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思考

束の間のかがやき

 人間が、物質的存在として、あり続けてる、世界においては、どのような神も、永遠の生命も、存在しない。僕らのさきに、待っているのは、やっぱり、死だという事実は、隠しようがない。やがて、土に還るときまでの一瞬のなかで、思考を、巡らしたり、誰かを、愛したりする不思議さを、僕は、忘れたくない。

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・近代的とは
 メディアでは、新しいムーブメントにたいしての、名称が、とりだたされる。なかでも、僕は、「孤独死」や「無縁社会」という言葉に、関心を、抱いた。人生の最後を、一人で迎える意味を、考え続けた。多くの人は、そんな最期を迎えるのは、悲しいと、捉えるだろう。でも、きっと、価値観は変化していくし、呼称だって、移り変わる。一人で死ぬことを、受け入れて迎える終わりを、「独尊死」と名付けた。一人でも、安心して死んでいける社会を、築いていくことが、近代社会のひとつの道なんじゃないだろうか。

・衝撃
 現代社会に蔓延る、悪にたいして、どう向き合っていくかを考えたすえに、釜ヶ崎という、日雇い労働者が、野宿して生活する場所に、足を踏み入れることになる。そこで、話を聞いていくと、誰しもが、現実的に、死について考えることは、困難だと話す。明日どう、生きればいいのかという、不安に陥っている、現状を、垣間みる。基本的に、生活に必要なことに不自由していない僕は、衝撃を受けることになる。

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 人生の、ある一定の期間くらい、ひとは、学ぶ時間が、あってもいい。なにかの、役に立つためとか、立派な大人に、なることを、目標にせず、ただ、自分の関心の、奥に、突き進んでいく。それは、豊かさの、象徴になりうると、僕は、思っている。
 みんなが、やがて死すべき者として、ここに今、出会っている、愛おしさは、どんな風にいえば、伝わるんだろう。人間の意識も、人類の全文化もまた、永劫の宇宙のなかでの、束の間の、かがやきにすぎない。