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自分のこと

金星に捧げる、祈り

 人間の中身って、たぶん、くだらない。見栄や、欲望、嫉妬で、灰色に染まっている。ちっぽけで、卑しい自分だけど、なんとなく、折り合いをつけて、だまくらかす日常。私は、善人であるという奴の、嘘を、すぐに見抜いてしまう。僕に届く報せは、営業メールで、埋め尽くされる。金を持たない奴は、価値がないと諭すように、弱者を、排除していく。希望なんてない。この世界を、ぶっ壊してやろう。意味のない戯言が、無限の言葉の波に、のまれていく。

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・なぜ多様性にこだわるのか
 安定か、冒険かの、2択しかないような錯覚。別に、平坦に生きればいい。普通に生きることの、難しさ。多様な在り方が、認められてしかるべきだという考えとは、裏腹に、異端児を遠ざける社会。LGBTというワードが、むなしく踊っている。それでも、僕が、「多様性」を、引っぱりだすのには、理由がある。
 それは、ゲイである自分にとって、死活問題だからだ。最適化された人間だけに、価値があって、子孫を残さない人間は、生きてる意味がないという、野蛮な思考に、立ち向かう。セクシュアリティーの話を避けて通れない。自分について話すことの恐怖。変なの、気持ち悪いねという、反応を前提にしないと成立しない会話ゲーム。もう、辟易としている。別に、優遇されたいわけじゃない。とりあえず、自分らしく生きることを、否定してほしくない。

・映画レビューで伝えたいこと
 大学を卒業して、8年経つ。それで、分かったのは、べつに就職しなくても、案外、死なない程度に、生きていけるということ。べつに後ろ指をさされるようなことを、してるわけじゃない。だけど、人生のレールから、外れる感覚。そこから、うまれる不安。知らぬ間に、洗脳されている、固定観念。こうあるべきだという規範は、相変わらず、機能しているようだ。
 貧富の格差が小さい社会、マイノリティーが生きやすい社会、多様性を認める社会、言葉で表すことは簡単だけど、実際にどうやって現実とするのか。映画に登場する人物は、いつもなんらかの問題を、抱えている。それを、可視化して、表現することで、発見できる視点がある。生きづらいと感じるあなたにとって、希望に変わる。それが、僕が、映画レビューをしている理由だ。

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 どうせ、人生なんて、どう転ぼうと、地獄だ。立派な大人は、こうしなきゃいけないという呪いから、解き放たれる。勝利の方法なんて、それぞれだ。高い給料をもらうことが、白星かもしれない。結婚することが、一番の幸せかもしれない。べつに、それを咎める人なんて、いない。それほど、みんな、他人に興味はない。勝ち負けの競技に、参加する必要もない。ただ、生きる。ありのままを、受け入れる。金星が、夜空に輝く日、僕は、そっと、祈りを捧げる。朝光(あさかげ)で、目を覚ます、あなたの、一日が、闇で覆われることが、ないことを。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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