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030 「ハートストーン」(2017)

<基本情報>
第73回ベネチア国際映画祭など、世界の40以上の映画賞を獲得する。
アイスランドの雄大な自然を舞台に、思春期をむかえる人間の、瑞々しい感情をリアルに描く。
監督を、グズムンドゥル・アルナル・グズムンドソンが務める。
主人公のソール役は、今作で俳優デビューとなるバルドル・エイナルソンが演じる。

 大人になることは、避けられない。時が進む。それに、ともなう感情の変化は、否応がなしに訪れる。たぶん、性に目覚めていくころに、どんな友人と過ごすかによって、今後の人生に大きな影響を与える。意地悪なやつがいたかもしれない。弱者や変わり者を、虐めるやつ、あるいは、寛大な性格で、心の優しいやつ。それら、すべての人物が、自分の一部になって、混ざりあう。何をよしとし、何が悪いことなのかを、識別していく。いわば、正義の概念が、かたどられていく。その、刹那的な、一瞬の日常を、この作品は、映像化する。

 異国の文化や習慣を、目にすることによって、わき起こる、繊細な感覚。ビルに囲まれた都会空間で、育った者には、理解できない感性。今いる自分の場所を、より深く見つめ直していく作業が、必要とされる。映像美と相まって、増幅していく、他者への淡い気持ちを、明確に表現していく。少年たちの、澄み切った瞳にうつる景色は、どんな色なのかを、想像する。その頃にしか、味わえない体験をしていく彼ら、彼女らの姿は、観るものに、昔の記憶を思い起こす。いっけん脆いようにみえて、ときに残酷性が、垣間みられる幼い表情。それは、閉塞感が漂う、小さな漁村で、生きていくことの真実を、象徴する。

 金髪の少年・クリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)は、幼なじみである同性のソールに、惹かれていることに気付いていく。そのときの、息苦しさ、絶望、嫌悪感を、等身大の自然な演技で、表現していく。田舎町で暮らしていくこと、家族との関係、かけがえのない友情、それらすべてが、ゲイというアイデンティティーの確立を、困難にする。ずっと、なにも知らない子どものままで、いれたら、どんなに楽だったかと思う。うまくいくことばかりじゃない。傷つくこともある。それでも、必死で自分と向き合おうとするティーンエイジャーの姿は、まぎれもなく青春の全部だ。

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029 「永遠のこどもたち」(2008)

<基本情報>
2008年アカデミー外国映画賞の、スペイン代表に選出される。
製作を、「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロが、担当する。
今作が長編デビューとなる、J・A・バヨナが監督を務め、本国でも、多数の賞に輝く。
息子であるシモン(ロジェール・プリンセプ)に対する、母親の深い愛を、切迫感をもって描く。

 僕は、ホラーを好んで観る方ではない。怖いのが、あまり得意ではなく、なんなら穏やかな気持ちで、終わりを迎えたい。だけど、この作品は、優しい感触が、しっくりと心に爪痕を残す。まず、特定のジャンルに分けるのが、難しい。しっかりと、恐怖を煽る演出も含んでいる。だけど、それだけじゃない。ファンタジー要素や、スピリチュアルといった精神世界に誘う世界観もある。魂の行方を、模索していく。そんな、途方もない行為を、念入りに練られたストーリーとともに、描写していく。

 母が、子を想う。それは、一見ありふれた感情かもしれない。だけど、その奥には、人間の過去や、記憶が、眠っていることを思い知らされる。愛情に飢える者、溺愛されて育てられた子ども、横行する虐待、幾重にも重なる、親たちの複雑な思惑が、社会にのみこまれていく。どうして、他者を愛することは、願い叶わないんだろう。相手に、思いをぶつけるたびに、すかされる。まるで、自分の存在が、無意味に感じる。空虚に満ちた、尖ったナイフが、どこかでまた、誰かを傷つけていく。なんらかの救いを求める、亡者の声が、虚しく響きながら、命あるものに、伝言を送る。それに、明確な言葉は、いらない。

 死後の世界を、思い描く。僕らが、所属している社会によって、異なる思想は、いつか集約され、ひとつになるんだろうか。生きていくことに、苦難が立ちはだかる。それでも、死んでしまった先に何があるのかが、分からない。浮遊する思考たちが、埃みたいに、舞っている。そこに差し込む太陽の光が、恒久性を帯びているかのように、輝く。安心をもたらす答えは、一向にみえない。そこはかとなく、湧き出る悲しみは、たぶん尽きない。それなら、遠い記憶に秘められた母性に、立ち返る。きっと、そこは、子どもたちの、永遠の住処だ。

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028 「キンキーブーツ」(2006)

<基本情報>
イギリス発の、ユーモラスな作品。
良質な映画で評判の、ミラマックス・フィルムズが手掛ける。
ジュリアン・ジャロルド監督が、初の長編劇場として送り出す感動コメディーである。
「インサインド・マインド」のキウェテル・イジョフォーが、ドラッグクイーン役ローラを、熱演。

 観終わった後の、爽快感が抜群。不思議と幸せな気持ちになる。べつに難しいストーリーを追うわけでもない。暴力や、セックスが描かれているものでもない。だけど、人を惹き付ける魅力が、この作品には、ある。僕には、僕の視点が存在する。たぶん、それは、みんながみんな、同じではない。好き嫌いが、わかれることは、珍しくはない。すべての人間の感性を、網羅しようとする物語は、つまらないだろう。画一化されない、歪な価値。言葉にできない、不確かな差異。そのままの姿で、あなたは美しいんだと語る、彼らの奮闘は、観る人の心を掴む作用に、満ちている。

 とある靴工場の再起をかけたお話。ものづくりに携わる職人たちと、優柔不断な跡継ぎ、チャーリー(ジョエル・エドガートン)が、生き残りをかけて、懸命に、力を尽くす。資本主義が席巻する社会で、いつの間にか、僕らは、いかに、物を売るかばかりを、考える。少しでも利益を得ようとする貪欲な野心、労働者の不満、先の見えない不景気、降り積もる不安の先に待ち受ける未来は、まだ、みえない。その中でも、希望を見つけていく、逞しい人間は、優しさをかね揃えている。そこに、救いがあるんだと、教えてくれる。

 キンキー(kinky)とは、「性的に倒錯した」という意味をもつ。女装することは、いったい、彼らにとって、何を指し示すんだろう。田舎町ノーサンプトンに住む、工場の人たちの、ローラにたいする反応が、印象的。女性の格好をした、大柄な黒人男性。自分とは異なる性質をもつ、理解したくても、それに及ばない人間への、偏見、無理解、差別。LGBTという枠に、収まることによって、得ることのできる市民権。これまでの歴史における、マイノリティーの立場。いろいろ、言いたいことはある。そんな話を抜きにして、この映画は、人間の生きていく力、自分らしくいることの素晴らしさ、幸せになろうとする屈強さを、見事に、表現している。

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favorite song

春を、想う

この季節が

嫌いだ。

着実に

変わっていく

温度。

それに呼応して

めまぐるしく

急降下する

暮らし。

そして

何も変わらない

自分。

不安や

葛藤が、

うきうきと

つのっていく。

おだやかな

心持ちを

保ちたい僕は、

こんな歌を

口ずさむ。

よしむらひらくの「春」。

涙が

こぼれる。

人間の

機能が

正常である証。

はいつくばりながら

ひたむきに

集めようとする

希望は

見事に

指の

隙間から

こぼれていく。

悲しみを

ありのまま

受け入れるのは

くだらない。

いっそのこと

血が流れれば

いいのに。

退屈なのかも

分からない

日常は

雑然としている。

だから

ここに

印をつける。

孤独に

さいなまれ

自分の

居場所が

分からなくなった時は、

ここに

戻ればいい。

あなたにとって

豊かさは

何を

指し示すんだろう。

それが

明確になったとき

変わりゆく

時季が

味方になってくれる。

そんな

陽春を

僕は、想う。

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027 「マイ・フレンド・フォーエバー」(1995)

<基本情報>
多くの人が、涙し、彼らの友情に、心打たれる。
俳優としても活躍するピーター・ホートンが、初のメガホンをとる。
原題は「the cure」(治療法)。
主人公のエリックを演じた、ブラッド・レンフロは、25歳で、ヘロイン過剰摂取により亡くなっている。

 いつまでも、記憶に残る映画が、ある。僕にとっては、この作品が、それにあたる。ひとつの物語に触れて、泣くという行為にいたる体験は、とてもセンセーショナルだ。たぶん、スクリーンを前にして、涙ぐんでしまうほど、哀傷を感じるのは、よっぽどのことなんだと思う。だけど、無理矢理に、感情を揺さぶろうとは、しない。自然と、視界がにじんでしまう。そんな風に、俳優らの迫真の演技を交え、ストーリーが展開していく。

 かつて、HIVは、不治の病だった。エイズ患者にたいする差別も、存在していた。僕らは、どんなに正しい知識を得ても、未知のことに不安になる。病気や、属性を、理由に、排除しようとする態度に、いともかんたんに陥ってしまう。幼い頃にうけた輸血のせいで、エイズを患ったデクスター(ジョセフ・マッゼロ)もまた、孤独な人生を、送っていた。そんな彼に、舞い降りた出会いは、いつまでも消えない結晶のようだ。きれいであるほど、はかない定めをうける運命とは真逆みたいに。

 2人の少年はともに、父親のいない家庭に暮らすという境遇にあった。一方の母親は、病気の子に関わる我が子を、糾弾し、離れさせようとする。関係は、上手くいっていない。シングルマザーとして生きる苦難を、だれも理解しようとしない。そのもどかしさが、怒りになって、表出する。けれど、エリックは、決して、愛情に飢えていることを理由に、他人を傷つけたりしない。偏見をもたず、隣に引っ越してきた、難病を抱える少年と、交流を深めていく。

 デクスターは、自分の病気を受け入れつつも、どんどん弱っていく身体に、恐怖と悲しみを、感じている。子どもがもつ、やがて、おとずれる「死」への想い、感情。それは、ほんとうに観ていて、痛々しい。普通なら、悲観してしまう状況でも、ひたむきに生きようとする姿は、たぶん、どんな人にも、勇気を与える。僕らは、どうして、限られた命を、疎かにしてしまうんだろう。今という、かけがえのない時間の、鮮やかさを、浮き彫りにする。この映画は、まさにハートフルという言葉を、体現している。

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026 「重力ピエロ」(2009)

<基本情報>
第129回直木賞の候補となった、伊坂幸太郎の小説を、映画化。
監督は、森淳一が務める。
仙台で起きる、連続放火事件を軸に、家族が抱える謎が、解き明かされていく。
主題歌は、S.R.Sの「Sometimes」。

 特に、何もしない休日。だらだらと朝を過ごし、好きな時間に、飯にありつく。いつものソファーに陣取り、リビングのテレビに、目を向ける。カーテンの隙間から、日光が差し込み、少しまぶしい。飲みかけの水を横目に、タバコを燻らす。そのときに観る映画が、こんな作品だといいなと思える。世界には、面白い話を考える人がいるんだなと、感傷に浸る。次々と、生まれてくるストーリーと、変わりゆく季節。それと反転する、代り映えのない日常と、だらしない自分。だけど、空想の物語は、特段、それを責め立てることは、しない。むしろ、僕の救いになっていく。

 容姿端麗の春(岡田将生)の部屋が、印象に残る。雑然としているようで、一貫性のある嗜好。プライベートな空間を、好きな物で、埋め尽くす、狂気。自分のなかに、人とは違う異質な部分を、認識した時から、生きにくくなった。周りの人間全てが、幸せそうにみえて、どんどん取り残されていく。焦る感情とは、裏腹に、ときは、どんどん過ぎていく。なにかに縋らなければ、正気を保っていられない。それでも、彼は、ひとつの確信とともに、暮らしていく。ミステリーを好んで、観るわけじゃない。いちいち、頭のなかを整理して、展開を待たなければいけないもどかしさが、煩わしい。だけど、この作品は、静かな微熱を保ちながら、きめ細かい振動を、心に伝える。

 家族の絆について、考えざる得ない。春の兄の泉水(加瀬亮)は、大学院で遺伝子の研究をしている。家族への愛情は、血のつながり故の愛おしさなのか。2人の兄弟の関係性、程よい距離感、相手を思いやる気持ち、両親への思い、それら全てが、ひとつの線になって、事件の核心へと迫っていく。僕らは、たえず重力に縛られている。だけど、その重みを忘れてしまうくらい、楽しい瞬間がある。たぶん、それは、幼い頃に、家族と過ごした思い出の中に、潜んでいるのかもしれない。大人になっても消えない、その存在を、より明確にしてくれる役割を、この映画は、担っているような気がする。

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自分のこと

金星に捧げる、祈り

 人間の中身って、たぶん、くだらない。見栄や、欲望、嫉妬で、灰色に染まっている。ちっぽけで、卑しい自分だけど、なんとなく、折り合いをつけて、だまくらかす日常。私は、善人であるという奴の、嘘を、すぐに見抜いてしまう。僕に届く報せは、営業メールで、埋め尽くされる。金を持たない奴は、価値がないと諭すように、弱者を、排除していく。希望なんてない。この世界を、ぶっ壊してやろう。意味のない戯言が、無限の言葉の波に、のまれていく。

    ★     ★     ★

・なぜ多様性にこだわるのか
 安定か、冒険かの、2択しかないような錯覚。別に、平坦に生きればいい。普通に生きることの、難しさ。多様な在り方が、認められてしかるべきだという考えとは、裏腹に、異端児を遠ざける社会。LGBTというワードが、むなしく踊っている。それでも、僕が、「多様性」を、引っぱりだすのには、理由がある。
 それは、ゲイである自分にとって、死活問題だからだ。最適化された人間だけに、価値があって、子孫を残さない人間は、生きてる意味がないという、野蛮な思考に、立ち向かう。セクシュアリティーの話を避けて通れない。自分について話すことの恐怖。変なの、気持ち悪いねという、反応を前提にしないと成立しない会話ゲーム。もう、辟易としている。別に、優遇されたいわけじゃない。とりあえず、自分らしく生きることを、否定してほしくない。

・映画レビューで伝えたいこと
 大学を卒業して、8年経つ。それで、分かったのは、べつに就職しなくても、案外、死なない程度に、生きていけるということ。べつに後ろ指をさされるようなことを、してるわけじゃない。だけど、人生のレールから、外れる感覚。そこから、うまれる不安。知らぬ間に、洗脳されている、固定観念。こうあるべきだという規範は、相変わらず、機能しているようだ。
 貧富の格差が小さい社会、マイノリティーが生きやすい社会、多様性を認める社会、言葉で表すことは簡単だけど、実際にどうやって現実とするのか。映画に登場する人物は、いつもなんらかの問題を、抱えている。それを、可視化して、表現することで、発見できる視点がある。生きづらいと感じるあなたにとって、希望に変わる。それが、僕が、映画レビューをしている理由だ。

     ★     ★     ★

 どうせ、人生なんて、どう転ぼうと、地獄だ。立派な大人は、こうしなきゃいけないという呪いから、解き放たれる。勝利の方法なんて、それぞれだ。高い給料をもらうことが、白星かもしれない。結婚することが、一番の幸せかもしれない。べつに、それを咎める人なんて、いない。それほど、みんな、他人に興味はない。勝ち負けの競技に、参加する必要もない。ただ、生きる。ありのままを、受け入れる。金星が、夜空に輝く日、僕は、そっと、祈りを捧げる。朝光(あさかげ)で、目を覚ます、あなたの、一日が、闇で覆われることが、ないことを。

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映画レビュー

025 「舟を編む」(2013)

<基本情報>
2012年、本屋大賞で第1位に輝いた、三浦しをんの小説を、映画化。
第86回アカデミー賞外国語映画賞の、日本代表に選ばれる。
第37回日本アカデミー賞では、最優秀作品賞ほか、6冠に輝く。
監督は、石井裕也が務める。

 言葉を、扱う仕事にたいする、熱意が、心地いい。舟のようにたゆたう、言語は、そっと、心の隙間をうめる。人と人をつなぎとめるのは、いつも、あなたのセリフだったように思う。優しさ、悲しみ、怒り、いくつもの感情が、僕の表現へと、変化していく。とめどなく流れる河を、漕ぐように辿る人生は、いつか孤高の岸辺へと、着岸する。そのとき、僕は、辞書の中に眠る、一節の文章を、思い出すかもしれない。それが、意味や、存在、生きる理由へと、繋がっている気がするからだ。

 主人公・馬締光也(松田龍平)は、とある辞書編集部に、配属される。そこで、新しい辞書づくりに没頭する。彼の、実直な性格や、頑固で生真面目な一面が、細かく描写されている。それが、気付かぬうちに、彼への好意に、豹変していく。クラスに、ひとりこんな奴が、居たかもしれない。周りに対して、媚びずに、自分の考えを貫く。そんな彼の人柄に惹かれる一方、不器用なところで、衝突しあう。そうやって、個性的な同僚と、距離を縮めていくストーリーが、観ている者に、静かに、届く。

 そして、光也は、林香具矢(宮崎あおい)と、出会う。好きな相手に、思いを伝えるとき、言葉が、必要になる。それは、分かっている。だけど、ここぞというときに、口が、うまく回らない。人間ていうのは、うまい具合に、ぽんこつなんだなと思う。それでも、必死に、アプローチしようとする情熱が、彼には、あった。それは、たくさんの時間をかけて、絆へと、変わっていく。その経過を、決して、大げさにするんじゃなくて、地に足がついた手法で、描いていく。

 インターネットで、気軽に、検索できる。だから、紙の辞書なんか、いらない。そういう人も、いるだろう。それでも、書店には、いつものように、辞典が並ぶ。その理由を、この作品は、伝えようしている。「作り手側」の視点から、モノを創造する過程を、丁寧に連ねることによって。けっして、スケールの大きな、展開はでてこない。人生の教訓を、語ろうともしていない。だけど、心に、じわりと入り込んでくる。それは、他人の気持ちを、分からないなりに、理解しようとする、ひたむきさが、テーマだからだ。