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思考

腐敗を、止める

 僕は、自由なのか?そのような問いかけは、何の意味も、もたない。人は、ときとして、覚えていたはずのことを忘れ、忘れていたはずのことを、思い出す。とくに、せわしない日常に、おわれているようなときには。今、求めているのは、そんな、あやふやな記憶なんかではなく、手に取ることのできる、確実な現実なのだ。

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・距離化
 きっと、今も、どこかの国で、空爆によって、多くの人が、死んだり、傷ついたりしている。株価の乱高下と、国会議員の失言のニュースと、並列して、報道される。例によって、心が明るくなるような報せは、ひとつもない。しかし、生活に、今すぐ悪い影響を、及ぼしそうな事件は、起こっていない。それらは、どこか遠くの世界の出来事であり、見知らぬ他人の身に、降りかかっている。

・小さな世界で生きる
 外の刺激から逃れるように、読書にのめり込む時間が、必要だ。そのときだけ、僕は、この世界に、有機的に結びついているのだと感じることができる。論理でもなく、観念でもなく、あくまで精神的なことを通して、社会に、繋ぎとめられている。いわば、小さな世界で生きているのだ。たとえ、それが、利己的だという、峻烈な批判を浴びようとも、守らなければならない。自分だけの世界を。

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 大抵の行為には、それなりの意義や、正当性を与えられる。たとえ、どんなに非人間的な行為であっても。国のために、戦地に赴き、暴力的なシステムの中に放り込まれ、筋の通らない命令に従うことを強制され、死んでいった命を思うと、心が痛む。
 自分の思う通りに本を読み、考えることを、誰にも邪魔されない社会を、これから築いていこう。そもそも権威は、それらの類いの尊厳を保つためのものだ。どうか、権力が、腐敗しないで、正しく行使される世の中であることを、願う。

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自分のこと

渡り鳥のように

 テレビは、相変わらず、世の中の動きを、鮮明に、映し出している。それを、リビングで眺めながら、黙り込む。たれ流しになっている情報が、どれだけの人の脳に、刷り込まれて、そこから派生した感情は、どこに向かうのだろう。

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・奇妙なこと
 せっかく、過去の記事で、自分のセクシャリティーについて語ったのだから、それについて、何か書こうと思っても、特に、思いつかない。それは、ゲイというアイデンティティーが、僕の、ほんの一部分にすぎないのだということが、分かる。問題は、そうだとしても、なにかしら、書けと迫られる、あるいは、説明することを余儀なくさせる、空気感に、あるのかもしれない。
 そもそも僕は、カミングアウトという言葉が、好きになれない。たいそれた名前をしているけれども、個人的には、そんなことをしなければ、自分について、語れない社会のほうに、問題があるんじゃないかと思っている。だって、わざわざ、あらためて、性的指向について、他人に、語らなければならないって奇妙だし、それが、どれだけ、当事者に、プレッシャーをかけていることを、想像できない世の中なんて、どれだけ、せちがらいんだろうか。

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 人の心と心が、時間の経過に沿って、くっついたり、離れたりするものだというくらいのことは、もちろん、わかる。人の心の動きというのは、習慣や常識や法律では規制できない、どこまでも、流動的なものなのだ。たしかに、人生の一部分を交えた相手が、他のだれかと、付き合うことになることなんて、多々ある。ハッピーエンドの映画の結末のようにならない人生に、辟易したとしても、国境という概念を持たない渡り鳥のように、自由になれる日を、待ちわびながら、眠りにつく。

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思考

永眠を、想像する

 一日の終わりに目にするニュースが、日に日に、意味のないものに、なりつつある。なぜだろう。なにを聞いても、心に響かないというか、なぜ、それを、多くの人に伝えようと思ったのかを、伺いしることができない。そもそも、世界中で起きる出来事の中で、報道されるべき意味をもつものなんて、10年に、一度あったらいいほうにちがいない。それでも、習慣として、テレビから流れる情報に、耳を傾けることが、生活の一部になっている。いくら、関心がないからといって、たとえば、地球が今まさに、破滅の淵にあるというのに、僕だけが、それを知らないでいるとなれば、それは、やはり少し、困ったことになるかもしれない。

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・可能性を、抱く
 僕が思うには、いささか、本当のことを知ることに、価値をおきすぎている。だから、あれやこれや、誰が悪いだの、責任は、どこのどいつにあるんだとかを、追求したがる。彼らは、真実が、だれにとっても、幸せを運ぶと、勘違いしている。真実は、むしろ、混乱をもたらし、どれほど、深い孤独を、人にもたらすのかを、考慮しない。ひとつの可能性を、心に抱いたまま、これからの人生を生きていこうと考える人は、世の中で繰り広げられるスキャンダルに、一喜一憂している彼らを、滑稽にみているのだ。

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 想像の力は、限りなく無限だ。いずれ、誰しもに訪れる、永眠へのプロセスについても、推し量ることができる。亡くなった人の声は、僕らには、届かない。だから、死について語ることは、どれも想像にすぎない。あるいは、妄想だと言ってもよい。
 もちろん、今すぐに、死にたいわけじゃない。ただ、頭の中で、思い浮かべるだけだ。死というものを、仮説として、もてあそんでいるんだ。明日も生きることが前提となっている、まだ、希望や可能性に満ちているといえる僕らが、できることなんて、たかがしれている。でも、だからこそ、想像する力が、今まで以上に、求められている現状が、目の前に、横たわっている。