LGBTという言葉を耳にするようになって、久しい。どうやら、社会には、そういう人たちがいるようだと、認知されはじめている。少なからず、嫌悪を抱く人、変な人だけど害はないので程よく距離を置く人、差別や偏見と向き合い、正しい知識を啓蒙しようとする人など、いろんな人たちがいる。あたりまえだけど。
僕たちの社会は、いくぶん、他者のありかたを、尊重しようと、努力していると思う。男性が男性を好きになろうと、女性が女性を愛そうと、好きにすればいいというスタンスは、崩さない方がいいだろう。けど、こうしてブログで、自らのセクシャリティーを語り、同性愛について言及することが、非常に困難な時代があったことを、忘れちゃいけない。権利を、勝ち取るために、それが、波風を立てようとも、それを嫌がる人がいることを、知ってながらも、闘いを、挑まなければならないときがくることを、知っておくべきだろう。
★ ★ ★
・自民党・平沢勝栄議員の発言について
「同性婚を認めないわけではない。でも、この人(LGBT)たちばっかりになったら国はつぶれてしまう。」
この発言を聞いたときに思ったのは、やっぱり国を動かす人で、いわゆる、いい大学を出て、勉強を一生懸命してきた人の中には、頭の固い考えの人が、多かれ少なかれ、いるんだなと、落胆したのである。性的志向は、みずからの意思で、変えられるものではないということは、もう広く知られている(と願う)だろうし、そういった批判は、甘んじて受ければいいし、なんなら、正しい知識を深めてもらえばいい。
・這いつくばって、生きる
問題は、この人が、一般人ではなく、公人であることだ。なにも、国になにかして欲しいと言ってる訳ではない。選択として、同性婚があればいいなと思うし、別に、異性愛者の権利を、剥奪しようなんて思ってないし、秩序を重んじる日本社会に、混乱を、もたらそうとも、思ってない。僕は僕で、不器用ながらも、必死に、這いつくばりながら、生きていこうしている。
・公人としての、覚悟
本来なら、政治は、もがきながら人生を歩んでいる人の背中を押し、不条理な悲劇を減らしていくものだと思う。僕は、公人として、生きていく人の覚悟をみたい。これから日本をどういう国にしていきたいのか、ビジョンを示して欲しい。想像力の欠如は、なんの落度のない人を傷つけるだろう。高度経済成長を終え、どうやって食っていこうかとシビアな問題も、たしかにある。でも、やっぱり、現代社会は、めまぐるしく変わっていくことは、避けられない。そんな時代に、少しでも、希望をまいていこうとするのが、政治家の仕事なんじゃないだろうか。
★ ★ ★
平沢議員の誤解について、あれやこれやと、噛み合わない議論をしたいんじゃない。短絡的な思考に陥るのではなく、ときには、問いをずらすのも、いいだろう。大事なのは、彼が、何を言っているのかだけに注視するのではなく、彼が、なぜ、そういう思考に至ったかを、分析するべきだと思う。個人の価値観、バックグラウンドは、多種多様だ。多様性を重視する社会なら、結果として、誤った発言を糾弾するのではなく、今後の道しるべとして、どう役立つかを考えるべきだ。