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社会の出来事

つながり、あるいは家路につく途中で

 幼い頃の記憶が、徐々に風化していくのが、分かる。数十年の時を経て、僕は、大人になった。でも、なぜだろう。酒を飲みながら、楽しそうに話す父親の姿が、それを見守る優しい母親の眼差しだけは、忘れない。というか、どこまで考えても、僕のルーツは、そこにしかないと思い知る。
 仲睦まじく手を繋いで散歩する老夫婦、母親に連れられて保育園に向かう子どもたち、いぶかしげな表情で、目の前の風景をカメラで写真に収めようとする青年、朝のなにも変哲のない公園の風景は、やがて営みとなり、過去となり、歴史となる。1日1日が積み重なってできる現在が、今日も、滞りなく終わればいいと思う。そこで生まれる人と人とのつながりは、なにものにも、代え難い。

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・再考
 川崎殺傷事件を、ネットニュースで知る。報道を見ていると、孤立する人間を、いかに社会に包括していくかが、語られたりする。でも、ひとりになることを自ら選んだ人間を、気にかけるほど、世間は、甘くないという人もいるだろう。ひとりで死ぬなら、迷惑をかけず、だれも傷つけずにひっそりと死ねという気持ちも、少し分かる。誰もが生きづらさを抱える社会で、あるいは、まともに生きることが難しい時代に、僕らは、いかに、つながりを維持していくのか、自分と他者を結ぶゆえんは何なのか、生きがいをみつけるには、どうすればいいのかを、もう一度考えてみるべきだ。

・たくさんの人間たち
 こんなおかしな社会で、悲惨な事件をおこす奴がいても仕方ないという、空気感が怖い。まぎれもなく社会とは、僕ら自身のことであると思うし、そんな世の中を、是としてきたのも、僕らだ。じゃあ一体、自分たちに何ができるんだと、あなたは思うだろう。まず、僕が取り上げたい視点は、たくさんいる人間を、同じとして、考えていいのかということだ。容疑者は、他人との接点は、皆無に近かったという。でも、たぶん孤立している人間は、他にもたくさんいる。(ひきこもりと呼ばれたりする。)それが、事件の要因となったのか、あるいは、彼自身の固有の問題なのかを、見極めるべきだと思う。

・バックグラウンドを考える
 それによって、社会が行う介入の仕方が、大きく変わってくる。もし、おなじ状況におかれた人間が、同じように、犯罪を起こす可能性があると考えたとしよう。きっとそれは、多くの人を傷つけるだろうし、差別や偏見を生むだろう。個人的に僕は、人間は同じように見えて、実は異質な存在だと考えている。だって、そりゃひとりひとり育ってきた環境や、出会ってきた人が違ったら、考え方も、それぞれになるだろう。まして、生まれた年代や、国籍が違う人間を、同じグループとして捉えるのは、強引すぎではないかと思う。

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 この事件について、有識者たちが、意見を述べる。そりゃそうだろう。なにか言わなきゃ、あるいは分析して新たな知見を得なければ、どうして、何の罪もない人々が被害に遭ったのかを、呑み込めない。テレビで交わされる考えはどれも一般的で、当たり障りのないものかもしれないけど、そうやって、次に悲劇をうむ前に、どうにかしないといけない焦燥感が、みなにある。死んでいい命なんてない。社会をかえることができる。亡くなった人たちの魂に、思いを馳せる。それは、いつも仕事が終わり、家路につく途中だったりする。

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社会の出来事

自分が勝てるゲームに参加すればいいと思っている

 通勤電車に揺られながら、みなが同じ格好をして、会社へと出かけていく風景は、何気ない日常のひとつに違いない。でも、少しでも違和感を覚えたなら、あなたは、その直観に従って、生きるべきだと思う。どこかしら誰しもに、みずからを解放する時間が、きっと必要なのだ。僕は、なにも毎日、汗水流して働くひとが全員、不幸なのだとは言っていない。
 みんなが嫌がる、やりたくない仕事を、誰かが請け負っているからこそ、社会が潤滑に進んでいるのだし、感謝すべきだ。でも、ずっと必要以上に我慢して、それこそ身体を壊してしまうまで、労働に勤しむことはない。みんながみんな、好きな生き方を選択すればいいと思っているし、過去の伝統的な価値観に縛られる必要は、ない。

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・苦痛
 不登校の10歳の少年が、youtuberとして、世間の注目を浴びているのをみて、さまざまな意見が飛び交う社会は、案外、正常なのかもしれない。まず、僕が思ったのは、義務教育を終えて立派な社会人になることが、ひとつの全うな生き方という考えが、自分のなかに、案外おおきな塊としてあるということだ。だから、学校に行かないという選択をする子どもの主張に、モヤモヤとした感情が生まれた。自分も苦労して、学校に通ったんだから、僕が感じた苦痛から逃げるあなたは許せないと、言いたいのでない。

・批判
 学校にいかないという選択と、学校に通う生徒はみんなロボットのようで、自分で物事を考えない人間を量産しているという考えを、同じに扱うことを避けるべきだろう。もし、彼が、学校で、教育をうける子どもを愚かだと位置づけるなら、批判がたつのは当然と言える。

・許容
 同じ教室にいる生徒たちは、ひとつの空間に存在している。でも、だからと言って、みんなが同じレースに参加している訳ではない。それぞれの人生の隙間に転がり込む彼らは、それこそ階級、性別、人種といった、様々な社会環境のなかに属していることになる。つまり、そこには複数のゲームが、展開している。その中から、合理性を鑑みて、自分が勝てるゲームに参加すればいいと、僕は思っている。要は、くしくも、この社会は、自分が選択した人生に責任を持ちなさいと、けしかけてくる。その残酷な真実を、呑み込めさえすれば、どんな生き方も、許容されるべきだろう。

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 人の人生なんて、それぞれだよね、って言えれば、楽なんだけど、どうやら社会は、なにか正解を欲しているのだろうか。ある意味で、暴力的に、あるいは刹那的に。不安に駆られる衝動と、豊かな暮らしを求める人間性は、初夏の遠い青空の中に、飛んでいってしまう。僕らは、自分のことを正常だと、思い込んでいるに違いない。
 いうまでもなく、学校に通うことで、成長できる部分もある。でも、同じ教育を受けたからといって、みんながみんな素晴らしい人間になるとも限らない。学校に、いかなくても、目覚ましい才能を発揮する人もいる。混迷する社会において、絶対的に正しい選択なんて、ないんだから。そうだとしたら、自分に合った人生を歩むべきだと、僕は思う。

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問いをずらす

 LGBTという言葉を耳にするようになって、久しい。どうやら、社会には、そういう人たちがいるようだと、認知されはじめている。少なからず、嫌悪を抱く人、変な人だけど害はないので程よく距離を置く人、差別や偏見と向き合い、正しい知識を啓蒙しようとする人など、いろんな人たちがいる。あたりまえだけど。
 僕たちの社会は、いくぶん、他者のありかたを、尊重しようと、努力していると思う。男性が男性を好きになろうと、女性が女性を愛そうと、好きにすればいいというスタンスは、崩さない方がいいだろう。けど、こうしてブログで、自らのセクシャリティーを語り、同性愛について言及することが、非常に困難な時代があったことを、忘れちゃいけない。権利を、勝ち取るために、それが、波風を立てようとも、それを嫌がる人がいることを、知ってながらも、闘いを、挑まなければならないときがくることを、知っておくべきだろう。

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・自民党・平沢勝栄議員の発言について
 「同性婚を認めないわけではない。でも、この人(LGBT)たちばっかりになったら国はつぶれてしまう。」
 この発言を聞いたときに思ったのは、やっぱり国を動かす人で、いわゆる、いい大学を出て、勉強を一生懸命してきた人の中には、頭の固い考えの人が、多かれ少なかれ、いるんだなと、落胆したのである。性的志向は、みずからの意思で、変えられるものではないということは、もう広く知られている(と願う)だろうし、そういった批判は、甘んじて受ければいいし、なんなら、正しい知識を深めてもらえばいい。

・這いつくばって、生きる
 問題は、この人が、一般人ではなく、公人であることだ。なにも、国になにかして欲しいと言ってる訳ではない。選択として、同性婚があればいいなと思うし、別に、異性愛者の権利を、剥奪しようなんて思ってないし、秩序を重んじる日本社会に、混乱を、もたらそうとも、思ってない。僕は僕で、不器用ながらも、必死に、這いつくばりながら、生きていこうしている。

・公人としての、覚悟
 本来なら、政治は、もがきながら人生を歩んでいる人の背中を押し、不条理な悲劇を減らしていくものだと思う。僕は、公人として、生きていく人の覚悟をみたい。これから日本をどういう国にしていきたいのか、ビジョンを示して欲しい。想像力の欠如は、なんの落度のない人を傷つけるだろう。高度経済成長を終え、どうやって食っていこうかとシビアな問題も、たしかにある。でも、やっぱり、現代社会は、めまぐるしく変わっていくことは、避けられない。そんな時代に、少しでも、希望をまいていこうとするのが、政治家の仕事なんじゃないだろうか。

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 平沢議員の誤解について、あれやこれやと、噛み合わない議論をしたいんじゃない。短絡的な思考に陥るのではなく、ときには、問いをずらすのも、いいだろう。大事なのは、彼が、何を言っているのかだけに注視するのではなく、彼が、なぜ、そういう思考に至ったかを、分析するべきだと思う。個人の価値観、バックグラウンドは、多種多様だ。多様性を重視する社会なら、結果として、誤った発言を糾弾するのではなく、今後の道しるべとして、どう役立つかを考えるべきだ。

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誤謬

 空白の時間が、孤独という怪物を、呼び覚ましていく。自分の死に、一体どれだけの意味があるのかを、問い続ける日々は、空虚に等しい。最終的に、国家や宗教や社会に、死の意味付けを、求めるようになれば、僕らは簡単に、偽物の思想に、身を滅ぼすことになる。結局は、最期の瞬間まで、僕は僕でいたいという欲求が、収まることはないのだ。

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・言論の自由
 新潮45の休刊という報せを、ネットニュースで知る。小川榮太郎氏が寄稿した論文の内容を受けて、炎上した責任をとるという形らしい。炎上商法に乗っかるにみたいで、雑誌は買ってないし、記事の内容も、しっかりとみてないけど、どうやら、中身は、杉田水脈氏の論文を、擁護する立場なのだ。言論の自由は、あっていいと思う。でも、だからといって、何を発言してもいいわけじゃない。文章を書く人なら、分かると思うんだけど、自分が綴る文字たちが、どんな人に届いて、どんな作用を引き起こすのかに、それはそれは、繊細な努力を積み重ねている。

・最低限の気遣い
 思考のプロセスを、提供していると言ってもいい。変に、感情を逆なでするような言い回しを避けたり、他人を容赦なく傷つけるような言葉を、使わないようにしようとする試みが、阿呆らしくなる彼の文章の内容は、マジョリティーの横柄さが、にじみ出ている。そんな気がする。読者の顔色をうかがうような文章を書けと、いっているんじゃない。どうしてもっと、最低限の、他者を気遣う態度を、示すことができなかったのかが、僕は、問いたいのだ。

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 風が、いつもより強く吹いている。かと思えば、ほんの数分後には、秋を思わせる、すこし生温い風が、僕の素肌を横切る。風のことについて、僕らが知っていることはわずかだ。それと同じように、古代史や癌や海底や宇宙やセックスについて、知らないことはいっぱいある。誤謬を犯したときでさえ、まばゆいばかりだ。「無知を恐れるな、偽りの知を恐れよ」と、ある賢者がいった。もう、傲慢な考えで、へこたれるのはこりごりだと、少し肌寒い気候が、慰めてくれる、そんな夜。

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瀉血のごとく

 夏の暑い、うなだれるような日差しを目の前に、部屋で寝そべりながら、蝉の鳴き声が耳に響く。もうそろそろ、言い争いはやめにしないかと、虫が教えてくれているみたい。誰かの意見を、批判することは、構わない。相手の見方を尊重しないで、自分の見解を、ただただ繰り返すだけじゃあ、議論とは呼べない。誰かの、もやもやとした気持ちを、言語化できる識者が、僕らには、必要なようだ。夏は、刻一刻と終わっていく。だけど、まだ暑さは続くのだよと、かんかん照りの気候が、報せてくれる。

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・だけど、言いたい
 同性カップルに、法的な権限をあたえるかどうかの問題で、杉田水脈衆院議員の主張に、注目が集まっている。そんななかで、自民党の谷川とむ議員が、追い打ちをかけるように、同性愛は、趣味と変わらないと発言し、波紋を呼んでいる。無知っていうのは、簡単に、人を傷つける切れ味のすごみを含んだ、言葉に早変わりする。それを、念頭に置かなければならない。自分の考えを発言することは、同時に、違う立場の人を、追いやることになりかねないということは、ブログやSNS上で情報を発信する人は、知っておくべきだろう。
 一方で、彼らの発言を受けて、冷静に、声をあげるべき人たちが、的確な論評を並べてくれることが、当事者として、素直にうれしかった。たぶん、もう、僕の言うべきことはないと思う。あったとしても、同じことの繰り返しになる。だけど、言いたいから書こうと思ったので、こうしてつらつらと、文章を書いている。

・暮らしたい世界
 杉田氏の「LGBTは生産性がない」という旨の発言は、多くの人が感じているように、とても偏った意見だと思う。そもそも生産性をもって、人間の価値を決めようとすることは、とても、危険だ。よく仕事をして、成果をあげる人だけが優遇され、仕事ができない障がい者や、子どものできない夫婦は、蔑ろにされる国なんて、はたして、僕らが暮らしたい世界なんだろうか。暴力的な線引きをしない、差別されても何も言えない社会的弱者だとしても、安心して暮らせる社会を、構築することが仕事のはずの政治家がいう、言葉ではない。僕は、そう思う。

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 僕は、良い社会というものは、他人どうしが、お互いに親切にしあうことができるような社会だと、思う。でも、実際に、優しくするのは、とても難しい。もしかしたら、親切が相手には、おせっかいになるかもしれない。街は、それを、知ってか知らずか、だれしもが、無関心に溢れている。知らない人に声をかけてはいけないというルールを、かたくなに守っている。身体のなかで脈打つ心臓が、瀉血のごとく、朝やけ色に染まる。そうだ。この痛みこそが、生きているリアリティーなのだと、僕の脳みその奥から、語りかけてくる。

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祈りが届かないとき

 僕は、ただ生きたいと、思っている。社会に貢献できているのか、あるいは生産的な仕事に従事しているのかとは、関係なく、ただ単に、生きたいのだ。そして、それは、ある程度、達成できている。命の保証がされている。今のところ。細かく言うと、他人に、どう思われようが、殺してしまいたいほど憎いと思われようが、それによって、人の生き死にが、左右されることは、許しがたい。あたりまえのことかも、しれないけど。

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・母親の重責
 今回、目黒で起きた女児虐待事件について、考察することがあるとするならば、子育てをすることが、今の社会で、どれだけ大変であるかではないだろうか。迷惑をかけてはいけない、なにか失敗をすれば、自己責任論が持ち上がる。そんな窮屈な世界で、子どもを養育しながら、かつ自分の人生を輝かせる生き方ができる母親が、どれだけいるだろうか。(そもそも、育児や責任が、母親側に偏っている問題が、ある。)全ての女性が、強いわけじゃない。

・閉鎖された場所で
 議論の的として、被害にあった女の子を、いかにして、救いあげることができたのかが、焦点になりつつある。それも、間違ってはいないだろう。でも、その家族を閉鎖空間へと導いたのは、まぎれもなく、社会の方であるし、さらに、いうならば、他でもない、僕たちであったはずだ。もっと、生きたいと願った女の子が、いた。親に愛されなかった子どもが、いた。愛されないのは自分が悪いのだと、自分を責める人間がいた。それを、忘れないでほしい。

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 生まれてくる全ての子どもが、健康に、健やかに、愛情を惜しみなく注がれながら成長できることを願ってやまない。だけど、僕らが生きている社会では、複雑な要因が絡まって時に、凄惨で、残虐な事件が発生する。どんなに強く祈っても、祈りが、届かないときがある。それなら、いったい何を思えば良いのだろうか。結局は、ひとつひとつ丁寧に、話を進めていくほかはない気がする。虐待は、なにも今回、表面化した事件だけではない。だから、できることがあるし、あるいは祈ることもできる。どうか、陽のあたらない孤立している家庭に、光が降り注ぎますように。

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時間を持たない天使

 連日、世間を賑わすゴシップが、僕の感覚を、鈍らせる。議論すべき大切なことのようで、よくよく考えてみれば、そんなに長く時間をかけてやるネタでも、ないんじゃないと、ふと気付いてしまえば、テレビは、あっさりと、必要のない粗大ゴミに変化する。誰かの不幸をもてはやしたり、失敗してしまった人を、くだらない正義感をたてにして、批判を繰り返す民衆は、愚かだ。なのに、マスメディアによって、今日も、かたよった世論が、形成されていく。僕は、聴衆の感情的な感性を利用した重苦しい、まとわりつくようなお昼の情報番組が、嫌い。

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・感情の種類
 勝間和代氏が、同性愛をカミングアウトしたニュースを、インターネットで目にする。きっとその瞬間、僕と同じように、その報せをみた人が、大勢いたはずだ。僕が、注目したいのは、そのとき芽生える感情の種類だ。きっと、気持ち悪い、そんな話聞きたくないよと感じた人は、一定数いると思う。もちろん、他人を、拒絶する権利はある。問題は、同性愛に免疫のない人が多数派で、それが、正しいと思い込んでいることだ。

・可視化
 守るべき立場も、失うものもない僕が、カミングアウトするのとは、違う。彼女の決断は、勇気のいることだと思う。当事者たちの苦労や孤独を溶かすことができればと、願う。この流れを、大事にしたい。これから、身近にLGBTがいることが広まって、可視化が、どんどん進むと、僕は考えている。それに伴い、いい面もあるだろうし、悪い面もある。もちろん。日本は、まだまだ当事者たちの権利において、後進国だときくし、社会が、変わっていくのは好ましい。もちろん、どう変わっていくかが、大事だけど。

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 いつまでも、時間という概念に縛られている。消し去ることはできない過去から、目を背けることは、時間を持たない天使になろうとすることに、近い。そうじゃなくて、僕らに、必要なことは、天使になろうとせず、人間の地位にとどまり、過去と和解しようと努力する姿勢だ。そこから、未来への階段が開ける気がする。

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憎悪の河

 ゴミ箱に捨てられた多くのものが、もう一度、役に立つものとして、機能することは、少ない。いったん、くずとみなされて、そのレッテルと貼られてしまうと、そこから這い上がるのは、いつだって難しい。過去に、犯罪を犯したものが、もう一度、社会復帰できる土壌を養成することが、大事だと思う。

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・元TOKIOの山口メンバーの強制わいせつについて
 誰かが、不祥事をおこせば、メディアは、いっせいに、渦中の人を、吊るし上げる。地位も、名誉も、信頼も、全てを失ってしまった彼を、たたくことが、これ以上必要なのだろうか。悪いことを、したんだから、仕方ないというかもしれない。ただ、誰にでも、内なる欲望が暴走をするサイのように、自分では、制御できなくなる体験は、ないだろうか。それって、男だけの生理的現象だとしたら、今回、失態を犯した彼から学ぶことは、多いはずだ。(なお、男の加害性を、正当化するつもりは、ない。もっと、言えば、刑罰は、司法が決定すればいい。)

・無力
 遠いどこかの国で、戦争が起きている。戦闘行為や、テロリズムの犠牲になるのが、無垢な子どもたちである場合が、ある。そんなことを、ニュースで知るたびに、僕のペシミズム的感覚が、何処かの琴線に触れる。化学兵器の被害にあう人たちの映像は、どこまでいっても、痛ましい。だからといって、日本という恵まれた国で生まれ育ったものとして、できることなんて、出来の悪い頭からは、想像することができない。自分の無力さを、思い知らされると同時に、ニヒリズムに傾斜をかける思考が、爆発するように、まさしく、心の底から、虚無感が溢れ出るのだ。

・いたちごっこ
 だからといって、テロリストを、殺戮することが、正義だなんていう考えには、賛成できない。ひとつの悪を潰しても、また、もう一つの悪が顔を出す。いたちごっこの様相を呈すのは、目に見えている。なのに、アメリカは正義のなのもとに、空爆を行うというし、日本はどうでも良いワイドショーのネタと並列して、各国の情勢を、数秒の割当で、報道する。大衆の目を引くことだけに気を取られるジャーナリズムなんか、別にいらないのに。

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 激しい戦争や闘争や革命の底には、途方もなく、大きく深く強く黒い憎悪の河が、流れている。少なくとも、僕が学んできた世界史は、悲しみの連鎖であるように思えた。その流れを知らないで、倫理を語るとすれば、無邪気であると、僕は思う。

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ディグニティ(尊厳)、あるいは赤い薔薇に包まれて

 いたるところに散らばる、不協和音の欠片が、頭にまっすぐ響く。僕らが、本当に議論すべき問題は、貧困であり、格差であり、環境破壊であるはずだ。どれだけ長い時間がかかろうと、そろそろ、この惑星と、向き合うべき瞬間が、もうすぐそばに、きている。
 「核兵器のない世界をめざそう」なんていうきれいごとは、まだ純真という言葉が似合いそうな大学生が、叫ぶ言葉のようだ。もし、大物政治家が、そんなことを発言すれば、世間の嘲笑を、浴びるかもしれない。でも、はたして、それでいいのだろうか。

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・自由と公正
 発行部数の多い新聞が、認めてくれるかどうかを、基準にして、政策を、決定するようなところまで来てしまえば、もう打つ手はない。数千年かけて築いてきた、何ものにも代えがたい「自由と公正」は、感情的な手段によって、簡単に粉砕される。シリアに、空爆をおこなうかもしれない、トランプ政権に、一言かけるなら、今こそ、見せるべき姿勢は、連帯、寛容、共感といったものではないか。排外主義になれば、それこそ、相手の思うつぼである。

・画一的
 国民全員が、同じ生活水準で生きているなどという、子どもでもわかる大嘘を、かつて、信じていた時代がある。安倍政権の「一億総活躍」というスローガンは、国民を、画一な一つのものにしようとする、意図はわかるが、それに、当てはまらない人間はいない者にされる危険を、はらんでいる。それは、暴力の何ものでもないと、ここで、言っておくことが必要なのだ。

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 富む者も、貧する者も、性別や、性的指向が、自分とは違う人も、すべての人間が、平等だという概念は、教育で教わっているので知っている。でも、その平等である理由が、自分を含めた、すべての人間に、ディグニティ(尊厳)があるからだということは、ピンとこない。あまり、日光を浴びることのない劣悪な土壌にも咲く薔薇は、苦境や貧困に咲く花のシンボルと、言われることがある。赤い薔薇に包まれて、この僕にすら、厳かなものが与えられていることを、思い出しながら、眠りにつく。

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芽吹きを、待つ

 いつまでも、ここにいたって、しょうがない。この時代に求められるのは、おのれを変えていくことだから、つまらないことで、くよくよするのは、もう終わりにしよう。ずっと、自分探しの旅を、しているような気がする。そして、いつにまにか、本当の自己というものを、恐れてしまっていることに、気付く。しどろもどろに綴る文字からは、退屈を吹き飛ばす刺激からは、ほど遠い、春の陽気が漂う。

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・正義とは
 そんなにも、だれかの不祥事が、世間の注目を浴びる理由が、僕には分からない。間違いを、犯してしまったら、素直に謝り、一定の社会的制裁を受けることで、収束するはずなのに、長々と、続けていくことは、決して建設的じゃない。新聞に踊る「森友問題」という見出しに、一切、興味を引きつけられない僕は、きっと、まだまだ、青臭いんだろう。権力に群がる犬みたいな奴は、抹殺しなければならないと、言わんばかりに批判する、コメンテーターと、自由を求めて戦っているという自負に燃える、マスメディアは、どちらにしろ、正義への道筋を、見失ってはいないだろうか。

・必要な勇気
 圧倒的に男性多数で、そのほとんどが恵まれた環境で育ったエリートで、いわゆるマイノリティーは、希少である国会が、現実の社会を正しく反映しているわけがない。政治家は、支持率を稼ぐ人気稼業に、もはや、なっているという実感が、頭をよぎる。真冬に着るコートを持っていない、こどもたちがいることを、肌で知っている政治家はいないのか。どこの出身だろうと、肌の色が何であろうと、どんな宗教を信じていようと、勇気を出して力を合わせれば、良い国をつくることができると、僕は、信じている。

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 「病気とは、人々が金銭を払ってする道楽ではないし、罰金を払わねばならぬ犯罪でもない。それは共同体がコストを分担すべき災難である。」と、かつての元炭鉱労働者の政治家は、語った。きっと彼は、貧乏人が病気をすると、どうなるかを知っていたのだろう。
 どこまでも、お金にふりまわされる現代人。小銭程度を稼ぐために、人生の大半を費やすのは、はたして、賢いやり方なのか。ずっと変わらない働き方に、もう嫌気がさしている。社会が変わっていく芽吹きを、見逃さないでいようと、必死になるのは、かっこのわるいことではない。窒息しそうな空気をぶっ壊して、もっと、楽に生きていけるようになりますようにと、木漏れ日がまぶしい、窓にむかって祈る、この夜。