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僕の思考(1)、あるいはルサンチマンについて

 死んでしまった者への思いは、ただ、募るばかりだ。たまに、夢に出てくる死者の実像は、年をとることなく、現実の僕だけが、どんどん、老いていく。

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・複雑化する現代
 日本は、比較的、はやくから資本主義のシステムに順応していく。西洋を起源とする資本主義が、遠い島国で、これほどの経済体制を、構築できたのかを議論することは、たぶん価値がある。世界が工業化していく過程で、日本人が、いちはやくニーズを読み取り、まさに空気を読み、生産性を、突き詰めてきた。いまは、世俗化が進み、宗教を遠ざける人々。無心論的な考えと、神を信じる信仰深い宗教との、対立構図は、分かりやすい。でもはたして、世界情勢は、そんなに、分かりやすくなっているのかどうか。そこに現代を紐解く、肝がある気がする。

・日本人らしさ
 12月には、イエス・キリストの生誕を祝い、初詣には、神社に行く。そして、仮装をして盛り上がるハロウィンが、定着しつつある。まさに、良いとこどりをする僕らの、日本人を、日本人たらしめるものは何なんだろう。たぶん、そんなものはない。ただ、グローバル経済が進む社会で、資本主義の神を、信じているだけなのかもしれない。

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 イスラム原理主義者が、世俗とはかけ離れているという見方がある。でも、それは、間違いである。彼らは、むしろ資本主義的な価値観に、完全に内在している。だから、資本主義の世界の成功者である、ヨーロッパやアメリカに、ルサンチマンを抱いている。でも、だからと言って、テロリズムを、肯定しているわけではない。僕が、ここで言いたいのは、人権の理念の支持者にみえるデモに参加する民衆も、じつは、宗教を、無意識に信仰している。つまり、自分が批判している敵の属性を、自分自身に帯びているということだ。次回に、続きます。

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ニヒリズムとアイデンティタリアニズム

「核実験も軍縮もベルリン問題も、半熟卵や焼き林檎や乾葡萄入りパンなどと一緒に論じるべきなのだ。」

 とある小説の一節が僕に、途方もない悲しみと、そこの尽きない想像を、呼び覚ました。社会という枠組みに割り当てられた思考でしか、物事を、考えることができないならば、それはもう、スケールの小ささを、露呈しているにすぎない。宇宙からしてみたら、頭を悩ますどんなに大きな問題も、朝食のメニューを考えることと、じつは、なにも変わらない。
 今朝、目覚めてすぐ、ひげを剃る中年男性、そのとき、そこから離れた下水道で工事に勤しむ作業員、車の下敷きになる野良猫、一方、出勤前に電車の中で化粧をなおすきらびやかな女性….この奇跡的な関連は、例えば、秋風が吹く少し肌寒い早朝に、誰にも気づかれずに、こっそり、あちこちで起きている。

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・嘘を、はがしていく
 戦争の歴史をみれば、分かる。僕たちは元来、暴力的な存在であり、これからも、暴力的な存在であり続けるということへの、人間としての、深い覚悟が、必要だ。向こうから、けしかけてきたんだから、こっちも、やり返すのは、当たり前だという短絡的なものさしは、いらない。本物の自分というものが、いるのかどうか分からないけど、悲劇を避ける方法は、自らを包み込む嘘をはがし、つらい真実と向き合う決意に満ちた、気概だ。

・どう、ありたいか
 インターネットが世界を覆い尽くしている。いままで、僕らが想定していた常識が、通じない。ひらいていく格差。不安と憎悪がふくれあがる民衆。居場所を見つけられない若者。孤立する老人。そろそろ、永遠に落ち着ける居場所がないことに、慣れなければならない。自由を尊重しようとし、望んでか、望んでないかは、分からずとも、こういう現代ができてしまった。結局、いま問われているのは、これからをどう生きるか、どんな人間であるかだけなのだ。

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 ニヒリズムに、陥る必要ない。確かに、過去を振り返れば、そうならずにはいられない現実があった。ナチスの強制収容所でおきた悲劇でしかり、横行して見て見ぬ振りになったジェノサイドしかり。たしかに、過去の年月によって、僕らは冷静になった。いまは、誰しもがグローバル経済下におけるリスクにさらされている。
 アイデンティタリアニズムという思想が、台頭しつつある。これは、自国・自民族の文化や習慣を守って生活する移民を、切り捨てることを意味する。なぜ、こうなるのか。アイデンティティーの問題を、地球レベルに引き上げる作業に、難航しているのだ。無理やりに、経済を通して、世界を一つにしようとする、ひずみが生じている。

 存在はいつも、言葉より決定的だ。畢竟するに、どんなに言葉が純粋でも、説得力があるのは、他人の模範であるのだと、僕は思う。必要ならば、歌えばいいし、映画になればいいし、小説にして伝わればいい。でも、人間の衝動を突き動かすのは、いつでも、他者の存在だ。