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映画レビュー

047 「Mommy マミー」(2015)

<基本情報>
2014年、カナダ発。
第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に、出品され、審査員特別賞を受賞。
自身も俳優として活躍する、グザビエ・ドランが、監督を務める。
現在、同監督作品「マティアス&マキシム」が、公開中。

 ADHA(多動性障害)のある、青年が、登場する。その病気についてのすべてを、語ろうとするのは、たぶん、映画の役目じゃない。たぶん、障がいを、テーマにするならば、ナイーブにもなるし、繊細な描写が、必要になる。観る人に、誤解を与える表現は、避けるべきだ。いわゆる、健常者が、期待するようなエンタメに変容させ、それを消費する形は、誰しもが、望んでいない。けれど、架空の物語の中に、発達障がいに、向き合い、必死に未来を掴もうとする、彼らがいたことは、深く、観客の心に、刻まれる。そんなストーリーに、仕上がっている。

 その主人公である、15歳のスティーブを演じるのが、アントワン=オリビエ・ピエンだ。僕は、あまり、キャストのルックスに、魅せられることは、ない。それよりも、今までみたことのないような、稀な人間性や、オリジナリティーを、期待する。けれど、この作品は、やはり、彼の表情だったり、しぐさの、ひとつひとつが、キャラクターと、調和していく様子に、目がいってしまう。それくらい、見た目が、主張し、みずみずしさと、危うさを、併せ持つ、スティーブの、魅力につながっていく。

 そして、この作品の要になるのが、ドラン監督による、映像や音楽への、こだわりである。画面のサイズが、いつもと違う感じがする。終始、1対1の正方形の画角で、物語は、進んでいく。だけど、場面によって、縦横の比率が、変化していく。その演出が、スケールの大きい世界観をうみだし、開放感と、ダイナミックな意識の波を、もたらす。劇中に使われるカウンティング・クロウズの「Colorblind」という曲が流れるシーンが、印象的。ポップさと、苦境にたつ母と息子の、相反する景色から、鮮やかに、繰り出される愛は、観ていて、飽きない。

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思考

野蛮なことに、立ち向かう

 僕が、何を考えているのかが、つつぬけになるとき、それは、世界と、自分が、混ざりあう瞬間だ。欲望も、傲慢も、知性も、すべてが、溶けて、にじみ出てくる様は、滑稽で、それでいて、美しい。それでも、本当の、奥底にある、自我(みたいなもの)は、他人に、さらけ出さず、隠して生きている気がする。孤独を包む牢獄を、開く術をもたない者ほど、人生は、深みを、帯びていく。

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・内側と外側
 ここに、文章を、つづる。それは、いっけんして、僕の内部について、語っているのかもしれない。心の動きや、感情の波を、観察しながら、湧き出てくる言葉たちに、寄り添う。でも、よくよく考えてみると、その作業は、外側の世界を、必ず、反映しているのだ。いま、目に映る景色、複雑な社会、薄っぺらい世相、その全てが、フィルターを通して、再び、構成されていく。つなぎあわされた二つの領域は、加速度的に、変化していく。そうやって、ひっそりと営み続けてきた、生き物は、はかない夢を見る。やがて、滅びゆく定めを、受け入れることは、そう、難しくはない。

・望みを叶えること
 将来、こうしたいという、願望を、抱く。それを、追いかけながら、努力していくことの、全てが悪いとは、思わない。だけど、あるとき、冷静になって、立ち止まる。まだ、歩み始めたばかりの自分が、思い描いていた未来に、振り回されるのが、阿呆らしくなる。望みを叶えることに、執着しなくていい。むしろ、あのとき、死ぬほど、手に入れたいと思っていたものが、実は、たいして、欲しくないものに、変容していく。人生なんて、そんなものだ。

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 結局、僕が、これまで一貫して、思考してきたのは、「命の価値」についてなんだと思う。もう、気付いてるかもしれないけど、社会は、不躾に、あなたの価値を、決めようとしてくる。例えば、ホームレスのおっちゃんが、ひとり路上で死んでいく。それは、ただ、それだけの最後を、迎えることしかできない人間だからなんだと、決めつけるみたいに。裕福な生活をするのは、それに値する者だけで、いい。
 べつに、底辺で暮らしていたからって、孤独死をしようと、その人の価値を、他人が決めることは、できない。何が、その人にとって、幸せだったのかは、分からない。じつは、こうして、普通であることに、憧れ、規範から逸脱することを恐れながら、のうのうと生きる、僕なんかより、はるかに豊かな人生だったかもしれない。

・最後に
 僕は、そんな、くそみたいな世界に、ざまーみろって、言いたい。権力の側にいる人が、羨ましくなるくらいに、他の人には、分からない、自分だけの幸福を、みつめながら、しれっと、生きぬいてやりましょう。それが、唯一の、野蛮な考えに対する、抵抗なのだ。

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思考

渦を巻く貝殻

 いま、僕が、世界を感じているふうなこととは、まったく違うように、だれかがこの世界を、感じている。どうせ、お互いが分かりあうなんてことは、できないのだからと、平行線をたどる。結局は、生き方の対立だから、そこに正解はない。それなのに、どうして、こんなにも、他者を必要とする、自分がいるんだろう。くそみたいな社会に、怒りを覚えると同時に、そこでしか生きられないことが、重く、のしかかってくる。

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・くだらないこと
 たとえば、女性が、性について、オープンに語ることを、よろしくないという風潮があるとする。そのルールを世界が、黙認している。だから、革命を起こそう。だけど、空っぽ頭の男は、こう言うだろう。「それなら、俺とセックスをしよう。」それを、先読みしているから、私達は、声を上げることができない。言いたいことを、心に押さえつけて、抑圧されながら、過ごす日々を、もう、終わらせよう。
 だから、あなたは、こう言うべきだ。あるいは、アダルトビデオにでてくる女性たちの、快楽に浸る姿は、女性の、一部分かもしれない。だけど、その一面をみせる相手は、お前ではない。お互いを、尊重できること、対等に、向き合えること、そんなあたり前のことが成立したうえで、関係は、保たれる。女性は、ただの性欲のはけ口ではない。都合のいい存在でもない。自分の意見を言うことを、ためらわなければならない瞬間は、とてつもなく、くだらない。

・深海に沈むもの
 僕は、社会というものは、生きやすいように、変えていかなければならないと、心底、考えてきた。だけど、全員が、そう思っているわけではないんだなと、最近、知った。現状を維持しようとする人が、一定数いる。少なくとも、それに、異議を唱える行為を、ないがしろにしたくない。男性が、持っている特権や、マジョリティーが決めた規範が、支配する世界に、抵抗する。
 いつからか、つねに、なにかしらの答えを、探しているような気がする。不安や、孤独から、解き放たれた人間は、次に何を望むんだろう。これまで、見つけてきた解答が、邪魔になる。だから、それを、捨てる。そして、また彷徨う。その繰り返しのうちに、人生は幕を、おろす。それならば、自由という、途方もない、宇宙の果てみたいな、不確かなものは、いっそのこと、深海に沈めばいい。

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 気付けば、思考の渦に、いる。中心に向かって、強い流れのまま、勢いを増して、突き進むそれは、まるで、螺旋状の貝殻だ。そこで、息をするのは、困難を極める。僕は、こらえるように、そこに、自分の意志で、居続けること選択する。そのとき、考えなければいけないことなのかは、分からない。でも、たしかに、僕の頭の中で、めぐる、戯言は、こうして、ひとつの形になって、発信される。問題意識や、社会への関心を、失いたくない。なんだかんだいって、この世界が、好きなんだ。