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思考

沈黙のことば

 自分は、世界で一番大事なものだなぞと、思っとるかぎり、まわりの世界を、本当に理解することは、できない。世界は、いつも、個人を隔離しようとする。あらゆるものから切り離された僕は、まるで、目かくしをされた馬みたいに、真っ暗闇のなかをただ、暴れ回っているだけなのだ。

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・マルクスを、想う
 資本主義が席巻する社会で、誰しもが、いかにして、収益を絞り出していくかというメカニズムについて、知ろうとする。例えば、10時間かけてやっていた仕事が、8時間で、片付くようになったからといって、一日の労働時間が、短縮されることはない。それどころか、上昇した生産性を持って、より多くの生産物を、生み出すことを求めようとする。そして、新たな収益を、資本家は自分のものにして、労働者の報酬を、増やそうとしない。そんなことは、だいぶ前から、マルクスが、明快に答えているはずなのに、なにも変わる気配は、ない。

・どこまで、自己責任を、押し通すのか
 今のうちは、いい。毎月、振り込まれる給料のうち、少しは、貯金にまわして、残ったお金で、休日に恋人と映画を見るような幸せは、手に入れることができる。きっと、何の魅力もない、能力もない人間が、最後まで、人生を、謳歌することができる社会を目指すのが、正しいんじゃないだろうか。おっさんになっても、バイトをしている人間は、底辺なんだから、そのへんでのたれ死んだとしても、自分のせいと、片付けてしまっていいのかを、これからは問い続けるべきなんだ。

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 「自尊心を捨てろ。草に語りかけてみなさい。何を話すかは問題じゃない。ただ話しかければいい。大事なのは、それを自分と平等に扱うということさ。」いつからか僕らは、ヒューマニズムの波に、侵されている。道端に生える雑草や、塀の上をつたう野良猫、サカナやカラスにたいする共感があれば、彼らの沈黙のことばに耳を傾けることが、できるかもしれない。そして、今を取り巻く、不気味な深刻さに気付く感性を、磨くことができるはずだ。

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思考

道化師の衣

 いつも見つけようとして、それでも、なかなか発見できない、<別の世界>への魂の通路は、いったい、どこに存在しているんだろう。それは、出口のない現実からの、逃避であるかもしれない。目に見えない階級の壁が、道を塞ぎ、行く手を阻む。だからこそ僕らは、魂を、存在から、遊離させるような感覚を、忘れることができない。忙しない社会で、騒然としている都会のなかで、蓄積された否定のエネルギーは、押しとどめようもない。

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・イロニー、あるいは滑稽
 他人のまなざしが、否応なく分類し、レッテルを貼り、自分じゃない自分に、仕立て上げようとする。いま感じている「幸福」も、すべてが、よそおわれた、無知のうえに成り立っているなら、「解放」もまた、イロニーにすぎない。そして、それぞれが、用意された最後の避難場所へと、足を運ぶ姿はなんて、滑稽なんだろう。

・貧困とは
 貧しさが、人を殺すことがある。貧困は、生活の物質的な、水準の問題ではない。「考える精神」を奪い、人と人との関係を、解体し去り、感情を、枯渇せしめんとする、そのような、情況の総体生であると、学者はいう。それは、経済的カテゴリーである以上に、僕らの存在、根本を、おびやかす、哲学の分野にも、含まれる、概念のことだと、僕は思う。

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 いつの時代も、変わらず搾取される、労働力。数十万という新鮮な青年、少女を呑み込んでいく、都会の仕組み。余分なものは、排除しようとする社会。飛翔する自由への意志は、遠い夜空の彼方へと、姿を、消してしまったようだ。
 「望むとおりに理解されることの不可能」という一節が、僕の胸へと、突き刺さる。どうしてこうも、他人の要求する自分を、作らなければいけないんだろう。それは、まるで、衣装を、ごてごてと身にまとった、奇妙なピエロではないか。人は、他者とのかかわりのうちにしか、存在できない、現実を憂う。無念にもにた感情とともに、道化師の衣を脱ぐ日を、待ちわびたい。