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映画レビュー

006 「ダンケルク」(2017)

<基本情報>
クリストファー・ノーラン監督が、初めて実話を基に描いた作品。
第2次世界大戦時、史上最大の救出作戦と言われる「ダイナモ作戦」が主軸となって展開される映像は、迫力満天。
フィオン・ホワイトヘッドは、監督に大抜擢され、初の映画出演を果たす。
第90回アカデミー賞において、作品賞など複数の候補にあがる。

 これは、戦争映画だ。率直に言って。だからといって、戦火を交えることを賞賛したりはしない。ただ淡々に、かつて国と国が、利権を奪い合っていた事実を、いろんな時間軸で描く。そこで生きる個人が、どんな思いで生き抜こうとしていたか、あるいは、どんなに悲惨な状況でも、人間らしさを失わないでいたかを、スケールの大きい世界観のなかで、細かく再現されている。

 僕は、戦争を知らない。飢えた経験もないし、国のために自らの命を捧げる覚悟もない。上空から爆弾が落ちてくる恐怖を味わったこともないし、とんでくる銃弾をよけてひれ伏したこともない。だからといって、自分とは関係のない出来事だから、考える必要はないとは思わない。だれだって戦争はしたくない。人が死なない方がいいだろう。当時の人たちもそう願っていたにちがいない。でも、闘いの火ぶたは切られた。その真実は、深くこの胸に焼き付けなければならない。

 グロテスクな映像や、血がいっぱい出る残酷なシーンは、僕は苦手だ。でも、そんなことではすまされない行為が、往々にして繰り広げられた真実は、今を生きる僕たちは知っておくべきなんだと思う。知ったからといって、何かが変わるわけではないと、あなたは思うかもしれない。だとしたらこの映画を観るべきだ。観終わったあとに、他人を傷つけることの意味や、生きていくことの人間の執着について、考えたなら、たぶん、この作品の製作陣は、報われるだろう。

 もうすぐ、夏が来る。なぜかこの季節は、緊迫した気配を感じる。かつて、交戦した兵隊たちも、同じ暑さに汗をかいたんだと想像する。戦後70年を越えた日本に住んでいれば、戦争について考えなくても、暮らしていける。戦争について語ることは、困難かもしれない。でも、世界には、難民が大量に溢れ、行き場をなくした人たちがいる。空爆におびえながら夜を過ごす彼らがいる。クーラーの効いた部屋で戦争映画を観る僕たちが、考えなければならないのは、その危機感についてだろう。この映画が、語るべき神髄は、そこにある。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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