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思考

小さき声を拾う

 僕が、いちばん物事を深く考えているという錯覚は、エゴを通り越して、宇宙の塵に、埋もれていく。ただ、名もなき人の人生に、耳を傾ける。なぜ、そんな選択をしたのか。その時、どんなふうに感じたのか。そのような語りを並べることに、何の意味があるのかという批判にも、一理ある。マクロな歴史や構造に結びつける分析や考察は、プロがやることであり、我々がすべきことではない。勝手な解釈は、ときに暴力になる。

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・ずれ  
 こういう時は、この対応をすべきである。マニュアルに沿って、仕事をこなしていくことが、僕らには求められる。それでも、やはり、納得できないこともある。無駄な手順ではないかとか、あるいは、もっと優しく、人間的な対応できるのではないか。各々で、考え抜いた手法でこなせばいいのだけど、ときに、それが、社会とのずれになっていく。
 職場の規範に、馴染めれば、それはそれで楽だろう。実際、上司と呼ばれる人は、上手に振る舞い、波風をたてずに、順応している。でも、自分を押し殺して、生きていくことが、僕には苦痛である。そんな人間は、そそくさと、排除されるみたいだから、体を装い、表面的な返事をかえす。なんとも、みっともない日常である。

・メインとサブ
 しっかりとした教育により、社会化される。そんな人間ばかりが集まるところを、メインシステムと呼ぶことにする。上からの命令に、素直に従うことができ、それに、なんの疑問も抱かない。だとしたら、潤滑にことは運びそうだ。僕らは、知らずのうちに、そこで暮らすことが、強制的に決められ、なおかつ、幸福の道であると、洗脳される。一度、そこを、疑ってみたいと思う。
 社会化を望まない人間が集う場所を、サブシステムと、呼ぶことにする。はたして、そこは、どんなところだろう。たぶん、今、ここ日本では、サブシステムとなりえる場所が不足している。要は、うまく社会に溶け込むことができない者を、許容する受け皿が、ない。たとえば、彼らは、不適合者かもしれない。

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 でも、僕は思う。人は、生れながら、不器用かもしれない。仕事ができないかもしれない。悪い事をしたわけでもない。そんな人間を、メインシステムに横たわる価値観で、押し潰してしまっていいのか。みんなが生きやすい社会を目指すべきではないか。誰にも助けを求めることができず、孤立してしまった人の声を聞くべきではないか。本人の努力が足りないと、一蹴していい問題ではない。憤りに近い叫びが、たしかに、ここにある。小さき声がする場所の在処を、明確にする。そのために、ここに文章を綴っている。

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