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言葉と、身体の、関係性を見直す

 トラブルという言葉は、一般的には、事故や失敗を意味する、負の側面を意味することが、多い。けれど、既成の階層秩序や、異性愛を強制的に押し付ける主義、主張に、物言いをつけることは、別の意味で、トラブルを起こすことなのかもしれない。だとしたら、正しいトラブルを起こすのに、最良の方法を模索することが、抑圧された側が、求められることなのだ。決して、暴力的なものではなく。

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・大きな嘘
 社会を、円滑にまわすために、一部の人間を、排除するようなやり方は、嫌い。けれど、同性愛者にたいして、恐怖感や嫌悪感を抱く人がいることを、僕は知っている。それと、性的少数者などの、異なる生の様式を持ち合わせている人と、決して共存できないことは、同義ではないと、僕は、思っている。不快感を言葉にしたり、態度に表すことは、他人を深く傷つけてしまうことを、忘れてはいけない。ようは、偏見を、心の中に葬り去って、相手に、接することのできるような、大きな、だけど繊細な嘘を、身につけるべきなのだ。それが、いろんな人間が、共生するための手段になるはずだ。

・変な形
 台湾において、アジアで初めて、同性婚が、容認されたり、日本でも、同性パートナーシップ制度が、いくつかの自治体で、つくられたりしている。時が、確実に、変化を、起こそうとしている。そんな流れに逆らって、同性愛について、拒絶したり、否定的な考えをもつ自分を、責める必要はないのだと、言いたい。だって、当事者である僕だって、男同士で恋愛するのって、変なのって、思う時が、あるくらいだから。

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 言葉はいつから、相手の行動を、変えるまでに、力をもったのだろう。男であることや、女であることが、強制されていないか。アイデンティティを構築する、基本的なカテゴリーも、言説の制限を受けるパフォーマティヴな行為によって、つくりだされた文脈でしか、ない。身体のニ元体という自然な事実が、じつは、人工的な生産物ではないかと、懐疑的に、みていく必要はあるだろう。

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鎮魂とは

 鎮魂とは、魂を鎮め、落ち着かせ、傷を癒すことだ。いつも願う。思わぬ事故によって、散ってしまった命が、安らかに眠ることを。たとえ、その行為が、意味をもたないと馬鹿にされても、続ける。もし、それが、正しい行いではないとしたら、いったい、この世界の何に、救済を、求めればよいのか、分からない。そもそも、まったく正しいこととか、まったく正しくないことなんて、果たして存在するものだろうか。その境界は、あいまいだということを忘れ、白黒をはっきりさせずにはいられない物事の捉え方は、極端だし、窮屈なのだ。僕にとっては。

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 例えば、優れた画家が、この世にいない人のために、精魂を傾けて描いた絵があるとする。その価値は、誰によって、決定されるのか検討がつかない。だって、世間のつまらない批評や賞賛は、まったく、意味を持たないからだ。まして、経済的報酬が発生してしまうことは、作者が、望む形ではない。その作品が、多くの人の目に映ることがなくても、ただ、存在するだけで、十分だということもある。なんでもかんでも、ランキングにする傾向は、今に、はじまったことではないけど、それでは、あらわしきれない複雑な価値が、この社会には、あるのだ。

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くだらない、レッテル貼り

 どうして、文章を綴ろうとするのか。あるいは、なぜ、自分を表現しようとするのか。それは、淡々と流れる日常の中で感じる疑問や、自分の居場所を見つけることができない焦燥感に、向き合うことで見えてくる生温い現実と、少し、距離を、置きたいからだ。
 うまく社会に適応できない不器用な自分を慰める権利くらいは、僕にだって、あるはずだ。他人から、どう見られているかを気にしないでおこうと決めた瞬間に、既に、誰かに好かれようとしている自己本意な考えから、抜ききれていないことに、気付く。

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・ルールを、理解する
 生身の人間は、たとえ、空気と水があったとしても、そんなに、長く生きれない。なにかから栄養を摂らないと、餓死してしまうだろう。それが、この世界の基本的なルールだ。食うために、必死で働くことが、はたして、そんなに多くの意味を、含有しているのか考えてしまう。好きなことだけをして生きていきたいと思うことを、ただのわがままとして捉えられるのは、どんなに社会が変化していっても、変わらない価値観なのだろうか。

・言語化、あるいはナンセンス
 いつからか、ひとは、寛容性を失ってしまった。生産性と効率ばかりを追い求めていく過程で、心にゆとりを持つことを忘れている。創作することを、禁じられた芸術家が、窮地に追い込まれた末に、ハンガー・ストライキという非暴力的な抵抗運動を試みようとする心持ちを、説明することは、難しい。だって、どんなに大きな理由があったとしても、その全てを言語化するのは、とてもナンセンスなのだ。

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 この人生には、うまく説明のつかないことがいくつもあるし、また、説明すべきではないこともいくつかある。とくに、説明してしまうと、そこにあるいちばん大事なものが失われてしまうというような場合には。
 いつも、説明責任を果たすことが、正義だと思う人が多い、この社会は、居心地が悪いと思っている。無口な人は、役に立たない人間として、レッテルを貼られることを、恐れながら、生きなければならない世の中を変えるのに、必要なことって、何なんだろう。