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詩的表現

リアルワールド

いつか

僕らの

社会は

目を背けたくなるような

光景で

覆われてしまうんじゃないだろうか。

予想だにしない

出来事が

次々と

巻き起こる。

そのことを

実は

誰しもが

気付いている。

不安な

未来にたいして

準備をしておくことで

精一杯だ。

裏切られた希望を

持て余す。

リアルワールド(現実社会)は

たいてい

幻滅することが

ほとんどだ。

いっさい

光が

届かない

場所で

なにかを待つ。

親の期待、

それにそぐわない自分、

搾取される労働者、

取り繕われた正義、

むせ返るような

黒煙が

正気を

かき乱す。

行き場のない

亡霊たちは

うめき声を

あげる。

不健康な

精神が

誰かを

傷つけてしまう前に

ここを出よう。

くだらない常識を

蹴り飛ばして

旅にでる。

まだ

冒険は

始まったばかりだ。

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映画レビュー

020 「タンジェリン」(2017)

<基本情報>
全編スマートフォンで撮影された、異色の本作。
第28回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門で上映され、話題を呼んだ。
監督・脚本・撮影など、すべて手がけたのは、エネルギッシュな映像で知られる、ショーン・ベイカー。

 ロサンゼルスを舞台に、トランスジェンダーである彼女達の日常を、そのまま切り取ったかのような、ドキュメンタリーの様相を帯びている。クリスマス・イブに巻き起こる騒動が、リアルな視点で、描き出される。家族で食卓を囲んで、ローストチキンをほおばるような、幸せの形もある。だけど、この作品は、そんな生易しいものではない展開に、溢れている。人間くさいと言ってもいい。浮気、セックス、友情、マイノリティー、それぞれの思惑が、芯のある物語とともに、絡み合っていく。

 心と体の性別に差がある人たち。言葉では、理解できる。苦しみや、葛藤を想像してみる。彼らについて、知ってみたい。それと同時に、セクシュアリティーという、繊細な問題にたいして、土足で踏み込むようなことは、したくないと思う。ふとした言葉が、相手を傷つけてしまうかもしれない。だけど、この映画の登場人物たちは、そんな僕らの考えを、きにもとめない。むしろ、跳ね返してくる。力強さがある。だから、安心して笑うことができる。嫉妬という感情に、翻弄されながらも、自分に正直に生きようとする姿に、共感を覚える感覚は、嫌いじゃない。

 主人公・シンディは、娼婦として働いている。体を売るという仕事にたいして、差別的にみたり、蔑んだ目でみたりしてしまう人が、いるかもしれない。だからといって、社会から排除していいなんて姿勢は、間違っている。この社会には、そうやって生きていくことを選択した人たちがいる。堂々と胸をはればいい。そして、幸せになる歩みを止めないで欲しい。人間は、いつも合理的な行為をするだけじゃない。ときに間違ったり、意味もないことをしたりする。それが、僕たちの生きる世界の現実だ。その、言葉では、あらわすことの難しい部分を、全面的に表現する手法は、斬新だ。

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映画レビュー

019 「チョコレートドーナツ」(2014)

<基本情報>
1970年代、アメリカでの実話が、基になっている。
全米各地の映画祭で観客賞に輝き、多くの人に感動を与える。
日本での公開をまえに、反響が多数あり、大ヒットに繋がった。
バイセクシャルを公表している、アラン・カミングが主演を務める。

 当時のLGBT当事者に向けられる視線について、想像する。差別や偏見が、いけないということは、なんとなく頭で分かる。だけど、それとは別に、自分とは合いそれない他者にたいする、もぞもぞとした感覚。拒否という言葉で表してもいい。この社会は、悪者と善人で、構成されているわけではない。それは、たぶん、どんな人にも、存在するフィルター。つい好みであるか、好みでないかを選別し、それによって接し方に、差をつける。だけど、それでも、どんな人にも公平でありたいと願う矛盾する僕たち。そんな、人間の姿が愛おしい。

 ともに生きていくのに、だれかの許可がいるのか。法律の壁が、彼らを引き裂く。結婚という制度によって受けることのできる利点を、どれくらいの人が、考えているのだろう。一緒に暮らすことさえ、ままならない、人がいる。家族の形が多様化しているというのは、ただの幻想のように思える。母がいて、父がいて、その環境でしか、子どもは健全に育たないという先入観。その固定観念が、どうしようもなく、人生に影響する。こうあるべきという模範に縛られる。それが生きにくくしていることに、どうして僕らは気付かないんだろう。

 ダウン症のマルコが、幸せそうに笑うと、嬉しくなる。愛情に飢えている者の目には、どんな些細なことも、あふれるものに変わっていく。幸せの形はそれぞれだという、ありきたりなストーリーに、呑み込まれない。その力強さが、観るものを圧倒していく。分かりあうことが、どんなに困難でも、積み重ねていけばいい。それが、ドーナツが好きだというきっかけだとしても。理解という概念を信じるならば、己のなかの、ちっぽけな正義を疑うことから、始めてみるべきなのだ。

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映画レビュー

018 「RENT/レント」(2006)

<基本情報>
トニー賞&ピューリッツァー賞を受賞した、ブロードウェイ・ミュージカル「RENT」。
今作品は、たくさんの人の胸を打った演劇を、映画化。
舞台は、1989年のニューヨーク。
未来に夢をもつ人間が、今という時間の価値を明確に感じる日常を、鮮やかに描き出す。
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」のクリス・コロンバスが、監督を務める。

 どうして自分を救うことができるのは、自分しかいないんだろうと思うことがある。布団のなかに潜り込んで、ひっそりと涙を流すとき、周りには誰もいない。孤独が付きまとう毎日には慣れている。だけど、もし、どうしようもない困難に遭遇したとき、あなたに寄り添う人間が、少なからずいることを、知って欲しい。

 題名の「レント」は、毎月の家賃を意味している。住む場所を確保するには、金がいる。あたり前のことだけど、そこを、うやむやにしてはいけない。貧困に苦しむ者が、しっかりと自分の人生を、見つめ直す時間が、必要だ。この物語は、どんなに苦境に立たされようと、隣り合わせた友人は、助けなければならないという、強い意志を貫いている。

 エイズや、同性愛者をテーマにした、社会風刺が、観客をどきっとさせる。私の周りにはいないけど、そういう人が実際にいるんだなという他人事に終わらせない。ごくあたりまえに、日常の一部分として、アパートの隣に、同じ地域に、登場する。アメリカらしさという、簡易な言葉で表現していいか分からないけど、多様性を内包している部分が、僕は、好きだ。

 たくさんの場面で、曲が流れて、キャスト達が歌い始める。それは、表現の一種に過ぎないけれど、音楽の力を肌で感じることができる。登場人物たちが、舞台にたって歌唱する「Seasons of Love」から、この物語は、始まる。うまくいかないこと、どう、やり過ごせばいいか分からないこと、悲しみに打ちひしがれること、それが僕らの人生には、訪れる。そこに、もし「愛」というしるべが残されているのなら、それが導き出す方へと進めばいい。

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映画レビュー

017 「グースバンプス モンスターと秘密の書」(2017)

<基本情報>
1992年に第1作が刊行され、アメリカで長年、親しまれている児童向けホラー小説を実写映画化。
主演のジャック・ブラックと、監督のロブ・レターマンが、タッグを組む。
小説を書くと、内容が実体化するタイプライターをめぐって巻き起こる、冒険ファンタジー。

 子どもの頃の、本を読みながら、想像を膨らましたワクワクやドキドキが、そのまま映像化されたような感覚。ファンタジー要素を、好まない人は、頭を抱えるところが、多いかもしれない。小説には、様々なジャンルがあるけど、もとは、所詮、人間の頭の中で想起された架空の物語にすぎない。そのなかで、行けるところまで突っ走り、今まで実在しない輪郭を、つくり出す。そんなストーリーによって、連れて行かれる世界が、僕は好きだ。

 本の中から飛び出すモンスター達を、統率する腹話術人形のスラッピーが醸し出す、差し迫った雰囲気が、緊張感をもたらす。もし、人形に意志があったら、彼らは、何を想いながら、人間の世界を眺めていたのだろう。そこに見え隠れする黒い感情は、やがて憎悪となり、復讐へと変貌していく。小さな街に、解き放された怪物達が暴れ回り、大騒動に発展していくストーリーは、ありきたりかもしれないけど、小気味良い。

 ニューヨークから、田舎町に引っ越してきた少年・ザックの、恋物語も含まれている。スクリーンに出てくる登場人物は、いつも、誰かに恋している。誰かを特別に思う心の複雑さが、人間を最も優しくする。どんなに自分だけを大切にし、エゴイスティックに生きようと、知らぬ間に、他人を愛している。それが、僕らの性質なのかもしれない。試練に立ち向かい、色んなことを通じて、次第に成長していく若者の姿は、勇気をくれる。

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思考 社会の出来事

分け隔てなく生きる

 自分らしさを、表現することは、秩序を壊すことだと思う。いままで存在しえなかった価値を見出す作業は、孤独に包まれている。どうせ道徳や正義なんてものは、マジョリティーの言い分にすぎない。だから、もし、この世界が、支配する側と、支配される側に、分断されるなら、後者は、抵抗すればいい。僕らは、生きている。言うまでもなく。人間であること、女性であること、弱者であること、あるいは動物のひとつに過ぎないこと、ありとあらゆる生命が、今日も躍動している。

     ★     ★     ★

・なにを言祝ぐべきなのか
 イランとアメリカの対立が深まり、憎しみの連鎖が、舞い戻ろうとしている。「戦争」という体験をしないまま、大人になった世代が、平和を語ってはいけないのだろうか。命が、軽んじられ、国のために全てを投げ打った彼らは、何を思い、死んでいったのか。終戦を向かえたときの、不思議な安堵感を、僕は想像する。もう、戦わなくてもいいんだという思いが示す方向に進めばいい。この先に日本が、言祝ぐべき進路は、空爆のニュースを見た時の、一人ひとりの感情の内側に眠っている気がする。

・相模原殺傷事件について
 みなの命に平等に価値がある。そんなあたりまえの考えが、根本から揺らいでしまったのが、この出来事だったと思う。公判が始まり、事件の詳細が、明るみにでるとき、世界に、ひとつのひずみが生じる。その衝撃波は、螺旋状にゆっくり広がっていく。さて、僕らはいったい、だれに憤りをぶつければいいんだろう。命に線引きをしては、いけないことは分かる。他人に生きる価値があるのか、ないのかを、決めることはできない。たとえ誰かが、無意味であると判断しても、それが、命の生き死にに関わってはいけないということを、はっきり言う必要がある。

・なぜ大学教育が行われるのか
 それぞれの大学の発足の理念なんてものは、僕は知らない。でも、決して大学は、企業が求める人材を育成する機関に成り下がってはいけない。上からの命令に、文句を言わず従順に従い、サービス残業もいとわない若者は、たしかに都合がいいだろう。だけど、教育って、人を育てるって、そんな目的のもとで行われていいのかを、問いなおすべきだ。
 科学技術が進歩していく。生まれる前から、障がいを持っているかを、判別できるようになる。優秀な遺伝子だけをかき集めて、人間をつくりだす。そんな時代に、誰が、正しいか、間違っているのかを、導き出すのか。そんなことは、専門家に、まかせればいいと、あなたは、思うかもしれない。だけど、少なくとも、教育の目指すべきところって、あくまでも、自分とは立場の異なる他人に、優しくできる人間にすることなんじゃないかと僕は、思っている。

      ★    ★    ★

 人間は、もうすでに、幾度となく失敗を繰り返している。優生思想における批判を、もう一度、やり直せばいい。僕が、ここで述べてきたことは、いわゆる、どうやって分け隔てなく生きることができるかということだ。宗教や、政治理念の違う国や人間にたいして、どうアプローチしていくか、障がい者と健常者を、違う教室で学ばせることに何の正当性があるのか、他者と自分との垣根をどう、壊していくのか。
 もちろん、そこには「恐怖」があるだろう。自分とは異なる他人を、疎ましく感じることは、誰にでもある。だからと言って、いがみ合う必要はない。まして殺しあうなんてことは、途方もなく馬鹿げている。もし、僕らが成熟した社会を生きているならば、過去の過ちに学び、どう共生していくかを、模索していくべきだ。