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社会の出来事

誤謬

 空白の時間が、孤独という怪物を、呼び覚ましていく。自分の死に、一体どれだけの意味があるのかを、問い続ける日々は、空虚に等しい。最終的に、国家や宗教や社会に、死の意味付けを、求めるようになれば、僕らは簡単に、偽物の思想に、身を滅ぼすことになる。結局は、最期の瞬間まで、僕は僕でいたいという欲求が、収まることはないのだ。

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・言論の自由
 新潮45の休刊という報せを、ネットニュースで知る。小川榮太郎氏が寄稿した論文の内容を受けて、炎上した責任をとるという形らしい。炎上商法に乗っかるにみたいで、雑誌は買ってないし、記事の内容も、しっかりとみてないけど、どうやら、中身は、杉田水脈氏の論文を、擁護する立場なのだ。言論の自由は、あっていいと思う。でも、だからといって、何を発言してもいいわけじゃない。文章を書く人なら、分かると思うんだけど、自分が綴る文字たちが、どんな人に届いて、どんな作用を引き起こすのかに、それはそれは、繊細な努力を積み重ねている。

・最低限の気遣い
 思考のプロセスを、提供していると言ってもいい。変に、感情を逆なでするような言い回しを避けたり、他人を容赦なく傷つけるような言葉を、使わないようにしようとする試みが、阿呆らしくなる彼の文章の内容は、マジョリティーの横柄さが、にじみ出ている。そんな気がする。読者の顔色をうかがうような文章を書けと、いっているんじゃない。どうしてもっと、最低限の、他者を気遣う態度を、示すことができなかったのかが、僕は、問いたいのだ。

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 風が、いつもより強く吹いている。かと思えば、ほんの数分後には、秋を思わせる、すこし生温い風が、僕の素肌を横切る。風のことについて、僕らが知っていることはわずかだ。それと同じように、古代史や癌や海底や宇宙やセックスについて、知らないことはいっぱいある。誤謬を犯したときでさえ、まばゆいばかりだ。「無知を恐れるな、偽りの知を恐れよ」と、ある賢者がいった。もう、傲慢な考えで、へこたれるのはこりごりだと、少し肌寒い気候が、慰めてくれる、そんな夜。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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