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映画レビュー

043 「存在のない子供たち」(2019)

<基本情報>
2018年、レバノン発。
第71回カンヌ国際映画祭で、審査員賞ほか、全2部門で、受賞を果たす。
監督は、長編初となった「キャラメル」で、注目を集めた、ナディーン・ラバキーが、務める。
原題は、「capharnaum」。

 中東映画という、枠組み。国境は、たえず、僕らに重くのしかかる。世界は、あたかも、ひとつに、つながっているかのようだ。でも、ふたをあけてみると、まるで、社会は、いくつもの、セクターに、分断されている。そこで、暮らす人たちは、必ずしも、いいことばかりに、見舞われていない。現実に、目を背けたくなることもある。映画を観ただけで、何かを、分かったような感覚でいられるのは、楽観主義だろうか。それでも、問い続けるということを、やめないでいたい。そう思わせる力が、この作品にはある。

 日本で、生まれたなら、幸せで、貧しい国に、生まれたら、不幸なのか。「貧困」、「移民」という社会問題は、往々としてある。それを、テーマにした作品は、社会派とうたわれる。映画のジャンル分けに、どれだけの意味があるんだろう。だけど、ひとつ確実に言えるのは、本作は、娯楽作品とは、一線を画している。観終わった後の、不思議な脱力感。物語を、どんなふうに解釈し、心の中の、どの位置に、置き場所を定めようか、分からないのである。そんなふうに思ったのは、はじめてかもしれない。

 貧民街で暮らす12歳と思われる少年・ゼイン(両親さえ、彼の年齢を把握していない)は、出生届が提出されていないため、IDを持っていない。彼が、両親を告訴するところから、この物語は、はじまる。それに、至までの経緯を、実情を踏まえた展開とともに、つぶさに、描き出していく。うまくいかないことばかりだと、どうして、自分は生まれてきたんだろうと、感じる。ふさぎ込んでいるわけではなく、ただ漠然と思うのだ。厳しい状況を、目の前にして、彼は、子どもながらにして、それを、実感していく。その眼差しは、「命の始まり」に対する、疑念を抱かせるまでに、神々しい。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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