カテゴリー
映画レビュー

038 「WEEKEND ウィークエンド」(2019)

<基本情報>
2011年に、イギリスで制作された作品。
監督は、「荒野にて」「さざなみ」の、アンドリュー・ヘイが、務める。
2人の男性の、距離が近づいていく過程を、繊細なタッチで、描く。

 「エモい」という言葉がある。英語の「emotion」が、形容詞化したものらしい。どういうときに使うのか、あまり分からない。だけど、この作品を、一言で、表現するなら、そのワードだと思う。全体に流れる雰囲気が、いちいち、感情に訴えかけてくる。仕事におわれながら、孤独に過ごす毎日。気兼ねなく過ごす、友人同士でのパーティー。心が浮つく、週末。どの時間も、間違いなく自分なんだけど、それぞれでわき起こる、ことなる感情や、心情。その微妙な変化を、軽やかに、映し出していく。

 自分に自信を持てず、内向的なラッセル(トム・カレン)。それとは、対照的に、ゲイであることを、隠さないグレン(クリス・ニュー)。いっけん、相性の悪そうな2人が、同じ時間を過ごしていくうちに、お互いが、何を大切にして生きているのかを、知っていく。マイノリティーへの、偏見や差別を、なくそう。だけど、なぜ、それらの行為を、してはいけないのか。その理由を、理屈ぬきで語る。それを、さらっと積み上げていく、ラディカルな視点が、垣間みられる。

 男性同士の、恋愛。それについての、イメージは、ひとり一人、違うと思う。肉体関係だけの、つながり。あるいは、プラトニックのような、精神的な結びつき。だけど、例えば、異性同士の恋、女性同士の恋との、相違点を、言葉で、定義するのは、とても困難だと、思う。たぶん、どの場合にも通ずる、人間の奥に潜む愛情。お互いの性質を、尊重し、理解していく行為は、自分自身を、変えていく。この映画は、あたり前のように、出会いと別れを繰り返す、僕らの普遍性についての、物語だ。

カテゴリー
映画レビュー

037 「真夜中のパーティー」(1970)

<基本情報>
オフ・ブロードウェイで、注目を集めたステージを、映画化。
原作者のマート・クロウリーが製作、脚本を担当。
監督は、ウィリアム・フリードキンが、務める。
原題は、「The Boys in the Band」。
国内では、白井晃が演出を手掛け、安田顕(TEAM NACS)が出演する舞台「ボーイズ・イン・ザ・バンド~真夜中のパーティー~」が、2020年7月から、上演される。

 いまでこそ、LGBTをテーマにした作品が、メインストリームに、登場する。けれど、当時、アメリカでは、同性愛が、法律で禁止されており、間違いなく、それはタブーだった。そんななか、今作は、同性愛者の心理を、ごまかさないで、逃げずに真っ向から、描写していく。作り手側の、覚悟が、伝わってくる。自分の性的指向を、ときには、否定してしまったり、かと思えば、おなじゲイの友人と、ジョークを言って、笑い話にする。そういう風にして、生きる術を、獲得していく。

 これは、会話劇だ。友人のために、催された誕生日パーティーに、集まったホモ・セクシュアルの仲間たち。彼らが、繰り広げるやりとりは、終始、張りつめている。そして、事態は、思わぬ展開へと、連なっていく。中盤に、あるゲームが、行われる。これまでで、最も愛した人に電話をかけ、愛の告白ができたら、高得点となるルールに、息をのむ。最初に参加したバーナード(ルーベン・グリーン)が、「自尊心が奪われる。」と吐き捨てる。それは、このゲームの恐ろしさを、物語る。

 あえて、差別的な表現が、含まれる。黒人やユダヤ人にむかって発する、辛辣な言葉は、気心の知れた友人同士だからだろう。そんなこと言ったら、相手を傷つけてしまうんじゃないかと、観ている側は、どきどきする。でも、怖気づかず、はっきりとした口調で、返答していく様に、安心する。マイノリティーとして生きていく不安、それに伴う孤独や、疎外感。それらを乗り越えていく人間の、力強さ。涙に暮れるときもある。でも、そんな風景を重ねてきて、今があることを、証明する作品だ。

カテゴリー
映画レビュー

036 「メランコリック」(2019)

<基本情報>
映画製作ユニット「One Goose」による、第一弾目となる作品。
第31回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で、監督賞に輝く。
監督は、田中征爾が務め、新人とは思えぬ、技巧に長けた演出をみせる。

 タイトルや、醸し出す雰囲気が、まず、その作品の顔になる。「メランコリック」という言葉の意味について、考えたところで、なにか答えに辿り着くとは、思えない。たしか、この前、読んだ本のなかに、そんなワードが、散りばめられていた。とても、重々しく、深い用語として。(内容については、なぜかすっかり忘れてしまったけど。)それで、僕は、この映画を観ることになる。私達と、物語をつなぐものなんて、所詮、そんなものだ。だけど、複雑で、愛おしい出会いになることがある。

 近所にある銭湯は、夜になると人を殺す場所として、貸し出されている。異色な設定だけど、そこから、どんな展開になるんだろうという、興味を、観る側に、持たせる。名門大学を卒業し、アルバイトをしていた主人公、和彦(皆川暢二)は、そこで働くことになる。優秀な大学をでたならば、いい会社に就職をして、幸せにならないといけないのか。彼が、そう話すシーンがある。生きるうえで、それぞれが何に価値を見出すのかは、自由だ。それは、たぶん、各々に降り掛かる難題で、だけど、その問いかけが、暮らしに、彩りを加える。

 僕らは、たえず憂鬱な気持ちを、抱いている。なにか特別に悲しいことが、あったわけでもない。だけど、目の前に立ちはだかる人生は、なぜか、悲しみでいっぱいだ。ときには、幸せな気分が、訪れる。それは、ほんの一瞬で、時間が経てば、何事もなく、いつもと変わらない日常に舞い戻る。埃まみれの、泥くさい日々。だけど、なにものにも代え難い。それとは対照的な、バイオレンスな要素を含みながら、描かれる世界は、なぜか、哀愁をも、生み出していく。

カテゴリー
映画レビュー

035 「シックス・センス」(1999)

<基本情報>
「アルマゲドン」のブルース・ウィリスを、主演に迎える。
本作で、第72回アカデミー助演男優賞にノミネートされた、ハーレイ・ジョエル・オスメントは、一躍、天才子役として、注目される。
インド出身の、M・ナイト・シャマランが、監督・脚本を務め、彼の本格デビュー作として、大ヒットした。

 8歳の少年・コールは、死者を見ることができる。(題名のとおり、それは「第6感」と呼ばれる。)僕も、子どものときは、幽霊が怖くて、暗い場所に、一人でいることができなかった。もし、そんな能力が、あったらと想像するだけで、胸が苦しくなる。彼もまた、誰にも打ち明けることができず、孤独を抱えながら、恐怖と戦っている。けれど、ストーリーが、すすむにつれ、この世界に留まり続ける魂の声に、耳を傾けていく。

 彼の周りで巻き起こる、不思議な現象が原因で、母親との溝が、できてしまう。息子と、どう接していいか、途方にくれ、疲弊していくシーンは、みていて痛々しい。人に言えない秘密を抱えることの、しんどさ。甘えたい盛りの時期に、それが、大きくのしかかってくる。それでも、懸命に、周囲との適切な距離を、探っていく少年を、たぐいまれな演技力で、表現していく。

 小児精神科医、マルコム・クロウについて、ラストに衝撃な事実が、明かされる。ここでは、触れない。(みんな、知ってるかもしれないけど)それにつながるまでの、伏線が、細かく描写されている。すべてのしかけが、解放されたとき、僕らにもたらす驚きは、たぶん、ずっと、消えない。誰しもに、過去に亡くした、忘れられない大切な人が、いる。そんな彼らからの、メッセージを受け取るような、センセーショナルな体験を、彷彿させる作品だ。

カテゴリー
映画レビュー

034 「千と千尋の神隠し」(2001)

<基本情報>
宮崎駿監督が贈る、長編アニメーション。
国内興行収入は、歴代1位。(2020.4において)
第52回ベルリン国際映画祭や、第75回アカデミー賞で、受賞を果たす。
久石譲が、音楽を手掛けるなど、これまでのジブリ作品を、請け負ってきた面々が、結集している。

 アニメの王道と言えば、やはりスタジオジブリが手掛ける作品かもしれない。(もちろん、それ以外にも、素晴らしいアニメ映画は、国内で、たくさん生まれている。)その名に負けない、人を惹き付ける、世界観が、そこには、ある。僕が、はじめてジブリに触れたのは、「となりのトトロ」だった。幼少時、風邪で寝込んでいるときに、テレビで放映していたのを、たまたま観ていた。それから、どんなに、時が流れても、緑あふれる田舎の風景だったり、不思議な生き物が躍動するシーンを、忘れることはない。心が浄化されていくような感覚が、大人になった今でも、焼き付いている。

 過去に制作された「もののけ姫」にも通じて、考えさせられるのは、すべてのものに、神が宿っているという信仰心だ。私達は、たえず自然と共生してきた歴史がある。どちらかと言えば、自然を、コントロールしようとする西洋の考え方とは、異なる。山や、海、大地の神様に、感謝するという感覚が、映画を観て、呼び覚まされる。日本人らしさを、言葉で定義するのは、難しい。だけど、たしかに、それを感じる。アイデンティティーにまで影響を与える、作品は、数少ない。物語の中に存在する、八百万の神様が、疲れを癒す湯屋「油屋」は、たぶん、ひとり一人の、心に潜む崇拝の気持ちを、具体化している。

 労働を通して、成長していく、千尋。社会と関わることでしか、知ることのできない、この世界の過酷さ。それは、いっけん、10歳の少女には、重すぎる。けれど、いろんな仲間たちの助けによって、困難を乗り越えていく。先輩のリンというキャラクターのセリフ「俺いつかあの街へいくんだ。こんなとこ絶対に辞めてやる。」が、印象に残る。労働階級に属する、だれもが抱く思い。空想でできたアニメの世界には、似つかわしくない。だけど、しっかりと、現実の世界に生きる僕らの心情を、忍ばせる。そういうところが、名作と呼ばれる理由かもしれない。

カテゴリー
映画レビュー

033 「エアフォース・ワン」(1997)

<基本情報>
アメリカ合衆国の指導者、ジェームズ・マーシャル(ハリソン・フォード)を乗せた大統領専用機「エアフォース・ワン」が、テロリストによって、ハイジャックされてしまう。
果敢なアクションを交えて展開される、痛快な作品。
監督は、「アウトブレイク」のウォルフガング・ペーターゼンが、務める。

 終始、緊張感が漂う。まだ、子どものときだったんだと思うけど、ハラハラ、ドキドキした感覚が、記憶の片隅に、残っている。権力を有する人物は、どのような資質を、持ち合わせるべきなのか。たとえ、どんなに偉い階級の人間にも、家族がいる。個人的な感情か、公的な立場における責任の、どちらを、優先するべきか。たぶん、この映画を観る人の、ほとんどが、一般社会に身を置いていると思う。通常では、考えられない決断を、余儀なく迫られるシーンの連続は、僕らに、張りつめた心地を、与える。

 この当時の世界情勢と、今とでは、大きく異なっている。中国の目覚ましい経済成長、グローバル化する社会、深刻化する環境汚染、躍進するインターネット、国際社会におけるアメリカの立ち位置、さまざまな変化が、おとずれている。だからと言って、古い作品に、価値がないというわけではない。世相を反映したものが、面白いかといえば、そうではない。小難しい社会問題について考えるために、エンターテイメントが、存在している世界は、嫌だ。ただ、今を生きているリアリティー、他者を尊重する繊細な感覚、固定観念にとらわれない柔軟な発想、それを、刺激するものを、僕は、求めている。

 テロリズムが、台頭している。それは、もちろん(暴力を肯定しないという意味で)拒むべきだ。この作品は、もちろん、アメリカの目線に立ったものである。たえず、テロに屈しない米国側に、正義があって、それを脅かす思想には、悪が宿ることになる。それは、それで、自由や民主主義を、大切にする者として、格好いいと思うところもある。だけど、みんながみんな、その枠組みに、はまることはない。この世界は、さまざまな視点が溢れ、かつ複雑にできている。それを、ふまえたとき、この作品の、意味が、増幅していく。

カテゴリー
映画レビュー

032 「ハナレイ・ベイ」(2018)

<基本情報>
2005年に、刊行された村上春樹の短編集「東京奇譚集」に収められている小説を、映画化。
監督は、「トイレのピエタ」の松永大司が、務める。
ハワイのカウアイ島で起こった、ある親子に纏わる、不思議な物語。

 鑑賞後に、この映画に出会ってよかったなと思うときがある。反対に、あまり自分の肌には合わなかったなというときもある。いわゆる、あたりだったか、はずれだったかを、つい分別してしまう。本作は、僕にとって、どちらかと言えば、はずれだった。物語が、淡々と進行していく。起伏に乏しく、感情を揺さぶる展開に出くわさない。けれど、なぜこの作品を、レビューしようと思ったのか。それは、印象度の高さだ。つまらない、だけど、全体に帯びる、独特な雰囲気が、僕の心に、残っている。

 まず、僕は、村上春樹という作家の作品を、好んで読んでいる。彼が紡ぎだす文章が、物語として作用するとき、この世界にひとつの、歪みが起きる。それを、きっかけに、魂が、ここじゃない、非現実的な場所へと誘われる。それは、あくまで、小説という形として活字からうける、僕の感想だ。それを、実写化して作品にするというのは、たぶん、とてつもなく難解だと、思う。原作が持っているオリジナリティーを、損なわず、かつ映画という異なる手法で、表現する。万人には、うけない。だけど、あるタイミングが合致して、巡り会うべきときに、この映画に触れたとき、たぶん、あなたのわだかまりが、すっと晴れるかもしれない。

 大切な人を亡くしたときに訪れる、喪失感。その感情と向き合うたびに、なにかが割れたような音がしたように、心が痛い。タカシ<佐野玲於(GENERATIONS from EXILE TRIBE)>の突然の訃報を、母親・サチ(吉田羊)は、長い年月をかけて、受け入れていく。それは、他人からすれば、一風変わった、狂気に満ちた行動にうつる。だけど、人間は、べつに、いつも決まりきった行いをするとは限らない。悲しい時に、僕らは、本当の自由を手にする。家族だから、すべての価値観があうことはない。うまくいかないときもある。それでも、死んでしまった息子への思いを、彼女は、少しづつ、形にしていく。その過程でみせる、表情は、言葉では形容しがたい神秘性に、包まれている。

カテゴリー
映画レビュー

031 「宮本から君へ」(2019)

<基本情報>
新井英樹の人気漫画を、映画化。
2018年には、テレビ東京で、ドラマにもなっている。
監督は、「ディストラクションベイビーズ」の真利子哲也が、務める。
宮本浩次×横山健がタッグを組んで、仕上げた楽曲「Do you remember?」を、主題歌に起用。

 僕は、映画を観終わったあとの、余韻にひたるのが好きだ。時間が経てば経つほど、思いが強くなっていく。だけど、この作品は、鑑賞中から、なにか凄いものを観せられているんじゃないかという気がしてくる。それだけ、疾走感や、熱量が、リアルに伝わってくる。男女の恋愛の在り方を、根本から問いなおすような気迫が、満ちている。夏には、浴衣を着て花火大会に行ったり、冬に温泉で温まったりとかいうような、生温い体験を、映像化しているわけじゃない。まさしく、人間対人間の、奥底に眠る感情の、ぶつかり合いだ。

 この俳優さんが、好きだから、観てみようという、きっかけになることは、多々ある。それにあたるのが、僕にとって、蒼井優という女優だ。どの作品を観ても、しっかりと、爪痕を残す。ナチュラルな演技にもみえる。だけど、けっして平凡な脇役にならない希少性を、もっている。女のいやらしい部分だったり、弱くて惨めにうつる人には見せたくないような内面まで、しっかりと表現する。たぶん、自分の日常に、出くわしたら、ぎょっとするような役柄もある。でも、スクリーンの中で、水を得た魚のように演じる彼女は、美しいのだ。

 女性と交際すること、結婚すること、子をもつこと、それが、男にとって、こんなにも、苦難が待ち受けていることを教えてくれる。普通、うやむやにしたくなることを、宮本(池松壮亮)は、言葉にして、中野靖子に伝える。そのすがすがしさが、なんともいえない魅力になっていく。真正面からは、おぞましくて見るに耐えない、男の加害性。この作品を観たら、たぶんほとんどの人が、男が、いやになると思う。それでも彼は、この2時間をかけて、真の男の在り方を模索しようと、翻弄する。それは、まぎれもなく、宮本から、あなたへ向けた、ファンファーレだ。

カテゴリー
映画レビュー

030 「ハートストーン」(2017)

<基本情報>
第73回ベネチア国際映画祭など、世界の40以上の映画賞を獲得する。
アイスランドの雄大な自然を舞台に、思春期をむかえる人間の、瑞々しい感情をリアルに描く。
監督を、グズムンドゥル・アルナル・グズムンドソンが務める。
主人公のソール役は、今作で俳優デビューとなるバルドル・エイナルソンが演じる。

 大人になることは、避けられない。時が進む。それに、ともなう感情の変化は、否応がなしに訪れる。たぶん、性に目覚めていくころに、どんな友人と過ごすかによって、今後の人生に大きな影響を与える。意地悪なやつがいたかもしれない。弱者や変わり者を、虐めるやつ、あるいは、寛大な性格で、心の優しいやつ。それら、すべての人物が、自分の一部になって、混ざりあう。何をよしとし、何が悪いことなのかを、識別していく。いわば、正義の概念が、かたどられていく。その、刹那的な、一瞬の日常を、この作品は、映像化する。

 異国の文化や習慣を、目にすることによって、わき起こる、繊細な感覚。ビルに囲まれた都会空間で、育った者には、理解できない感性。今いる自分の場所を、より深く見つめ直していく作業が、必要とされる。映像美と相まって、増幅していく、他者への淡い気持ちを、明確に表現していく。少年たちの、澄み切った瞳にうつる景色は、どんな色なのかを、想像する。その頃にしか、味わえない体験をしていく彼ら、彼女らの姿は、観るものに、昔の記憶を思い起こす。いっけん脆いようにみえて、ときに残酷性が、垣間みられる幼い表情。それは、閉塞感が漂う、小さな漁村で、生きていくことの真実を、象徴する。

 金髪の少年・クリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)は、幼なじみである同性のソールに、惹かれていることに気付いていく。そのときの、息苦しさ、絶望、嫌悪感を、等身大の自然な演技で、表現していく。田舎町で暮らしていくこと、家族との関係、かけがえのない友情、それらすべてが、ゲイというアイデンティティーの確立を、困難にする。ずっと、なにも知らない子どものままで、いれたら、どんなに楽だったかと思う。うまくいくことばかりじゃない。傷つくこともある。それでも、必死で自分と向き合おうとするティーンエイジャーの姿は、まぎれもなく青春の全部だ。

カテゴリー
映画レビュー

029 「永遠のこどもたち」(2008)

<基本情報>
2008年アカデミー外国映画賞の、スペイン代表に選出される。
製作を、「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロが、担当する。
今作が長編デビューとなる、J・A・バヨナが監督を務め、本国でも、多数の賞に輝く。
息子であるシモン(ロジェール・プリンセプ)に対する、母親の深い愛を、切迫感をもって描く。

 僕は、ホラーを好んで観る方ではない。怖いのが、あまり得意ではなく、なんなら穏やかな気持ちで、終わりを迎えたい。だけど、この作品は、優しい感触が、しっくりと心に爪痕を残す。まず、特定のジャンルに分けるのが、難しい。しっかりと、恐怖を煽る演出も含んでいる。だけど、それだけじゃない。ファンタジー要素や、スピリチュアルといった精神世界に誘う世界観もある。魂の行方を、模索していく。そんな、途方もない行為を、念入りに練られたストーリーとともに、描写していく。

 母が、子を想う。それは、一見ありふれた感情かもしれない。だけど、その奥には、人間の過去や、記憶が、眠っていることを思い知らされる。愛情に飢える者、溺愛されて育てられた子ども、横行する虐待、幾重にも重なる、親たちの複雑な思惑が、社会にのみこまれていく。どうして、他者を愛することは、願い叶わないんだろう。相手に、思いをぶつけるたびに、すかされる。まるで、自分の存在が、無意味に感じる。空虚に満ちた、尖ったナイフが、どこかでまた、誰かを傷つけていく。なんらかの救いを求める、亡者の声が、虚しく響きながら、命あるものに、伝言を送る。それに、明確な言葉は、いらない。

 死後の世界を、思い描く。僕らが、所属している社会によって、異なる思想は、いつか集約され、ひとつになるんだろうか。生きていくことに、苦難が立ちはだかる。それでも、死んでしまった先に何があるのかが、分からない。浮遊する思考たちが、埃みたいに、舞っている。そこに差し込む太陽の光が、恒久性を帯びているかのように、輝く。安心をもたらす答えは、一向にみえない。そこはかとなく、湧き出る悲しみは、たぶん尽きない。それなら、遠い記憶に秘められた母性に、立ち返る。きっと、そこは、子どもたちの、永遠の住処だ。