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自分のこと

夢のもとに跪け

 とりあえず、息のできる場所に、逃げたかった。夜になると、近くの港まで自転車を漕いだ。そこから、向かい側にそびえるビル群の明かりを見ながら、祈りつづける。どうか、このさき、今よりも闇が深まりませんようにと。セクシュアリティーを自覚し始めた高校生の僕は、毎日そんなことをしながら、日々を乗り切っていた。たぶん、学校とか、社会のなかで、居場所を見つけられない孤独を、紛らわせていたんだと思う。
 悲しみの感情とは、逆に、ずっと、こんな景色が見れたらいいなと願う、幼くて、脆くて、はかない考えが、頭の中にあった。「感受性」という言葉が、どんな意味を持つのかが、あまり分からないが、それが僕の中で膨れ上がり、現実という高い壁を、無様にたたき壊す想像を張り巡らせていた。青春という、淡い気持ちは、確かに存在していたが、それよりも、何者にもなりえない自我を抑制することが、勝っていた。将来なんてものは、微塵も考えず、あれから長い年月を経て、今、順調に、僕は、くそな大人になりつつある。

    ★     ★     ★

・セクシュアリティー
 「おっさんずラブ -in the sky-」の放映が始まり、注目を集めている。たぶん、僕が子どものころから、ずっと観さされていた物語は、男と女が惹かれあう、恋愛ストーリーだ。異性愛を前提とする社会のなかで、それが強制されてきた頃に比べれば、同性愛をテーマにしたドラマが、できるのは、ある一定の評価ができる。セクシュアリティーという繊細な問題にたいして、コミカルに表現する手法は、斬新だ。

・アイコン、あるいは人間の一部
 だけど、LGBTの人たちって、こんなドラマみたいに、突然キスしたりするんだと、思われては困る。あれは、フィクションだから、そういうつくりになっている。観る人にとっては、興味をひく展開なのかもしれない。だけど、同性愛は、決して、異性愛者を喜ばせるアイコンじゃない。学校や、会社や、地域で、あなたの隣にいる、身近な人の性的指向に過ぎない。あるいは、人間の一部だと言っていい。そこには、笑えない問題もある。差別や、偏見を恐れながら、毎日を過ごしている当事者も、いるかもしれない。そのあたりの、リアリティーを、僕は、見落としたくない。どうか、性の多様性が、したたかに、声高々に、唱われる社会になることを、願っている。

     ★     ★     ★

 夢の話をしたところで、意味なんてない。だけど、間違いなく、無意識と意識の狭間の現実と、関連する場合がある。朝を向かえ、目を覚ます瞬間に、それはくっきりと輪郭をのこし、僕の脳裏に刻まれる。それは、非情な世界に咲いた、一輪の花のように、幻想的な体験だ。何を、言いたいのか分からないけど、そんなときは、ただ、夢のもとに跪くしかない。

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社会の出来事

僕の全て

 各々の考え方で、生きたらいいじゃないかと、僕は思う。地位や名誉や威厳を、保ちたい人は、そうすればいい。人間関係に煩わされたくない人は、無人島に住めばいい。働きたくない人は、自由にしたらいい。それで、社会が崩壊してしまうなら、そのときに考えよう。
 高齢化していくなかで、社会保障の財源を、どう確保するのか。もちろん、シビアな問題もある。だけど、なんだかんだで、変わらない営みが続くのは、人間のもつ理性のおかげである。税金を払おう、つらい朝に、めげずに通勤しよう、知識を身につけ、役に立つ大人になろう、それぞれが、なんらかのルールにそって生きている。それを、僕らは「秩序」と呼ぶ。

     ★     ★     ★

・そんなジャーナリズムなんて
 とある芸人さんが、納税を怠ってしまったことについて、無責任であると、テレビが言う。それは、分かる。でも、名前の売れている人の不祥事をとりあげるのって、くだらない。失敗をおかしてしまったことについて、ある一定の社会的制裁を受ければ、それでいいんじゃないかと、思う。何回も、何回も、顔や名前をさらして、まるで、悪の権化みたいにするのって、極端にいって、不愉快だ。もっと、取り上げられなければならない事実が、たくさんある。それらを無視して、一人の人間を責め立てることしかできないジャーナリズムなんて、いらない。

・パラダイム
 冷戦が終結したとき、あるひとつのパラダイム(理論的枠組み)が失効する。世界における理解の視点が、バラバラになり、それぞれの個人は、自由になる。それから、世の中は、どんどん複雑になる。テロリズム、排外主義、自国ファースト、貿易戦争、すべてが、いまに繋がっているのだ。たぶん、僕らは、なにを大切にすべきなのかを見失っている。分かりやすい数字や、株価に踊らされる光景は、ほんとうに愚かだ。

    ★     ★     ★

 僕と社会をつなぐ物語が、シンプルで、かつ強固なものであるとき、それは、心の平穏を連れて来る。でも、人生は、そんなに簡単じゃない。信じることを、やめてしまった瞬間に、ぼやけていく、他人との関係性。自分を自分たらしめる、理由や、必然性が欠如しているのだ。だから、とりあえず、歴史をたどってみる。たぶん、宇宙の始まりから考えたら、僕の生きてきた30年は、1秒にもみたない。だから、どんなにやりきれないことも、それだけのことだと、うけ流していける。勇敢にもなれる。ただ、もし、一人で泣いている人が、いれば、そこに寄り添いたい。それが、今の僕の全てだ。

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詩的表現

レトロニム

もう何もしたくない。

本心を言えば

そうだ。

心情を

吐露することでさえ

無意識に

避けてしまう。

こうあるべきだという

模範が

たまらなく

ばかばかしい。

僕の思考を

がんじがらめに

縛り付ける

常識や規範。

もう

そんなものは

はじめから

なかったかのように

自由になろう。

してはいけないことなんて

なにもない。

人の行き来を阻む

国境なんて

存在しない。

世界を

放浪する

旅人の

足をとめる

権利が

いったい

誰に

あるんだろう。

あなたの

信じる

神は

してはいけないことを

決める。

信仰を

とめることはできない

人間の

あるべき姿を

示せる人なんて

存在しない。

だから

自分の

価値観を

押し付ける

行為が

もっとも

浅ましいことに

はやく

気づけ。

今日も

何処かで

レトロニウムが

生み出される。

新しい概念が

古いものを

更新していく。

未来を考える

時間もなく

あっというまに

過ぎ去る日常。

不器用すぎる

あなたは

ただ

生きるのが

下手なのだ。

この僕と同じように。

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思考

心の違い

 人間の性質を、まざまざと浮き彫りにする歴史は、もうだれにも目に触れない海の奥底に沈んでしまったかのように、ひからびてしまう。人と人が争い、殺し合いまでしてきた末に、訪れた平和の意味を、置き去りにし、相も変わらず、自分だけが幸せになろうとする。

     ★    ★    ★

・アナキズム
 権力や権威自体が、悪いことではない。国単位の大きなものを統治するには、それが必要になるんだろう。この世界が、不条理であふれ、不公平に扱われることを、僕らは肌で、感じている。アナキズムに傾き、革命を志し、失敗を重ねたのは、けっして意味のないものではない。問題は、公人であるはずの彼らが、大衆の私財を奪うことだけに、集中していることだと思う。それも、少数の蓄えがある人ではなく、切り詰めて生活する、一般市民から、搾取しようとする。

・糊塗し続ける僕らの行く先
 社会福祉が行き届いて、老後も安心して暮らしていける国にしたいと、切に願っている。良いことをしていく、というシンプルな方針を、疎かにし、いかに税を絞りとるかに躍起になる。お金は、湧いて、でてこない。僕にだって、分かる。それでも、失敗を糊塗し続ける先に待ち受けているのは、絶望でしかない。それを、予期しているのは、けっして、保身に走る、頭のよい政治家だけではない。みんなが、わかっている。だけど、必死になって、平穏な日常を守ろうとしている。その努力を踏みにじるな。それを、僕は言いたい。

    ★     ★     ★

 一度でも戦争によって、人生をないがしろにされた者と、生まれてから、ずっと自由を保持してきた者との間にある溝は、埋まらない。同じ姿、形をした人間でも、その中身は、まるで別物のように存在している気がする。それを「心の違い」と言葉で片付けることは、簡単かもしれない。どの時代に生まれてきたか、どの身分に属していたのか、どんな社会環境だったのか、まるで異なる空気を吸っているヒトを、同じ生き物だとするならば、それは横暴ではないだろうか。”平等”という概念がうまれてから、もういくぶん、時は経つ。
 資本主義が、行き詰まり始めたのは、別に、今に始まったことではない。商品を、いかにコストを抑えて、できるだけ多く生産できるか、それに踊らされて、とくに吟味することなく、手当たり次第消費する客、そして、余ったものを大量に廃棄する社会は、もう無理がある。豊かになることは、本質的に、先に期待できない制度を、維持することではない。少しづつ変わり始めた先に待つのは、どんな社会か。それを見定める作業が、必要だと思う。

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詩的表現

エクレクティシズム

もはや

僕らを

区別するのは

「男」という言葉ではないし

まして

「女」であることではない。

訳が分からないと

あなたは思うだろう。

でも

はたして

今まで

自分とは何者かを

はっきりと

定義できたことが

あるだろうか。

ただ男というストーリーを

あるいは

女という物語を

歩んできたにすぎない。

そこには

もちろん

男尊女卑が

含まれている。

無意識のなかに

たしかに存在する

刷り込まれた

世界観。

ただ

ひとりの人間であることが

証明できればいい。

それさえも

危うい世界では

人権なんて

言葉が

かすんで見える。

国や時代を越えて

エクレクティシズムな思考を

もてたらいいのに。

ほんとうに

真っ正面から

議論すべきことを

後回しにする。

なにか起こらないと

問題にしない。

誠実に

生きている人間を

追いつめる。

他人への親切を

あざ笑う。

歪んでいく世界を

横目に

淡々と

日々が過ぎていく。

自分という存在を

消し去るように

外には

無限に

空間が

広がっている。

最果てまで

いってしまいそうな

あなたを

呼び止める

力は

僕には

ない。

だから

せめて

今日だけは

抱きしめあおう。

肌寒い

冬の季節が

そう言っている。

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映画レビュー

014 「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2017)

<基本情報>
社会派で知られるイギリスの巨匠ケン・ローチが監督を務める。
2016年、第69回カンヌ国際映画祭で、「麦の穂をゆらす風」に続き、2度目の最高賞パルムドールに輝いた。
今作では、彼が、引退を撤回してまで、描かなければならなかった現状が浮き彫りになり、社会風刺が炸裂する。

 この作品のテーマは「貧困」だ。だから、とてもタイムリーだと思う。消費税の増税、弱者切り捨て、非正規雇用の増加など、どうみても暮らしやすい社会とは言えない日本にも、往々としてその問題は、ある。生きていくには、お金が必要である。ほっといても腹は減るし、家賃だって、払わなければならない。だけど、いろんな事情で、働けない人だっている。そんな奴は、ひっそりと死んでいけというのだろうか。

 主人公・ダニエルも、心臓の病気を患い、国に援助を求める。本来なら、福祉が役割を果たすときだ。だから、僕らは税金を払っているのだ。政治家や公務員のいい暮らしを支えるためではない。けれど、彼をとりまく環境が、好転することはない。それは、観ていて、とても悔しい。行政にたいする不信、苛立ちは、どこの国にも、少なからず、あるんだと考えさせられる。何のためにあるのか分からない制度、決まり、規約。それに振り回される市民。

 シングルマザーのケイティも、同じく生活に困窮している。彼女が空腹に耐えきれずに、人目もはばからず、食べ物をほおばるシーンが印象に残っている。よく考えないで子どもをもうけるからだとか、頼りない父親を相手にするからだとか言う批判は、すべて的をえていない。だれしもが、自分の人生を、思いどおりになんかできない。そんなことはないという人は、たぶん圧倒的に環境に恵まれているからだろう。ほとんどの人は、そうじゃない。

 この物語は、どんなに貧乏でも、けっして人間の尊厳を失わない、誇り高い人間の姿が、ありありと刻み込まれている。うまくいかない人生にたいして、容赦なく自己責任論を、ぶつける。そんな理論は、なにも信仰を持たない愚者の戯言だと、無視すればいい。彼らは、ただ資本主義の虜になっているに、過ぎない。社会は、いとも簡単に、個人を追いつめる。胸に宿る、崇高な炎を、荒々しいタッチではなく、淡々と静かな怒りとして表現している作品だ。

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映画レビュー

013 「おじいちゃん、死んじゃったって。」(2017)

<基本情報>
ソフトバンクなどのCM演出を手がける、森ガキ侑大が監督を務める。
映画初主演となる岸井ゆきのが、祖父の死をきっかけに、親族たちとの交流を重ね、本当の家族の形を模索していく主人公を熱演。
親類たちを岩松了、水野美紀、美保純、岡山天音が演じる。

 家族も、いつか亡くなる。存在することが、あたり前すぎて、その不在を想定するのが困難なときがある。ふと、そうした時期にさしかかったときに、噛みしめる感情がある。どうして、人は大切なものや、かけがえのないものを、失ってからじゃないと、気付くことができないんだろう。幼い頃に世話になった、恩を返したいと思う頃に、その人は、もういない。

 吉子(岸井ゆきの)は、彼氏とセックスしている最中に、ある電話をうける。それは、祖父の死を報せるものだった。そのことについて、彼女は罪悪感を持ってしまう。べつに、悪いことをしているわけでは、ないのだけど。生と死と性が、複雑に絡み合う世界は、どこか虚しくて、寂しい。自分の中にある孤独を再発見していくなかで、それでも、葬儀に集まった親戚たちと、言葉を交わしていくうちに、死者にたいする尊厳を学んでいく。

 海外でロケが行われたシーンがある。たぶん、国や宗教によって、死を弔う方法だったり、死んだ後の世界の考え方だったりが、いろいろ違ってくる。彼女は、祖父の葬儀のあと、インドを訪問する。それが、示す意味だったり、捉え方はひとそれそれなのだが、僕は、すごく必然的な流れだと思った。死という、いっけん、悲しい事柄に該当するものにたいして、ふたをするんじゃなくて、日常の身近なところに、それは、あることを、教えてくれる。

 脇をかためる、親類たちの演技が、とてもナチュラルで、共感できる。家族って、そんなものだよねとか、たまに親族で集まったら、そういう展開が起きるよねっていう、すごくありふれた場面を、あらためてスクリーンを通して鑑賞するという体験は、今まであったようで、ないものなので、新鮮だ。親戚の叔父さんが煩わしかったり、小言をいってくる母を避けてしまったり、痴呆症の祖母を面倒に思ったりするけど、家族というシンプルな関係を、再構築していく物語は、力強い。

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詩的表現

シグナル

頭の中で

浮かび上がる

物語は

いかにも

陳腐だ。

空想で

出来上がった世界は

リアルさの欠片もない。

でも

僕たちは

ストーリーを

紡ぐことを

静止できない。

自分を理解する術を

それしか

持ち合わせていないからだ。

連続する時間は

わずかな

振動をおこし

自己の目覚めを

待つ。

美しいという

概念は

もはや

過去の遺物に

成り果てる。

醜さ、醜悪さ、歪さが

世界を覆う。

悪が放つ

シグナルを受信した者だけが

強者になりうる社会に

なにを

望めば

いいのか。

正しさを

説こうなんて

思っていない。

無機質な感情が

行き場をなくす。

もし

愛について

あなたが

知りたいというならば

僕は

風に吹かれればいいと言うだろう。

思い出の中に

存在する

丘に登り

鼻歌まじりで

立ち上がる時を

待つ。

それから

君の旅が

始まる。

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思考

最後の砦

 自分の力で、人生を切り開くなんて、とてもかっこのいい言葉だ。それが、できたら、何も苦労なんてしない。目に見えない力に、頼ってしまう。いっそのこと、あなたの運命は、もう初めから、決まっているというお告げが、あれば、僕はすんなり、受け入れてしまうだろう。それほど、生きることは、過酷と、無慈悲に溢れている。

      ★     ★     ★

・正体は、いずこ
 生きづらさについて、僕らはもっと、おおっぴらに語らなければならない。絶望のなかで、生き抜こうとしている名もなき誰かが、諦めに辿り着き、自ら命を絶つ。身寄りのない浮浪者が、助けを呼べずに、ひっそりと路上でことぎれる。生活に困ったシングルマザーが、心中しようとする。彼らを、追いつめたものの正体をつきとめる作業を避けるように、世間は、なにもなかったかのように、忘れていく。

・競争が全てなのか
 そんなの自分のことで精一杯だ。他人に優しくしているうちに、置いてけぼりをくらう。明日が、我が身だ。相手を蹴落とさなければ、自分が貧乏暮らしだ。できることなんて、ない。責任を負うなんて、まっぴらごめんだ。お金を、生み出さない行為に意味なんてないし、やるだけ無駄。徹底的にコストを切り詰めて、利潤を最大化しよう。だから、非正規雇用者が、生活できなくても、構わない。それが、資本主義の国の在り方だ。

・宿痾
 これは、もう僕らの宿痾だ。なにからなにまで、株式会社のような仕組みにしてしまった過ちの歪みが、表面化している。利益を追い求めることを、いけないとは思っていない。別に、好きにやればいい。例外的に、無欲さや公徳心を求めるのも酷だ。問題は、市場原理主義が、いまある全ての組織の基本みたいになっていることだ。でも、それじゃあ、国は良くならないし、弱者を救ったりはできない。ここで、僕が、はっきり言っておく。

     ★    ★    ★

 「夢」や「希望」が、あまりにも、僕とは関係のない言葉になった。何者かになろうなんて、はなっから考えてはいない。他人に迷惑をかけてはいけない。お上の指示に、逆らってはいけない。税金を払いなさい。良き市民でありなさい。僕を縛りつける号令が、言霊のように降り掛かってくる。息の詰まる社会で、だれしもが、声を上げることなく、必死に小さな幸せだけは、守ろうとしている。最期の砦として。
 いまのやり方で、富を蓄えられている人は、そりゃ変えたくないでしょ。既得権益を守るために、現状維持を望むのは、あたり前だ。そして、波風をきらう、従順な日本人は、トップのいうことに素直にきく。それは、とても住みにくい社会だと思う。政治って、いったい誰のためにあるのかを考え直してほしい。

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詩的表現

オルタナティヴ

いつまでも

そこで

幻想に

つかっていてばいい。

けれど

現実は

刻一刻と

進んでいく。

この先

何十年後の

国の姿を

予測できる者など

存在しない。

でも

ずっと

経済が

成長していくというのは

妄想だ。

だから

僕は

オルタナティヴを模索していく。

企業に守られて

いい思いをする

人間の数は

限られてくるんだから

競争に勝たなくちゃいけない。

だから

勝ちのぼる

努力をしないやつは

底辺で

貧乏暮らしを

していればいい。

資本主義の波にのることが

たったひとつの正解なんだから。

そう考えている奴は

別に好きにすればいい。

好きなだけ

儲ければいい。

自分が生きている時間だけ

思い通りになればいい。

その先のことなんて、

お前らが自分で考えろよ。

そんなんで

いい国になるはずなんてない。

いつから

僕らは

「知性」を

捨ててしまったんだろうか。

もう

なにも考えない大衆の

一人になるのは

ごめんだ。

だから

声を上げろ。

腐りきった世界に

希望を見出せ。

絶望に

負けるな。