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ウーバー配達員をして、分かったこと

 きっかけは、いつも行く銭湯のおっちゃんとの会話だった。お金がないなら、空いた時間に、さくっと稼げるよ。実際、若いやつは、そうしている。その言葉を、鵜呑みにして、僕は、今まで、持っていなかった自転車や、UberEatsのロゴの入ったバッグ、スマホホルダー、持ち歩きできる充電器を、買い揃え、配達員をしてみた。今日は、そのことについて、書いていきたい。

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・低賃金で働く
 一回、配達するごとに、300円の文字が、スマホに表示される。ただ、物を運ぶだけ。そんなの、誰でもできるだろ。なんのスキルもいらない。だから、もらえるお金は、その程度だ。そんな声が聞こえる。けれど、自転車での移動は、結構疲れるし、交通ルールに気をつけながら、商品をお客様のもとに届けるのに、慎重になって神経も使う。これで、300円か。僕は、そう思った。なにか、自分の一部が損なわれたような、感覚。
 なにも、稼ぐ金額が、その人の価値を表すとは思わない。けれど、社会はいつも、お前は、どんな価値を提供できるのかと、問うてくる。その期待に応えるために、努力する。それは、それでいいだろう。結局、生活していくのにお金はいる。でも、能力に応じて、給料が決まるという、そのシステムを全肯定する気にはなれない。なぜなら、僕らは、生まれつき、不器用だったり、仕事ができなかったりする。もちろん、障がいをもっているかもしれない。言うならば、全然、公平じゃない。そこに、文句を言いたいのだ。

・クリエイティブの価値
 けど、やっぱり結局は、それは、努力が足りないからだと、言われるのがおちである。お前の代わりなどいくらでもいる。嫌なら、ここを去ればいい。能力主義というものは、いっけん万能にみえて、残酷な部分もあるのだなと思う。なにも役に立たないものは、生きること自体を、奪われる。そこで、出来損ないの僕らは、手立てを、考えなければならない。
 漠然と、何かを書かなければならないという衝動に動かされる。それが、絵を描くことでもいい。音楽を奏でることでもいい。料理を作るでもいい。何か、手を動かして、ものを創造していく。出来上がった作品なんて、誰が、買うんだ。いま、クリエイティブの価値は、軽く見られている。でも、僕らには、自分のつくりあげるものの価値を、信じてみる覚悟が、必要なんじゃないだろうか。配達員をして、もっとも大きな気付きは、そこだった。要は、その仕事に手をだすことで、芯がぶれたのである。

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 お金がなければ、誰かを頼ればいい。それは、かっこ悪いかもしれない。ろくでなしかもしれない。でも、やりたくもない仕事を、ちっぽけな給料でする必要はない。あなたは、あなたなりの素敵な時間を積み重ねていかなければならない。労働に気をとられている暇はないのだ。
 一方で、ウーバー配達員で、生計を立てている人を、底辺の仕事だと馬鹿にする言説に、僕は強く反対する。簡単に務まることじゃない、なんなら一度やってみればいい。その人の職種で、差別をする輩は、信用しない。僕らは、偶然、この世界に生まれてきて、意味のない生に、いやでも向きあう。しんどくなるときもある。でも、生き続ける意志を捨てない。そこに、知性があるのだ。

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選択しないという選択をする

 思えば、僕らはいつも選択を迫られる。今日、どんな服を着て出掛けようか。夕ご飯は何を食べようか。あるいは、どんな仕事に就こうか。どんな友人と親しくするべきか。些細なことから、ときには、今後の人生を左右されることまで。結局は、何が正解なのかは、分からない。だから、誰かが選んでくれればいいのにと考える時もある。
 ひとつ決断をするごとに、確実に神経は、すり減っていく。やはり、決められる数には限度がある。ならばオートマティックに、まるで流れ作業をするみたいに、ことが進めば、楽になるのに。けれど、不甲斐ない僕は、ひとつのことで、延々と考え込んでしまう。まるで、ふたつの人参を目の前にぶら下げられた馬が、どちらを食べようか決めかねているうちに、餓死をしてしまうみたいに。

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・異星人の話
 もっともセンシティブな選択のひとつとしては、どこまでを自分と同じであるかを、定めるかだと思う。家族であるかどうか、異性愛者であるかどうか、健常者であるかどうか、同じ日本人であるかどうか、さまざまな境界線を僕らは、無意識に引いてしまう。それは、結局は、他者を受け入れことができるのかを、問われていることと同義である。いつか、地球に異星人がやってきたとき、彼らを快く迎え入れるほどに、余裕を持てているか。もっとも、同じ地球人どうしで、戦争を止めることができない状況を鑑みれば、その答えは否である。

・人生は偶然で方向づけられる
 宇宙から、生命体がやってくるまで、まだ時間はあるだろう。(厳密に言えば、わからないけど)それまでに、僕らは、もっと成熟せねばならない。そのためのキー・ポイントしては、選択をすること自体に、それほどまでに、意味はないと、気付くことなんじゃないだろうか。生きていれば、多少のことは、分かってくる。選択の積重ねによって、今という時間があることは、否めない。けれど、そもそも、人生は、必ずしもコントロールできるものではない。予期せぬ出来事により、形づくられたり、流れに身を任せていれば、辿りついた場所はここだった。そんなことが、多々ある。

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 だから、僕らは怖気付く必要はない。医療が発達して、子どもが産まれてくる前に、障がいを持っているかどうかを、判別できるようになる。産むかどうかを、決めかねる。そこに、きっと、正しさとか、正義とか、常識とかは、通用しない。ただひとつ言えることは、はなからその検査をしない。ようは、その選択の場から降りる。選択すること自体を、放棄してしまう。そんな選択もありだということを知っていれば、いささか、生きやすい。社会には、人種、民族、性別、性的指向、さまざまな属性の人が、共に生きている。その、それぞれの命の価値を僕らは、決めることできない。だから、世界は美しいのだ。

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