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思考

ノット・ギルティ

 都会の片隅で、ひっそりと、消えそうな灯火を頼りに、明日を待つ。目的なんてない。意味を、見出そうとする、意欲さえ、枯れ果ててしまった。もし、救いが、あるとするなら、まだ、誰も踏み入れていない領域を、侵す瞬間に、存在する、野望だ。七色の光に、包まれた、荒野は、ただ、まばゆい。
 辿り着いた場所は、何もない空白のくぼみだった。僕が、いま生きているところは、時間軸をも、越えてしまいそうだ。たとえ、息ができなくとも、もがきながら、歩く。助けを求めたけど、返事はない。
 
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・自分から離れる
 いったい、どうして、生きづらいのか。こういう環境だから、仕方ない。周囲の人間が、嫌なやつばかりで、どうしようもない。貧乏で、希望を持つことさえ、ままならない。親が馬鹿だから。おうおうとしてある、ファクターは、時間とともに、自らに、はね返ってくる。本当は、ただ、ここにある、自分の存在が、疎ましいだけなんだ。そう、気付いたときに訪れる、死んでしまいたい衝動。けれど、あなたは、生きるべきだ。
 自分から離れることを、望むことは、悪ではないし、罪でもない。というか、本当は、娯楽も、欲望も、恋愛も、労働も、根幹にあるのは、自我の消滅を、望む声だと、僕は、思っている。自分が、無になる、刹那的な時間。それほど、心地いいものはない。

・「共同性」とは
 学校や、職場で、出会う人たち。それは、(僕にとって)絶対に、切り離せないものでは、ない。頻繁に、連絡することもない。地元に、縛られるという感覚への、不理解。そこが、つらいなら、どこか、ちがう場所に、行けばいいなどと、思ってしまう。けれど、家族だったり、友人だったり、その人間関係に依存しなければ、生きていけない現実も、ある。
 「共同性」という、言葉に、ひっかかる。それって一体、どんな意味なんだろう。たぶん、それは、秩序を保つための、道具なんだと思う。みんなと違う行為や、他人の尊厳を傷つける行いを、してはいけない。社会化されていくことに、なんの、疑問を抱かないなら、それでいい。だけど、まともな、礼儀正しい振る舞いが、できない人間を、コミュニティから、排除していく。そこに、問題が、ある。

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 いっそのこと、自分は、一人で生きて、一人で死んでいけますということを、明言できたら、楽なんじゃないか。そういう人生も、ありなんじゃないかという、可能性を、捨てない。許容できる範囲を、拡げていく。価値観が、多様になる。もし、知というものが、あるなら、それは、今に、絶望している人のために、使われるものだと、僕は、思っている。