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社会の出来事

幸福の欠片

 過去の宿る場所について、思考する。教科書に記載されている歴史的事実を、振り返っても、意味がない。その当時の記憶は、ひとり一人の心の内部に、あるいは空間や物に、つめこまれているからだ。つねに再構築される過去は、もはや原型をとどめていない。学校や、家族、職場、いろんな集団に属する僕らは、それぞれの風景を、心に描く。それを基に、社会を考察することが、重大性を増してくる。

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・映画好きの戯言
 パニック映画というジャンルがある。未曾有の自然災害に見舞われたり、隕石が地球にぶつかったりする。いずれも、人間が窮地に陥る。これらの作品は、いつか現実として、そんなふうな問題に、人類が遭遇したときに、パニックにならないために、制作されているという噂を聞いたことがある。(本当かどうか、分からないけど)
 そして、いま、コロナウイルスが、生活環境に、大きな影響を及ぼしている。緊急事態宣言が発令されて、緊張感が高まっている。感染症の流行が描かれているストーリーに、一度はみな触れているはずだ。なにも、映画の世界みたいなことが、そっくりそのまま起こっているわけじゃない。だけど、それに近いことが、起きようとしている。そんなとき、僕らができることって、そういえば、こんなふうな映画を観たことがあるなと、ふと冷静になることなんじゃないだろうか。これまで培ってきた想像力を、今、発揮するときだ。僕は、そう思っている。

・物語のなかに身を置く
 「E.T.」を観て、異星人とのファーストコンタクトを学ぶ人間が、いてもいい。いわば、物語のなかに身を置くことによって、現実の出来事を解釈する。というか、それくらいのことしか、人間はできない。僕らは、自分が、何者かを、知る由もない。ただ、男であったり、女であったり、赤ん坊であったりする自分を、なんとなく、生きている。でも、それでいい。他者と共存していくという、理念さえあれば、優しくなれる。

・ささやかな抵抗
 経済が、滞る。それは、資本主義社会において、致命的だ。だけど、それよりも、命を優先することが必要とされている。外出を控えることを要請するならば、それにともなう収入の減少分を補償をするべきだという批判は、べつにここじゃなくても、あちこちで、言われている。ここで、こてこての政権批判をすることは、僕の、本意ではない。
 だけど、なにか、文句の一つでも言わなければ、事態は、悪化してしまうんじゃないかという危機感が、ある。安倍政権への、不満を、言葉にできない状況は、好ましくない。利権が絡んでいたり、保身のためだったり、(少なくとも僕にとっては)どうでもいいようなことで、国民の生活を守れない政策は、いらないと、はっきり言うべきだ。それは、こんなへんてこなブログに綴る文章で、けれど、まちがいなく国民のひとりである、僕の、ささやかな抵抗だ。

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 僕は、弱虫だ。無能だといってもいい。だけど、唯一、誇れるものがあるとするならば、私が私であり続けるという、強い意志だ。状況が、刻一刻と変化する情勢において、先手を打つことは困難なのかもしれない。専門家の意見でさえ、わかれてしまう。何を信じたらいいのか分からない。不安になることも、ある。それでも、営みのなかに眠る、何気ない会話の中に隠れている、幸福の欠片は、決して、消えやしない。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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