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自分のこと

踏みつけられたアゲハ蝶のように

 心の迷いが、僕を、浸食していく。複雑になっていく社会で、行き場のない孤独ほど、手に負えないものはない。幸せのピースを拾い集めながら、地に足つけ歩む者を、馬鹿にするように、街のネオンが、煌煌と輝く。どうして、手にしていることに目を向けず、足りないものだけを、欲するんだろう。新しい感情に惑わされるたびに、今を生きる意味を探してしまう。たぶん、答えなんてないのに。かつての偉人たちは、私は、どこから来て、どこへ向かうのかを問い続けてきたんだと思う。

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・リビドー
 周りの友達が、抑えられないリビドーについて語ったり、あるいは、発散させたりするなかで、僕は、まるで蚊帳の外だった。ただ、コントロールできる範囲の振り幅で、笑ったり、泣いたりする日常は、どこか侘しい。心の中では、臆病の化身が住み着いたように、なにもかもに怯えていた。大人になっていく周囲を横目に、いつまでも辿々しい自分に劣等感を持っていた。

・下賎、あるいは当事者として
 ホモ・セクシュアルについて、なぜ話す必要があるのかと、あなたは思うかもしれない。だけど、性的欲望について、おおっぴらに語ることは、下劣だと批判し、抑圧してしまう方が、僕は下賎だと思う。例えば、就職活動の面接の場面で、性的指向を持ち出すことへの評価は、わかれる。人事の人が、どう感じるかは、僕には全然分からないが、その話をしようとする学生の気持ちは、少しながら推し量ることができる。ひとりの、当事者として。

・誠実を求めるならば
 自分の人生に対して誠実であろうとすれば、自分がゲイであることに対しても、同じように誠実ではならなかった。ただ、その一点に尽きる。初対面で、お前のそんな話なんて聞きたくないよと思う人もいるかもしれない。だけど、その場面にいたるまでの葛藤とか、不安とかを想像できないのは、控えめに言って、少し無神経なんじゃないだろうか。カミングアウト(この言葉が、適切かどうか分からないけど)をしなければいけない状況を強いている現状をかえるには、こうして、当事者の本音を晒すしかない。

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 命あるものと、ないものの境目は、埋まらない。そこを、横断できるのは神様だけだ。歩道の脇で、踏みつけられたアゲハ蝶の死骸が、ひっそりと鮮やかに発色している。たぶん、生き返ることはない。死んでしまったものは、ずっと死に続けるという事実は、隠しようがない。きっと、美しいものの一部には、死の匂いが含まれる気がする。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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