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社会の出来事

憎悪の河

 ゴミ箱に捨てられた多くのものが、もう一度、役に立つものとして、機能することは、少ない。いったん、くずとみなされて、そのレッテルと貼られてしまうと、そこから這い上がるのは、いつだって難しい。過去に、犯罪を犯したものが、もう一度、社会復帰できる土壌を養成することが、大事だと思う。

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・元TOKIOの山口メンバーの強制わいせつについて
 誰かが、不祥事をおこせば、メディアは、いっせいに、渦中の人を、吊るし上げる。地位も、名誉も、信頼も、全てを失ってしまった彼を、たたくことが、これ以上必要なのだろうか。悪いことを、したんだから、仕方ないというかもしれない。ただ、誰にでも、内なる欲望が暴走をするサイのように、自分では、制御できなくなる体験は、ないだろうか。それって、男だけの生理的現象だとしたら、今回、失態を犯した彼から学ぶことは、多いはずだ。(なお、男の加害性を、正当化するつもりは、ない。もっと、言えば、刑罰は、司法が決定すればいい。)

・無力
 遠いどこかの国で、戦争が起きている。戦闘行為や、テロリズムの犠牲になるのが、無垢な子どもたちである場合が、ある。そんなことを、ニュースで知るたびに、僕のペシミズム的感覚が、何処かの琴線に触れる。化学兵器の被害にあう人たちの映像は、どこまでいっても、痛ましい。だからといって、日本という恵まれた国で生まれ育ったものとして、できることなんて、出来の悪い頭からは、想像することができない。自分の無力さを、思い知らされると同時に、ニヒリズムに傾斜をかける思考が、爆発するように、まさしく、心の底から、虚無感が溢れ出るのだ。

・いたちごっこ
 だからといって、テロリストを、殺戮することが、正義だなんていう考えには、賛成できない。ひとつの悪を潰しても、また、もう一つの悪が顔を出す。いたちごっこの様相を呈すのは、目に見えている。なのに、アメリカは正義のなのもとに、空爆を行うというし、日本はどうでも良いワイドショーのネタと並列して、各国の情勢を、数秒の割当で、報道する。大衆の目を引くことだけに気を取られるジャーナリズムなんか、別にいらないのに。

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 激しい戦争や闘争や革命の底には、途方もなく、大きく深く強く黒い憎悪の河が、流れている。少なくとも、僕が学んできた世界史は、悲しみの連鎖であるように思えた。その流れを知らないで、倫理を語るとすれば、無邪気であると、僕は思う。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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