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自分のこと

僕の中に内在化する死者たち

 それは、予告することなく、突然にやってくる。仕方なく、ドアをあけて迎える。きっと、そうだ。絶望を追い返すことなど、誰にもできないのだ。
 「死は、悲しいことではないのよ」という一節に、なんとなく、気が楽になる。死ぬ前と後では、ただ、魂の在り方が違うのだ。亡くなった後も、死者たちは、人の心に、存在し続ける。ときに生前よりも、もっと深く、濃く、そして大胆に。ふいに、それは、もう僕の中に内在化してしまったのだと気付く。まるで初めから、そこにあるみたいに。決して、他者からの問いかけによって、触発されてできたものではないという考えが、確信に変わる。

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・父について
 父について、語ろうと思う。思春期の僕は、きっと誰しもが通る道だけど、親に対して、素直に、接することができなくて、いつだって、素っ気ない態度だった。もちろん、僕は僕で、同性愛のことで、少なからず悩んでいたし、それで、手一杯だったというのは、言い訳だろうか。
 僕が、男の子を好きなんだと、打ち明けたとき、父は、戸惑っているようだけど、なんとか理解しようとしてくれた。よく面白い漫画を見つけては、息子である僕に勧めてくれたんだけど、ある日、彼が買ってきた漫画は、性同一性障害をテーマにしたものだった。それとは、違うんだけどなと、心の中で思いつつ、でも、なんとか歩み寄ろうとしている姿勢が、嬉しかった。

・性的欲望
 もし、彼が「私は正しい」という信念をまげず、かたくなに、心を閉ざしていたなら、それこそ、僕の居場所は、なくなってしまっていただろう。いつだって、正しさの中には、善かれ悪しかれ、暴力性を、備えているということはだけは、確実である。いつも欲望が、自分自身の内奥を、形成しているような気がする。でも、性的欲望は、隠さねばならぬものだから、みんな打ち明けようとはしない。

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 きれいにトイレを、使用してくださいだとか、ゴミは分別しましょうとか、とにかく、世の中は、どこもかしこも、メッセージで溢れているので、少し、うんざりしてしまう。それは、僕に語りかけているようで、同時にその他大勢に、向けられている。はたして、そのメッセージを、深く心に刻むことは、可能だろうか。
 入り口も出口もない人生というものに、途方に暮れる。だけど、父が死んだ夏の、薄暗くなり始めた夜空を、忘れることはできない。この季節は、どうしても、父のことを、思い出さずにはいられない。

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社会の出来事

ディグニティ(尊厳)、あるいは赤い薔薇に包まれて

 いたるところに散らばる、不協和音の欠片が、頭にまっすぐ響く。僕らが、本当に議論すべき問題は、貧困であり、格差であり、環境破壊であるはずだ。どれだけ長い時間がかかろうと、そろそろ、この惑星と、向き合うべき瞬間が、もうすぐそばに、きている。
 「核兵器のない世界をめざそう」なんていうきれいごとは、まだ純真という言葉が似合いそうな大学生が、叫ぶ言葉のようだ。もし、大物政治家が、そんなことを発言すれば、世間の嘲笑を、浴びるかもしれない。でも、はたして、それでいいのだろうか。

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・自由と公正
 発行部数の多い新聞が、認めてくれるかどうかを、基準にして、政策を、決定するようなところまで来てしまえば、もう打つ手はない。数千年かけて築いてきた、何ものにも代えがたい「自由と公正」は、感情的な手段によって、簡単に粉砕される。シリアに、空爆をおこなうかもしれない、トランプ政権に、一言かけるなら、今こそ、見せるべき姿勢は、連帯、寛容、共感といったものではないか。排外主義になれば、それこそ、相手の思うつぼである。

・画一的
 国民全員が、同じ生活水準で生きているなどという、子どもでもわかる大嘘を、かつて、信じていた時代がある。安倍政権の「一億総活躍」というスローガンは、国民を、画一な一つのものにしようとする、意図はわかるが、それに、当てはまらない人間はいない者にされる危険を、はらんでいる。それは、暴力の何ものでもないと、ここで、言っておくことが必要なのだ。

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 富む者も、貧する者も、性別や、性的指向が、自分とは違う人も、すべての人間が、平等だという概念は、教育で教わっているので知っている。でも、その平等である理由が、自分を含めた、すべての人間に、ディグニティ(尊厳)があるからだということは、ピンとこない。あまり、日光を浴びることのない劣悪な土壌にも咲く薔薇は、苦境や貧困に咲く花のシンボルと、言われることがある。赤い薔薇に包まれて、この僕にすら、厳かなものが与えられていることを、思い出しながら、眠りにつく。