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社会の出来事

差別は、もっと身近にある

 連日の雨は、すこし心を、暗くさせる。雲が途切れた瞬間に、差し込む日差しで、嬉しくなる僕は、なんて、安易なんだろう。でも、それでいい。ふさぎ込んだ気持ちを、なんとか自分で、どうにかしようとして、失敗してきた夜を、幾度となく、通り過ぎた。自分では、制御できないものに、身を委ねる、心地よさ。それは、目に見えないものへの感謝だったり、神への信仰に、つながると、僕は思っている。

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・メンタリスト、DaiGo氏の発言について
 インフルエンサーという、言葉がよく、分からない。とりあえず、ネットでよく、みかける、喋りの達者な人たちなのか。言っていることの内容は、たいして、吟味されず、ただ一方通行に、話し続ける彼らの話は、とくに、聞く気にはなれない。(もちろん、どれだけの影響があるかを、懸念し、しっかりとした主張をする人もいることは、知っている。)今回のことも、内容は、よく分からないが、どうやら、生活保護者や、野宿して生活する人の、命を軽んじる趣旨の発言を、うけてのことらしい。それについての、まっとうな批判は、各方面から、声が、あがっているので、ここでは、しない。

・正義vs不正義の構図の危うさ
 例えば、彼のように、考える悪人と、それは、間違っていると諭す良人に、この社会の人間は、区別されるのか。世界は、そんなに、単純じゃない。彼の発言の根幹を根絶やしに、しなければならないと、意気込むだけでは、意味がない。だって、家族から慕われ、人望があつく、地位や名声に恵まれている人間が、差別主義者であることなんて、ざらに、ある。どんなやつでも、相手によって、接し方を変える醜悪さを、抱えている。それを、前提にしないと、建設的な議論はできない。
 かんたんに言ってしまえば、自分にとって、不都合な他者を、どれだけ、許容できるか。必要のない人間は、死んでしまえばいいというのは、暴論である。自分とは違う価値観で生きる人間が、いる。そして、彼らも、彼らなりの合理性をもって、今に至っていること。それを、想像する力を持ち合わせながら、言葉を発信できる人を、僕は、信頼する。

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 彼の炎上が、取り沙汰されて、エンターテイメントになりつつある現状は、はっきりいって、不快だ。間違っている考え方は、改めることができる。(おそらく、それには、時間が必要である。そして、その作用は、誰も見ていないところで、ひっそりと孤独と戦いながら起きることを、僕らは、経験的に、知っている。)
 この問題を一過性のものに、するのではなく、成熟した社会につながるための、粘り強い姿勢を、求める。差別は、もっと身近にある。日常の端々に、発見する自分の中の、違和感や、とまどい。それは、もしかしたら、悪い感情かもしれない。でも、たしかに、存在する偏見。他者とともに生きていくとは、それを、自覚することに、他ならない。

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作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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