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社会の出来事

芽吹きを、待つ

 いつまでも、ここにいたって、しょうがない。この時代に求められるのは、おのれを変えていくことだから、つまらないことで、くよくよするのは、もう終わりにしよう。ずっと、自分探しの旅を、しているような気がする。そして、いつにまにか、本当の自己というものを、恐れてしまっていることに、気付く。しどろもどろに綴る文字からは、退屈を吹き飛ばす刺激からは、ほど遠い、春の陽気が漂う。

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・正義とは
 そんなにも、だれかの不祥事が、世間の注目を浴びる理由が、僕には分からない。間違いを、犯してしまったら、素直に謝り、一定の社会的制裁を受けることで、収束するはずなのに、長々と、続けていくことは、決して建設的じゃない。新聞に踊る「森友問題」という見出しに、一切、興味を引きつけられない僕は、きっと、まだまだ、青臭いんだろう。権力に群がる犬みたいな奴は、抹殺しなければならないと、言わんばかりに批判する、コメンテーターと、自由を求めて戦っているという自負に燃える、マスメディアは、どちらにしろ、正義への道筋を、見失ってはいないだろうか。

・必要な勇気
 圧倒的に男性多数で、そのほとんどが恵まれた環境で育ったエリートで、いわゆるマイノリティーは、希少である国会が、現実の社会を正しく反映しているわけがない。政治家は、支持率を稼ぐ人気稼業に、もはや、なっているという実感が、頭をよぎる。真冬に着るコートを持っていない、こどもたちがいることを、肌で知っている政治家はいないのか。どこの出身だろうと、肌の色が何であろうと、どんな宗教を信じていようと、勇気を出して力を合わせれば、良い国をつくることができると、僕は、信じている。

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 「病気とは、人々が金銭を払ってする道楽ではないし、罰金を払わねばならぬ犯罪でもない。それは共同体がコストを分担すべき災難である。」と、かつての元炭鉱労働者の政治家は、語った。きっと彼は、貧乏人が病気をすると、どうなるかを知っていたのだろう。
 どこまでも、お金にふりまわされる現代人。小銭程度を稼ぐために、人生の大半を費やすのは、はたして、賢いやり方なのか。ずっと変わらない働き方に、もう嫌気がさしている。社会が変わっていく芽吹きを、見逃さないでいようと、必死になるのは、かっこのわるいことではない。窒息しそうな空気をぶっ壊して、もっと、楽に生きていけるようになりますようにと、木漏れ日がまぶしい、窓にむかって祈る、この夜。