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自分のこと

長い時間をかけて僕を見てほしい

 当然、それぞれが答えを持っている。これまで自分は、そうやって生きてきたんだから、これからもそうする。もし、別の答えを持ってくる奴がいれば、攻撃せねばならない。なんて阿呆らしい。お前が所有している正しさを、放り投げてしまえ。常に揺らぎの中に身を置く。変化し続けていくからこそ、僕らは、変わらない何かを、大切にできるのだ。そう思う。

★   ★   ★

・悪者になりたくない

 差別は、いけない。だって物語の中に出てくる悪い奴は、決まって不幸になってるじゃないか。だから、私はいい人であろうとする。本当の心の中は、相手を尊ぶふりをして、ただ自分が悪者になりたくないだけ。

 僕らはたえず、偏見を抱く。それは、避けようのないことだから、せめて自分は善人だなんて思わないようにしよう。だって、うちの子どもは、障がいをもって生まれないようにと願うでしょ。それが、差別的であるのかを問いたい。見知らぬ誰かが、ふとした言葉で傷ついて欲しくないから。そこから始まる世界は、きっと優しい。

・恋愛について

 男だから、女であるあなたを好きになった。なるほど。この切ない気持ちは、そうやって一般論に落とし込めば、説明しやすい。男だけど、男であるお前を愛した。なんだか、2人は幸せになれるんだろうかと不安になる。異性愛者と同性愛者の隔たりみたいなもの。それについて、確かな理論を打ち立てることはできるんだろうか。

 ただゲイであることに誠実にいようとする姿勢を、揶揄するのは間違っていると言いたいだけなのに、長々となってしまう。幸せになりたいと純粋に願う人間を笑いたければ、笑えばいい。自分とは相異なる者を遠ざける世界はつまらない。僕は僕だから、貴方を選んだんだと言える強さが欲しい。

★   ★   ★

 社会を生きていくためには、自分をできる奴だと演出する能力が、ときに必要になってくる。残念ながら、それが苦手だ。それでもやはり、働いてお金を稼がねばならない。こうして文章を書いて、考えを発信するそばに、その日常はある。どうか、長いスパンで僕を評価してほしい。これからも、変わり続けていく意思がここにある。人生がどうであれ、辿り着く場所は、誰にも分からないから。

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自分のこと

あんな大切な夢を、どうして忘れていたんだろう

 自室の中の置物たちは、静かに僕を見守っている。寝るときも、少し気分が落ち込んでいるときも、何も語らずじっと。何かに愛を注ぎたいから、そっと彼らを慈しむ。いつか、いざとなれば動き出し、正義のために戦ってくれるんじゃないか。いや、たかが人形だからと言われても、今の僕には、そんな言葉は、なんの意味も持たない。だって、世界をどう解釈するかは、自分で決めるから。

★   ★   ★

・罠を暴け

 生きづらいと感じている人に、共感する僕がいる。大勢になじめず、居場所のない苦しみに耐えるとき、人は一人になる。そんな弱い部分を隠そうとしても、嘘はすぐに剥がれ、虚しい涙が頬をつたう。結局、私たちが立ち向かわなければいけないのは、こちらに暴力を有無を言わさず、ふるってくる奴らであって、自分ではない。敵は外側にいると、確信したとき、あなたはほんの少し強くなれるはずだ。でも、力に力で対抗するアホらしさに気付いている崇高さ(優しさといっていいのだろうか)が、行く手を阻む。全てのバイオレンスを否定する理論は、あちら側の有利になる罠みたいに、よくできた仕掛けだ。だって、不条理な秩序に対して、声をあげるときも、ある種の乱暴さが伴うから。

・淀みのなかの言葉

 夏の暑さが、それぞれの孤独を溶かしていくみたいだ。そういえば父が死んだ日も、こんなふうに日差しがきつかった。季節が巡っていくなかで、心だけが立ち止まっている。もし、いま、父に伝えるべきことがあるなら、それは何なんだろう。きっと今の僕は、何ら変わらずあのときのままだよと、言おうとしたとき、少しの、淀みが、顔をだす。もう僕は、イノセンスな存在ではない。でも、思う。あなたが、家族を必死になって愛し、守り続けた日々のなかにいた、まだ何も知らない幼な子だった自分。時が経って、背丈が伸びようと、そのままの不器用な自分が、ここにいると。

★   ★    ★

 父は、眠りのなかで、「ごめんね。」と、僕に告げた。あんな大切な夢を、ふと思い出す。その一言は、全ての創造につながっている。世界を深く感じようとする繊細なアイデンティティが、この社会を覆い尽くせばいい。僕らを支配しようとする奴らは、きっとそれを一番、恐れているに違いない。コントロールしやすい人間ばかりに教育しようとする仕組みを、燃やし尽くせ。後になって残るのは、自由と知性に溢れた世界だから。まだ希望が残っているうちに、掠れた喉を痛めつけるみたいに、思考を言葉にしてみる。そんな夜。

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だから、生きろ

 あとどれくらい自分と向き合えば、僕は僕から解き放たれるんだろう。街を行き交う人は、えらくまっとうな振りをして、目的地に向かう。イヤホンから流れる音楽を防護服みたいにして、周りからの情報をシャットダウンし、徘徊する。そんな時に、唯一この世界を優しく感じることができる。

 他者に、正面から向き合うことは、ひどく疲弊することを、経験的に知っている。だから、お互い無関心を徹底し、知らない人に話しかけてはいけないというルールを頑なに守る。普通を装いながら、社会にとって異物のような自分を持て余す日常は、けっこう孤独なのだ。

   ★   ★   ★

・読書とは

 いっそのこと、この孤独をより一層深めてくれることを求めて、本を読む。いちいち立ち止まって思考し、全然うまくいかない生活に辟易しているのは、僕が出来損ないだからだと思ってた。でも、どうやら同じように世界に居場所を見つけることができず、声をあげて戦ってきたきた人たちがいる。紙に並べられた文字は、ある一定の時間を経て、僕にそれを教えてくれる。言葉の力を垣間見る瞬間、この今というものが、まざまざと輝きだす。読書とは、人生がどんなものであるかを明確にする装置なのだ。

・人を傷つけることと愚かさについて

 例えば、僕は同性愛者だったりする。周囲とは違う性的指向を、ここで語ることについて、意味を深く考えたわけじゃない。でも、かつてそのことを理由に虐げられてきた人たちがおり、不条理な暴力に抵抗してきた。その歴史のどん詰まりにいる僕らは、いったいどんなことを思いながら、生きていけばいいのか。自分とは異なる存在を、疎ましく感じる。それは、それでいいだろう。僕だって同じだ。問題は、その感情に向き合いもせず、ずかずかと言葉にし、人を傷つけることを想像できない。それは、無知な愚かさのなにものでもない。僕は、そう思っている。

   ★   ★   ★  

 多様性であるとか、人権であるとか、時代であるとか。なにが変わっているのかが、僕には感じ取れない。崇高な理念や信条は、どこか聞こえのいいものばかりだ。現実に、いま、悲しみの淵に沈んでいる人間にたいして、どうやって声を届けるのか。ここで勇気づけることを言ってもいいけど、お前はそんな言葉で救済されるようなたまじゃない。複雑な社会は、お前がお前でいることを、頑なに歪めようとしてくる。強くなる必要はない。ただ、途切れない自分を確立していくしか、手数は残されていない。だから、生きろ。

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アイデンティティーが、ほとばしる

 物語のなかの登場人物は、いつも、友達に悩みを相談したり、ともに、団結して、困難を、乗り越える。それは、フィクションだから。現実は、孤独がつきまとう、そんなもんだというなら、それは、そうかもしれない。
 ここは、どうも、寂寞感が漂う。なんでも、1人で、こなしてきた気がする。思春期の性の目覚めも、初めてのセックスを経験した時も、そのことについて、話せる人は、ゼロに近かった。それは、同性愛だからなのか、自分の性質なのかは、わからない。誰かと、分かち合い、笑い話にできたら、どんなに楽だっただろう。

   ★    ★    ★

・戦いの狭間で
 それが、普通に生きることなんだと、言い聞かせる。どんな理不尽も、どこにでもある不条理も、飲み込んで、自分のなかで消化する。それは、戦いだ。弱音をはいたとたん、やっぱりあなたは、弱い人間なんだねと、烙印を押される。居場所が見つからないわけでは、ない。ただ、どこにいても、落ち着かない。それなら、1人の方が、楽だという、言い訳をして、逃げる。それくらいのことは、させてくれ。いわば、ひとときの休戦だ。そこで、僕は、深く深呼吸して、また、戦場に戻る。

・だから、優しくなれる
 「お前は、お前であることが、揺らいだことはないの?」そんな、問いを投げかけたら、暗いやつだと思われるから、しない。でも、確かなのは、明日、どんな自分であるかでさえ、不確定であることに、絶望を感じることだ。でも、だから、僕は、優しくなれる。いつも、問い直すことができる。ここは、ある特定のカテゴリーの人間にとって、窮屈な場所になっていないか。抑圧が横行し、立場の弱い人間を排除してしまっては、いないか。そんなことを、気にかけても意味がないという、お前は、やっぱり、馬鹿だと思う。

    ★    ★    ★

 僕が、いままで、何も言わなかったのは、知らずのうちに、空気を呼んでいたから。波風をたてることを嫌がる風習に、従っていたから。でも、今は、これからは、違う。僕は、ゲイ・セクシュアリティーで、頭のなかで、ごちゃごちゃ、かたくるしいことを考える人間だ。それが、たとえ、気持ち悪いと言われても、怯まない。どんなに口を塞がれても、発信する。いま、絶望のふちにいるやつに、届いてほしい。君のなかで、ほとばしる、アイデンティティーを、汚されないために。

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旅路の途中で

 たえず、生きている。一度、生きてしまったら、それは、もう、途切れることなく、命が、躍動し続ける。死を、経験として、語ることのできない、不可能性を、突き破って、どこかに、飛んでいってしまえ。どうせ、ここにある今は、黒い鳥が、風を薫せながら、羽ばたくみたいに、儚いものだから。

    ★    ★    ★

・呪い
 過去を思い出しては、不甲斐ない自分が、出現する。どうして、僕は、あのとき、なにも、考えてなかったんだろう。子どもだったから、幼かったから、なにも知らなかったから。だけど、周りの同級生は、自分という存在に、気付きはじめていたし、それなりの自己主張を、していた。なのに、僕ときたら、ただ、大人に気に入られる振る舞いをするばかりだった。怒りも、戸惑いも、抑圧も、悲しみも、まるで、持ち合わせていないように。なにも考えないという呪いを、心のなかで、となえ続けていた僕は、本当に、愚かだったと、思う。

・違和感
 思えば、どうして、勉強や部活動で、努力をできたんだろう。友だちは、どうだったんだろう。その先にみえる未来を、想像していたんだろうか。将来、立派な大人になる。親孝行したい。いい給料がもらえる仕事に就く。今になって、思うのは、そうやって、勉学に励むことが、悪いわけではないけど(むしろ、それは、わかりやすい幸せへの道かもしれない)、どうか、しっくりこなかった。違和感だけが、そこに、あった。

    ★    ★    ★

 それは、同性愛を、自覚したときに、より、一層、強くなった。セクシュアリティ、人種、性別、複雑に展開される社会は、いびつながら、ひとつの形になっていた。(それが、正しいか、間違っているかは、分からない。)勉強をして、世界への、理解が深まっていくにつれて、どうやら、僕は、現状で、得をしている人間の、背中を追いかけるのが、阿呆らしくなった。既得権益側になろうとする努力を、葬りたくなった。じゃあ、僕は、どこに向かうべきか。もう、分かっているかもしれないけど、そんなことを考える人間は、ろくな奴にしかならない。順調に、くそな大人になろうとしている、旅路の途中で。

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風が、愛を運ぶ

 欲望に、忠実に生きる。なんで、そんな簡単なことが、できないんだろう。世の中には、いとも容易く、願望を満たす方法が、転がっているというのに。だけど、僕は、思う。それは、安い幻に、騙されているんじゃないか。こうすれば、あなたは満たされますという、うたい文句を片手に、お金を、得ようとする。それは、まさしく、資本主義という感じだ。

・人間らしさとは
 あいつらは、馬鹿だから、こうすれば、コントロールできる。いつも、おなじ風景をみている気がする。人が、人を支配する。自分は、特別な存在だと、勘違いする愚かさも、どうせ、なにやっても、うまくいかないんだからと諦めて、成熟を拒む単純さも、嫌になる。人間的に、なりたければ、ただ、怠惰になればいい。発信したい言葉を、紡ぎ、自分の生きたい物語のなかに、身を置く。どうせ、僕らが、考えなければいけないことの、大半は、すでに、語り尽くされている。

・孤独に寄り添う
 10代でおきる、性の揺らぎは、まるで、異世界の話のように、置き去りにされる。どうやら、僕は、私は、男であったり、女であったりするらしい。そして、他者の身体に対して、欲情したり、抑えきれないエロスを、見出したりする。淫らになることを、恐れ、その反動で、頭の中は、灰色の色情で、埋め尽くされる。性愛について、語ることを、ためらわない大人で、ありたい。僕は、たまたま、ゲイという属性を有していた。それに、ついて、なにか特別なことはない。ただ、誰しもが通るように、自分の、知らなかった自分を発見しては、とまどい、ときには、泣いてばかりいた。

     ★     ★     ★

 どんな小説でも、愛はすばらしいと、直接的に言葉にしない。ときにそれは、強固なものとして、前置きされる。人生のなかで学ぶ、大きな意味のなかに、それは、ある。複雑な感情を、言語化して、だれかに届けたいと思う。だけど、やっぱり、全部を表現しきれない。だけど、それで、いい。その、世界に顔を出さなかった気持ちに、愛が存在する。文面に並ばなかった行間に、価値が含まれる。それが、あなたさえも、巻込んでいく。その風は、美しいのだ。

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アポリアからの探求

 自分が、何者かについて、考える。もしかしたら、優しいやつかもしれない。あるいは、臆病者かもしれない。結局は、よく分からない人間ということで、落ち着く。日本人であること、男性であること、健常者であること、とくに、選んだわけでもない属性が、<私>という存在を、説明する材料みたいだ。だけど、ほんとうは違う。個性というものは、もっと複雑で、一言では言い表すことのできない賜物なのだと、僕は、思う。

      ★     ★     ★

・否定から、はじめる
 「不適切な発言をして、申し訳ありません。」テレビのなかで、誰かが謝罪している。それは、だれに向けられた言葉なんだろう。電波にのって、発信されるメッセージは、空虚となって、消えていく。知らぬ間に、相手を傷つけてしまったなら、誠意をもって詫びればいい。失敗を、償えばいい。人間は、完璧じゃない。優位にたちたいとか、賢くみられたいとか、雑念まみれだ。そもそも、僕らは、くそな大人だというところから、出発する。否定から、はじめることで、ぎすぎすした社会に、風穴をあける。それは、品行方正とされる言論への、アンチテーゼだ。

・よく、分からない
 内なる、性的欲望が、誰かを、不快にする。だから、それは、隠さなければいけない。けれど、心のなかの願望までは、規制できない。とめどなく湧き出る衝動は、抑えられない。どこまで、性について語ることが、許されるのか、正直、分からない。僕は、ゲイ・セクシャリティーだ。(端的にいって)男に欲情する。それを、ところかまわず、相手に伝えれば、(当然のことながら)気持ち悪いんだと思う。たぶん、女性は、たえず、そんな気持ちに、さらされている。予期せぬところで、性的な目で見られることの、嫌悪感。それを声にだすことは、この社会を変えていく種になる。

    ★    ★    ★

 一貫して、僕らは、愚かである。「人間とは、良識を失った動物である。このように動物たちは人間を批評しているだろう。」ニーチェの言葉だ。資本を、増大することを目的として、民衆の命を軽んじるやからが、いる。戦争をすることで、金儲けしようとする連中が、いる。現代社会における、矛盾や難題にたいして、理論的に向きあえば、どうしても、立ち往生を余儀なくされるかもしれない。だけど、アポリアからの探求を、続ける意志が、世界を塗りかえていくはずだ。

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金星に捧げる、祈り

 人間の中身って、たぶん、くだらない。見栄や、欲望、嫉妬で、灰色に染まっている。ちっぽけで、卑しい自分だけど、なんとなく、折り合いをつけて、だまくらかす日常。私は、善人であるという奴の、嘘を、すぐに見抜いてしまう。僕に届く報せは、営業メールで、埋め尽くされる。金を持たない奴は、価値がないと諭すように、弱者を、排除していく。希望なんてない。この世界を、ぶっ壊してやろう。意味のない戯言が、無限の言葉の波に、のまれていく。

    ★     ★     ★

・なぜ多様性にこだわるのか
 安定か、冒険かの、2択しかないような錯覚。別に、平坦に生きればいい。普通に生きることの、難しさ。多様な在り方が、認められてしかるべきだという考えとは、裏腹に、異端児を遠ざける社会。LGBTというワードが、むなしく踊っている。それでも、僕が、「多様性」を、引っぱりだすのには、理由がある。
 それは、ゲイである自分にとって、死活問題だからだ。最適化された人間だけに、価値があって、子孫を残さない人間は、生きてる意味がないという、野蛮な思考に、立ち向かう。セクシュアリティーの話を避けて通れない。自分について話すことの恐怖。変なの、気持ち悪いねという、反応を前提にしないと成立しない会話ゲーム。もう、辟易としている。別に、優遇されたいわけじゃない。とりあえず、自分らしく生きることを、否定してほしくない。

・映画レビューで伝えたいこと
 大学を卒業して、8年経つ。それで、分かったのは、べつに就職しなくても、案外、死なない程度に、生きていけるということ。べつに後ろ指をさされるようなことを、してるわけじゃない。だけど、人生のレールから、外れる感覚。そこから、うまれる不安。知らぬ間に、洗脳されている、固定観念。こうあるべきだという規範は、相変わらず、機能しているようだ。
 貧富の格差が小さい社会、マイノリティーが生きやすい社会、多様性を認める社会、言葉で表すことは簡単だけど、実際にどうやって現実とするのか。映画に登場する人物は、いつもなんらかの問題を、抱えている。それを、可視化して、表現することで、発見できる視点がある。生きづらいと感じるあなたにとって、希望に変わる。それが、僕が、映画レビューをしている理由だ。

     ★     ★     ★

 どうせ、人生なんて、どう転ぼうと、地獄だ。立派な大人は、こうしなきゃいけないという呪いから、解き放たれる。勝利の方法なんて、それぞれだ。高い給料をもらうことが、白星かもしれない。結婚することが、一番の幸せかもしれない。べつに、それを咎める人なんて、いない。それほど、みんな、他人に興味はない。勝ち負けの競技に、参加する必要もない。ただ、生きる。ありのままを、受け入れる。金星が、夜空に輝く日、僕は、そっと、祈りを捧げる。朝光(あさかげ)で、目を覚ます、あなたの、一日が、闇で覆われることが、ないことを。

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踏みつけられたアゲハ蝶のように

 心の迷いが、僕を、浸食していく。複雑になっていく社会で、行き場のない孤独ほど、手に負えないものはない。幸せのピースを拾い集めながら、地に足つけ歩む者を、馬鹿にするように、街のネオンが、煌煌と輝く。どうして、手にしていることに目を向けず、足りないものだけを、欲するんだろう。新しい感情に惑わされるたびに、今を生きる意味を探してしまう。たぶん、答えなんてないのに。かつての偉人たちは、私は、どこから来て、どこへ向かうのかを問い続けてきたんだと思う。

    ★       ★       ★

・リビドー
 周りの友達が、抑えられないリビドーについて語ったり、あるいは、発散させたりするなかで、僕は、まるで蚊帳の外だった。ただ、コントロールできる範囲の振り幅で、笑ったり、泣いたりする日常は、どこか侘しい。心の中では、臆病の化身が住み着いたように、なにもかもに怯えていた。大人になっていく周囲を横目に、いつまでも辿々しい自分に劣等感を持っていた。

・下賎、あるいは当事者として
 ホモ・セクシュアルについて、なぜ話す必要があるのかと、あなたは思うかもしれない。だけど、性的欲望について、おおっぴらに語ることは、下劣だと批判し、抑圧してしまう方が、僕は下賎だと思う。例えば、就職活動の面接の場面で、性的指向を持ち出すことへの評価は、わかれる。人事の人が、どう感じるかは、僕には全然分からないが、その話をしようとする学生の気持ちは、少しながら推し量ることができる。ひとりの、当事者として。

・誠実を求めるならば
 自分の人生に対して誠実であろうとすれば、自分がゲイであることに対しても、同じように誠実ではならなかった。ただ、その一点に尽きる。初対面で、お前のそんな話なんて聞きたくないよと思う人もいるかもしれない。だけど、その場面にいたるまでの葛藤とか、不安とかを想像できないのは、控えめに言って、少し無神経なんじゃないだろうか。カミングアウト(この言葉が、適切かどうか分からないけど)をしなければいけない状況を強いている現状をかえるには、こうして、当事者の本音を晒すしかない。

     ★     ★     ★

 命あるものと、ないものの境目は、埋まらない。そこを、横断できるのは神様だけだ。歩道の脇で、踏みつけられたアゲハ蝶の死骸が、ひっそりと鮮やかに発色している。たぶん、生き返ることはない。死んでしまったものは、ずっと死に続けるという事実は、隠しようがない。きっと、美しいものの一部には、死の匂いが含まれる気がする。

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夢のもとに跪け

 とりあえず、息のできる場所に、逃げたかった。夜になると、近くの港まで自転車を漕いだ。そこから、向かい側にそびえるビル群の明かりを見ながら、祈りつづける。どうか、このさき、今よりも闇が深まりませんようにと。セクシュアリティーを自覚し始めた高校生の僕は、毎日そんなことをしながら、日々を乗り切っていた。たぶん、学校とか、社会のなかで、居場所を見つけられない孤独を、紛らわせていたんだと思う。
 悲しみの感情とは、逆に、ずっと、こんな景色が見れたらいいなと願う、幼くて、脆くて、はかない考えが、頭の中にあった。「感受性」という言葉が、どんな意味を持つのかが、あまり分からないが、それが僕の中で膨れ上がり、現実という高い壁を、無様にたたき壊す想像を張り巡らせていた。青春という、淡い気持ちは、確かに存在していたが、それよりも、何者にもなりえない自我を抑制することが、勝っていた。将来なんてものは、微塵も考えず、あれから長い年月を経て、今、順調に、僕は、くそな大人になりつつある。

    ★     ★     ★

・セクシュアリティー
 「おっさんずラブ -in the sky-」の放映が始まり、注目を集めている。たぶん、僕が子どものころから、ずっと観さされていた物語は、男と女が惹かれあう、恋愛ストーリーだ。異性愛を前提とする社会のなかで、それが強制されてきた頃に比べれば、同性愛をテーマにしたドラマが、できるのは、ある一定の評価ができる。セクシュアリティーという繊細な問題にたいして、コミカルに表現する手法は、斬新だ。

・アイコン、あるいは人間の一部
 だけど、LGBTの人たちって、こんなドラマみたいに、突然キスしたりするんだと、思われては困る。あれは、フィクションだから、そういうつくりになっている。観る人にとっては、興味をひく展開なのかもしれない。だけど、同性愛は、決して、異性愛者を喜ばせるアイコンじゃない。学校や、会社や、地域で、あなたの隣にいる、身近な人の性的指向に過ぎない。あるいは、人間の一部だと言っていい。そこには、笑えない問題もある。差別や、偏見を恐れながら、毎日を過ごしている当事者も、いるかもしれない。そのあたりの、リアリティーを、僕は、見落としたくない。どうか、性の多様性が、したたかに、声高々に、唱われる社会になることを、願っている。

     ★     ★     ★

 夢の話をしたところで、意味なんてない。だけど、間違いなく、無意識と意識の狭間の現実と、関連する場合がある。朝を向かえ、目を覚ます瞬間に、それはくっきりと輪郭をのこし、僕の脳裏に刻まれる。それは、非情な世界に咲いた、一輪の花のように、幻想的な体験だ。何を、言いたいのか分からないけど、そんなときは、ただ、夢のもとに跪くしかない。