カテゴリー
思考

正直さと真実との関係、あるいは一隻の船

 ある一つの、町の史実を、本にまとめようとしたら、最後に、「現在」の姿を、書く必要にせまられる。たとえ、その現在が、すぐに、現在性を失うとしても、現在が現在であるという、事実は、誰にも、否定できないからである。現在が、現在であることを、やめてしまえば、歴史を語り続ける伝承も、意味が、なくなってしまう。

 文章を書く時は、できる限り、正直に書こうと思う。しかし、正直に書くことと、真実を話すことは、また、別の問題だ。正直さと、真実との関係は、船の先端と、末尾の関係に、似ている。まず、最初に、正直さが現われ、最後には、真実が現れる。そこにはどうしても、時間的な、差異が生じてしまう。その差異は、話の大きさ、あるいは、船の規模に比例する。巨大な事実の、真実は、現われにくい。史実の本が、できあがった後に、だいぶ時がたって、やっと、現れるということもある。だから、ここに書く文章が、真実を示さなかったとしても、それは僕の責任でもないし、誰の責任でもない。

 たとえ、真実が見えて来なくても、船を進めるために、正直に語り合い、真実に、一歩でも近づくことは、必要な過程である。「豊かな人間性を育もう」というのは、眠気を誘うスローガンだ。同じく、当選する人物が、はじめからわかっている選挙みたいに。それでも、僕らは、船の舵を、離すことを、してはならない。