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社会の出来事

ディグニティ(尊厳)、あるいは赤い薔薇に包まれて

 いたるところに散らばる、不協和音の欠片が、頭にまっすぐ響く。僕らが、本当に議論すべき問題は、貧困であり、格差であり、環境破壊であるはずだ。どれだけ長い時間がかかろうと、そろそろ、この惑星と、向き合うべき瞬間が、もうすぐそばに、きている。
 「核兵器のない世界をめざそう」なんていうきれいごとは、まだ純真という言葉が似合いそうな大学生が、叫ぶ言葉のようだ。もし、大物政治家が、そんなことを発言すれば、世間の嘲笑を、浴びるかもしれない。でも、はたして、それでいいのだろうか。

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・自由と公正
 発行部数の多い新聞が、認めてくれるかどうかを、基準にして、政策を、決定するようなところまで来てしまえば、もう打つ手はない。数千年かけて築いてきた、何ものにも代えがたい「自由と公正」は、感情的な手段によって、簡単に粉砕される。シリアに、空爆をおこなうかもしれない、トランプ政権に、一言かけるなら、今こそ、見せるべき姿勢は、連帯、寛容、共感といったものではないか。排外主義になれば、それこそ、相手の思うつぼである。

・画一的
 国民全員が、同じ生活水準で生きているなどという、子どもでもわかる大嘘を、かつて、信じていた時代がある。安倍政権の「一億総活躍」というスローガンは、国民を、画一な一つのものにしようとする、意図はわかるが、それに、当てはまらない人間はいない者にされる危険を、はらんでいる。それは、暴力の何ものでもないと、ここで、言っておくことが必要なのだ。

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 富む者も、貧する者も、性別や、性的指向が、自分とは違う人も、すべての人間が、平等だという概念は、教育で教わっているので知っている。でも、その平等である理由が、自分を含めた、すべての人間に、ディグニティ(尊厳)があるからだということは、ピンとこない。あまり、日光を浴びることのない劣悪な土壌にも咲く薔薇は、苦境や貧困に咲く花のシンボルと、言われることがある。赤い薔薇に包まれて、この僕にすら、厳かなものが与えられていることを、思い出しながら、眠りにつく。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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