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思考

年を経て生まれる憂鬱について

 幼い頃の、記憶と呼ぶには、おぼつかない、暖かみのある場面。僕は、たしかに、この世界に祝福されて生まれてきたことを教えてくれる。両親の愛という言葉が、陳腐ならば、他になにか変わりの言い方を、模索しよう。ただ、それは、海面に浮かぶペットボトルのゴミを見つけるくらいに、困難だけれど。
 きれいなものだけを、見てきたんじゃない。裏切り、暴力、嫉妬、憎悪、それら全てが折り重なり、ひとつの社会となりうる。ただ、大人になるまでの間、家族という共同体のなかで、黒々しい感情を排除してきたに過ぎない。そのシステムを、「魂の保護」と、僕は呼んでいる。

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・奇譚集
 ここで、年を経て生まれる憂鬱について、語らなければならない。べつに、スピリチュアルに関心が、あるわけではない。それでも、世の中には、偶然という言葉では説明できない、奇譚な出来事が起こりうる。例えば、夢に出てくる死者たちが残すメッセージ、前世の記憶をもつアフリカ人、死の瀬戸際から蘇生した病人、宇宙から飛来した謎の隕石、語り尽くすことのできない、不思議な物語は、幾度となく、生まれては、消えていく。

・リアリスティック
 ただ、へんに大きな顔をする、リアリスティックな日常を、ぶっ壊したい願望がある。子どものときの、無限に世界が広がっていることを知覚していく感動を、もう一度、味わいたい。クラスの席替えで、好きな子が隣になったときの、死んでもいいくらいの思春期の高揚を、再び、享受したい。そして、それは、もう叶うことはないんだなと、悟ることが、大人になることだと、僕は思う。そこから生まれる憂鬱を、持て余しながら送る人生は、せめて静寂に包まれてほしいと望む。生きるとは、そういうことだ。

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 ブログを書く意味について、考える。僕ら、国民は、階層に分けられている。金持ちもいるし、貧乏もいる。下級や、上級と言われることがある。もし、この世界が、一部の成功者によって支配されているならば、不利益を被る側は、抵抗しなければならない。たとえ、抑圧されて身動きができない立場にあったとしても。だから、こうして、文章を書く。それで、重圧にたえるあなたの重荷を、少しでも軽くできたら、そんなに嬉しいことはない。