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社会の出来事

性別について、あるいは「らしさ」を押し付ける暴力

 かっこいい大人になりたい。ただ、それは、不特定多数の人に、性的な目で見られることを、望んでいるのと、同義ではない。いま、目の前にいる、あなとにとって、魅力的な人間でありたいと思う。その違いは、理解しておくべきだ。
 性別という、差異を、ありのまま受けいれ、なおかつ、平等に扱われる社会。でも、はたして、それは、どんな世界なのか。今日も、ただ、男として、女として、目に見えない構造の中で、抑圧される。もちろん、男でもない、女でもない、性別に生まれた人間の、既存の枠組みに抗う、勇気に敬意を持ちながら。

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・風俗嬢に関する、岡村隆史氏の発言について
 ラジオにて、「コロナが明けたら、お金に困った美人さんが、風俗嬢に流れ込んでくる。」という、主旨の発言。(実際の詳しいことは、知らない。)これをうけて、いたるところで、批判が起きている。それは、当然だと、思う。セックスワーカーについて、専門的なことは、分からない。でも、どうしようもない状況で、やむを得ず、その仕事に就くことを、嬉々として待ち望むのは、違う。
 一方で、たぶん、綺麗な女性や、かっこいい男性と、一夜を共にしたいと思う、ゲスい欲望って、誰にでもある。お金を払えば、その願望が叶う。そういう社会を、放置してきたのだ。人間を、商品にみたてて、性的に搾取する。それは、いまに始まったことじゃない。セックスは、相手の貧困につけ込んで、およぶ行為じゃない。それを、再確認するべきだ。

・鏡に映った自我
 こうすれば、周りから、認められるんじゃないか。そんな、考えに、埋め尽くされる。つねに、鏡(社会)に映る自分を、想像する。女性なら、愛嬌のある笑顔をするべきだ。男性なら、仕事に精を出さなければならない。それに、答えていこうと努力するやつが、悪いんじゃない。問題は、求められた役を演じない、規範に従わない人間を、排除していくシステムにある。
 たとえば、ゲイ・セクシュアリティーの男性の、女性らしい振る舞いをみて、否定する。それは、「男らしさ」を強要する暴力に、他ならない。性が、倒錯することに、不安を抱く人がいる。だけど、セクシュアル・マイノリティーの当事者は、あなたの幸せを、奪おうとしているんじゃない。ただ、自分自身の性に、誠実であろうとしている。その姿勢にたいして、差別することを、僕は、肯定しない。

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 みんながみんな、与えられた役割を、果たそうとしていたら、社会は、なんら変化しない。心のなかに眠る、いい顔をしようとする自分に、抵抗する。既存のルールを、壊していく。人が、はじめて主体性を手にしたとき、社会は、改善していく。「男は、女よりも、えらい。」そんな、くだらないことを、いつまでも言う人間は、置いてけぼりにしてしまえばいい。僕らは、いま、確実に、不確かな未来を、手にしようとしている。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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