし、今も、そうなんだと思う。それを自覚して、記憶に残していく作業が必要なようだ。

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040 「僕と世界の方程式」(2017)

<基本情報>
2014年に、イギリスで公開される。
「リトル・ダンサー」の製作者、デヴィッド・M・トンプソンが手掛けた作品。
「ヒューゴの不思議な発明」「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」の、エイサ・バターフィールドが、主役を演じる。
監督は、様々なドキュメンタリーで、高い評価を受けている、モーガン・マシューズが、務める。

 主人公・ネイサンは、自閉症スペクトラムと診断される。周囲との、コミュニケーションが苦手で、母親との関係も、ぎくしゃくしている。こだわりが強く、素数を愛する彼は、たぐいまれな数学の才能を持ち合わせていた。発達障がいという言葉は、よく知られている。ひとむかし前は、そんな病気にたいする知識を持つ人は、極わずかだった。それが、当事者にとって、息苦しく、周りの理解を得られないのは、身を焦がす思いだったにちがいない。この映画によって、正しく分かっていく。僕らは、物語を通じて、世界を、変えていけるのだ。

 そして、彼は、恋をしていく。そこらじゅうにいる、なにも変わらない青年として。思春期に出会う、淡い初恋は、それまでの、世界の見方を、がらりと変えてしまう。もちろん、悩むこともある。だけど、徐々に、他人との気持ちのぶつかりあいに、歓びを感じていく様子は、観るものに、穏やかで、ほのかな衝動を、思い起こさせる。人生は、にがい出来事で、埋め尽くされていく。その反対に、けっして忘れることのできない感情に、巡りあう。段階的に、自分自身を肯定していく経過を、ハートフルに描く。

 数学の問題には、いつも「答え」がある。方程式を組み立てて、学んだとおりにすれば、いつか正解に辿り着く。けれど、生きていくことに、はっきりとした解は、存在しない。誰しもが、少しでもいいように、あるいは、幸せになりたいと願っているはずなのに、歩む道のりは、違う。だけど、それでいい。ネイサンが、自分の頭で考えて、試行錯誤した末に導いた行動が、間違っているとかの、批評は、無意味だ。ひとつ、いえることは、僕らは、絶えず、変化していく。思考も、考えも、心も。その中で、ほんとうに大事な、かけがえのない宝物を、手にしていく。そんな少年の瞳は、澄み切っていて、美しい。

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039 「バジュランギおじさんと、小さな迷子」(2019)

<基本情報>
2015年に、インドで公開され、またたくまに、世界中でのヒットにつながる。
主人公・パワンを演じるのは、俳優として、人気の高い、サルマン・カーン。
監督を、カビール・カーンが、務める。
インド映画における、世界興行収入の歴代、第3位を誇る。

 「正直者が、馬鹿をみる。」という、言葉がある。悪賢い人間が、得をし、かえって、真面目な者は、損をすることだ。そんな世界は、嫌だと、あなたは思うかもしれない。だけど、現実は、きれいなことばかりではない。不条理で、あふれている。ときに、誠実であれば、あるほど、苦しむことになる。だから、せめて、映画の世界ではと、救いを求めてしまう、僕がいる。主役の青年・パワンは、底抜けに、お人好しだ。そのことで、事情が、ややこしくなる。だけど、一貫して嘘をつかない人柄が、たくさんの人の心を動かし、それが、大きなうねりとなって、ストーリーを、盛り上げる。

 インドという国は、不思議だなと思う。例えば、人口が多いという、印象がある。なにをもって、あれだけ、たくさんの民衆が、ひとつのまとまりになっているのか。異なるカーストや、宗教が、混在していて、一見、多様性を帯びている。だけど、そのなかで、統一された営みを続けている。一度、バランスを崩すと、崩壊に向かうリスクを抱えつつ、まとまりを維持している。その神秘性に、世界の人々は、惹かれているのかもしれない。

 この作品のテーマは、宗教である。インドとパキスタンの、永きにわたる対立は、そんな簡単に、取り除くことはできない。異教徒に対する弾圧、偏見は、憎しみとなって、あぶり出される。だけど、この作品では、そんな両者の紛争状態を、小難しく、語ろうとはしない。なによりも、大切なことは、「愛」だと叫び、それが、争いをなくしていくと信じる。その展開は、あざといとさえ、思うかもしれない。だけど、それでいい。この映画を観て、感動し、涙をながし、目に見えない絆を、大切にしようと考える。そんな人間の、単純なところが、愛おしくなる。それが、作り話の、醍醐味だ。