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自分のこと

だから、生きろ

 あとどれくらい自分と向き合えば、僕は僕から解き放たれるんだろう。街を行き交う人は、えらくまっとうな振りをして、目的地に向かう。イヤホンから流れる音楽を防護服みたいにして、周りからの情報をシャットダウンし、徘徊する。そんな時に、唯一この世界を優しく感じることができる。

 他者に、正面から向き合うことは、ひどく疲弊することを、経験的に知っている。だから、お互い無関心を徹底し、知らない人に話しかけてはいけないというルールを頑なに守る。普通を装いながら、社会にとって異物のような自分を持て余す日常は、けっこう孤独なのだ。

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・読書とは

 いっそのこと、この孤独をより一層深めてくれることを求めて、本を読む。いちいち立ち止まって思考し、全然うまくいかない生活に辟易しているのは、僕が出来損ないだからだと思ってた。でも、どうやら同じように世界に居場所を見つけることができず、声をあげて戦ってきたきた人たちがいる。紙に並べられた文字は、ある一定の時間を経て、僕にそれを教えてくれる。言葉の力を垣間見る瞬間、この今というものが、まざまざと輝きだす。読書とは、人生がどんなものであるかを明確にする装置なのだ。

・人を傷つけることと愚かさについて

 例えば、僕は同性愛者だったりする。周囲とは違う性的指向を、ここで語ることについて、意味を深く考えたわけじゃない。でも、かつてそのことを理由に虐げられてきた人たちがおり、不条理な暴力に抵抗してきた。その歴史のどん詰まりにいる僕らは、いったいどんなことを思いながら、生きていけばいいのか。自分とは異なる存在を、疎ましく感じる。それは、それでいいだろう。僕だって同じだ。問題は、その感情に向き合いもせず、ずかずかと言葉にし、人を傷つけることを想像できない。それは、無知な愚かさのなにものでもない。僕は、そう思っている。

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 多様性であるとか、人権であるとか、時代であるとか。なにが変わっているのかが、僕には感じ取れない。崇高な理念や信条は、どこか聞こえのいいものばかりだ。現実に、いま、悲しみの淵に沈んでいる人間にたいして、どうやって声を届けるのか。ここで勇気づけることを言ってもいいけど、お前はそんな言葉で救済されるようなたまじゃない。複雑な社会は、お前がお前でいることを、頑なに歪めようとしてくる。強くなる必要はない。ただ、途切れない自分を確立していくしか、手数は残されていない。だから、生きろ。

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作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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