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詩的表現

纏綿

共感も

理解も

承認も

全て

得ようとする

愚か者たち。

客観的に

自己を

捉えようとしている

僕も

しょせん

おなじ

穴の狢だ。

愛されたい衝動、

認められたい欲求、

すべてが

醜い。

弱虫な自分は

声を出すことさえ

ままならない。

世界が

歪んでいく。

ピントが

ずれていく。

物事の

本質を

捉えろ。

大人たちは

いつも

重要なことを

ぼかそうとする。

本当は

もう

答えを

手にしている

はずなのに。

誰かを

特別に

思う

感情。

それが

この世で

いちばん

くだらないものだと

勘違いしていた。

それに

気付かせてくれたのは

他ならぬ

あなただ。

鼓動が

時を

刻んでいく。

意味のない言葉を

並べていく。

纏綿している

イメージを

塗り替えていく。

特に

なにかを

成し遂げようと

しなくても

社会は

何事もなく

まわっていく。

生まれた

意味を

考えてしまう。

雑踏に

まぎれながら

仕事に行く。

いつか

やってくる

「無」への招待。

それを

待ちつつ、

上辺だけの

笑顔を

備えて

つまらない社会で

生きていく。

よりよい世界に

変えていくという

青臭い

野望を

心に

しまい込んで。

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映画レビュー

024 「女の子ものがたり」(2009)

<基本情報>
「毎日かあさん」など、ユーモア溢れる作風で知られる、西原理恵子の自叙伝的作品を、映画化。
監督は、森岡利行が務める。
主人公の子ども時代を、森迫永依、高校生時代を、大後寿々花、大人になったグータラ漫画家を、深津絵里が、それぞれ演じる。

 女の子が、生きていく道。それを、想像する。夢や、希望に溢れているかもしれない。苦難や、絶望が、待っているかもしれない。たぶん、僕が、男性として歩んできた、人生とは違うんだと思う。男社会と、よく耳にする。まるで、男が中心になって、世界がまわっているかのような、感覚。知らず知らずのうちに、手にしている特権。それを、横目に、必死で、幸せになろうとする彼女たち。男女平等という理念が、唱われて、どれくらい経つんだろう。

 フェミニズムについて、議論されるとき、男の意見と、女の意見が対立するのって、くだらない。たぶん、いつも男性が優位に立つから、私も男になりたいと思っているのが、フェミニストじゃない。女性が、女性のまま、自分らしくいきていける社会を目指すのが、しっくりくる。男が、女性を性的にみる個人の欲望なんて、どうでもいい。男が、考えなければならないことは、思いもよらぬ場面で、性的に消費されることの嫌悪だと思う。

 本作は、人生に行き詰まった女性が、生い立ちを振り返り、そこで出会った友だちのことについて、回顧していく。たぶん、押し殺した感情が、いくどとなく、溜まっていたんだと思う。だから、昔を思い出すことによって、自分が何に怒り、何に幸せを感じていたのかが、明確になっていく。私の思いなど、だれも興味を示さないと思わされ、社会の隅っこに、いつのまにか、追いやられていく。でも、それでも、女性は、声をあげていくべきだ。たとえ、それが、波風をたてるようなことであっても。

 女性が蔑視されているなら、改めなければならない。女性が、生きにくい社会なら、変えていかなければならない。言葉にできないけど、私達は、たしかに排除されている。それでも、強く、逞しく、麗しく、生きていく少女らの姿が、描き出されている。きれいなことばかりではない。貧困や暴力が、往々としてある。男って、馬鹿だなと思う。自分の、どうしよもない部分を、受け入れていく。どちらにしろ、人生は、荒れ狂う、荒野だ。だけど、闘う意志を捨てない、あなたは、きっと幸せになれる。

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映画レビュー

023 「ナチュラルウーマン」(2018)

<基本情報>
第90回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。
監督は、「グロリアの青春」のセバスティアン・レリオが、務める。
ナイトクラブで、シンガーとして働くトランスジェンダーのマリーナ役を、自身も、トランスジェンダーの歌手であるダニエラ・ベガが熱演。

 LGBTという言葉がなかった時代、当事者は、どのように、自己を定義していたんだろう。生きることにたいして、誠実になろうとしても、周囲の理解を得られないもどかしさを、想像する。変わり者扱いされ、好奇な目を向けられる。きたない言葉で、罵られる。暴力をうける。そんな、ひどい状況でも、自分らしさを、捨てなかった、彼ら、彼女らの姿は、逞しさを帯びていく。

 近年、セクシャル・マイノリティーを題材にした作品が多く生まれるのは、なにも、目新しさだけが、理由ではない。その裏に、人間の尊厳を、ひたむきに守ろうとした真摯な愛の姿が、あるからだと、僕は、思っている。男であること/女であることに、なんの疑問も、もたない。その自明性を前提に成立する社会は、たぶん、生きにくい。あたり前を、壊していく。そこから、始めていくべきなのだ。

 自分とは、異なる性質のものにたいする、怪訝なまなざし。理解したくても、そこに辿り着くことを阻む、見えない壁。それは、誰にでもある。ときに、それが、人を傷つける言葉に、つながるのかもしれない。偏見は、いけないと分かっていても、悪意が混在した行動へと、変容していく。スクリーンのなかの、いわゆる差別する側は、とても悪者に見える。そんな醜い人間性が、自分の中にあるんだと思うと、ぞっとする。それでも、優しくありたいと願う僕らは、どこか、矛盾をはらんでいる。

 主人公を演じるベガは、チリ・サンティアゴ出身である。その国は、保守的な色合いが強く、彼女を取り巻く環境は、苦しいものだったかもしれない。その生い立ちが、この映画の役柄に、にじみ出ている。彼女の、澄み切った目が、大切な人を喪失したリアリティーを、物語っている。彼を想い、歌唱するシーンは、圧巻である。音楽は、分け隔てなく、平等に、僕たちに、希望を、降り注ぐ。

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思考

涙の霖(ながあめ)

 今まで、はっきりしてなかったことが、明らかになっていく。けれど、それで、全てを知っているかのように、語られる言説に、説得力は、ない。知るということは、知らないことが増えていくことと、同じ意味だと思う。社会で起きる、様々な出来事は、ここで生きる、虫けらみたいな弱い僕の、頭の中と、繋がっている。苦悩する人々の声を、無視し続ける、この世界が、嫌いだ。もちろん、自分を、含めて。

      ★     ★     ★

・消費と排除
 どうして、いつも、正常な市民は、消費することが、求められるんだろう。経済が、大きな顔をして、まるで、世界の在り方を、決めつけてしまっている。そんなのただの、ひとつの、考え方にすぎないのに。お金を稼いで、欲しいものを、手に入れる。途切れることのない、欲望が前提とされる社会は、息苦しい。買いたいものなんて、何一つないと言うことが怖かった。そうすれば、役に立たない人間として、そそくさと排除されるみたいで。
 行き過ぎた消費市場は、歩みをとめようとしない。たぶん、どんなに地球環境が破壊されようとも、資本主義は、機能していくんだと思う。ただそれは、労働搾取、戦争、病気、貧困、飢餓、多くの人間の、犠牲によってなんだと、はっきり言うべきだ。格差が、拡がっていく。なんらかの、転換が必要だ。だけど、代替案を、だれも、提示できない。混沌とする世界で、ただ、もがいている。

・ちっぽけな正義
 無差別殺人が、おきる。なんの落度もない人が、命をおとす。メディアは、犯人の生い立ちを、紐解こうとする。そんな人間をつくり出してしまった社会にも、責任があるという側と、感情に押され、さっさと死刑にしてしまえばいいという側に、分断される。生きづらさの正体が、分かれば、納得もできるだろう。だけど、誰しもが、うまく周囲にとけ込めない孤独や、全て自己責任にされてしまう、行き場のない怒りの所在を、明確にできないでいる。
 遺族の感情を、考えれば、極刑が妥当であると誰かが言う。刑罰を科す司法について、詳しいわけじゃない。ただ、裁判は、憎しみを果たすためにあるシステムなんだろうか。ここが、法治国家であるならば、法に定まられたやり方で、刑を決めればいい。正しいのかも分からない正義を、振りかざすことができるほど、僕らは、賢くもない。

      ★     ★     ★

 これまで、流されてきた涙が、霖になって降るとき、それは、世界の終わりが近づいてきた証拠だ。あなたが「自分は、普通である」という根拠は、何なんだろう。なんなら、僕だって、世間の喧騒から離れたところで、思想や哲学について、考え込んでみたい。だけど、生きるのって、もっと泥臭い場所で、這いつくばることしかできない。目の前にある社会は、そう、甘くはない。だけど、たとえ、腐敗しきった世界でも、あなたの思考が、止むことはない。

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詩的表現

思惟の海面

積み重ねられていく

いくつもの

嘘。

どうして

幸せなふりを

演じてしまうんだろう。

自分が

なりたい

自分は

決して

そこには

いないのに。

他人に

どう見られているかなんて

どうでもいい。

けれど

いつのまにか

見栄っ張りが

顔をだす。

あなたとの

距離を

縮めたい。

奥底に

眠る

本当の

目的を

思い出す。

次から次へと

口から

こぼれる

数々の

綺麗ごと。

だって

本当のことを

言ってしまえば

嫌われる。

思惟の海面に

浮かぶ

僕は

しどろもどろだ。

ほんとに

クソみたいな

ことばかりだな。

暗いやつだと

思われたくないから

本心を隠す。

ここで

真面目な

話をしたって

しらけるだけだ。

それでも

言葉を

紡ぐことは

やめないでおこう。

今日も

人知れず

傷ついた心を

独りで

癒そうとする

あなたに

魔法をかける。

夜空に

浮かぶ

星屑が

降る日、

音もなく

静寂に

包まれた

世界で

眠りにつく。

スマホの画面から

漏れる

白い光が

急に

現実を

連れてくる。

たぶん

いつもと

同じように

朝が来る。

新しい

なにかに

期待している

心持ちは

そんなに

悪くない。

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詩的表現

ディシプリン

考えすぎてしまう

癖が

行く手を阻む。

浮かんでは

消えていく

表出しなかった

言葉たち。

でも

それで

よかった。

意図せず

誰かを

傷つけて

しまうよりは。

心ない

コメントが

溢れかえる

現代で

僕らは

いったい

誰の声を

信じたらいいんだろう。

大人でさえ

手探りでしか

進めない。

幸せとは

何なのかを

つかみきれていない。

そもそも

万人にとっての

幸福なんて

実在するんだろうか。

価値観が

多様化していく。

環境も

考え方も

思想も

異なる人間が

分かりあうことなんて

はなっから

無理があったと

識者が言う。

ディシプリンの出現が

個人を管理しようとする。

支配したがりの

権力者の

醜い欲望に

やりをたてろ。

民衆が

主役だという

スローガンが

虚しく

聞こえる。

弱者を

切り捨てながら

私腹を

肥やそうとする

やり方が

尊厳を

奪っていく。

なにもかも

くだらない。

だから

僕は

ここにある

大切なものだけを

守ることにした。

それが

いつか

あなたに

届くことを

祈る。

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映画レビュー

022 「西の魔女が死んだ」(2008)

<基本情報>
170万部を突破し、ロングセラーとなった梨木香歩の小説を、映画化。
監督は、「8月のクリスマス」の長崎俊一が、務める。
祖母役として、サチ・パーカーが主演をはる。
主題歌は、手嶌葵の「虹」。

 自分が年老いていき、いつか老人になるんだと思う。だけど、そこにどんな私がいるのかが、驚くほど、想像できない。どんな暮らしをしているのか、だれか連れ添う人はいるのか、孤独のうちに身を置いているのか、不確かな未来だけど、確実に、今の延長上に、それは、ある。田舎で生活する、イギリス人のおばあちゃんは、魔女と呼ばれていた。彼女の、自然とともに調和しながら、生きていく様は、観る人の心に、不思議な安心を、もたらす。都会で暮らすことに、慣れてしまった僕たちにとって、本当に生きていく上での、必要な力を、教えてくれる。

 まいは、学校になじめず、不登校になっていた。少女から、女性になる年頃の女の子の、憂鬱にも似た薄暗い感情。周囲に対して、冷めた眼差しを向ける、いたいけな瞳。ひとりひとり、成長するスピードは、確実に違う。その中で、教室に詰め込まれて、その他大勢と仲良くすることを余儀なくされることは、一部の人にとっては、苦痛かもしれない。なんの疑問も持たずにすめば、楽になれるのにと、何度も考える。ぱっとしない毎日、先行き不安な将来、大人になっていくことに、ためらいを感じる瞬間ほど、恐ろしいことはない。だけど、時は、無情にも、進んでいく。

 人は、死んだあと、どうなるんだろう。それは、凡庸な問いかけかもしれない。だけど、いつからか、年を重ねるにつれて、重大なテーマになっていく。生きる方法は、様々なのに、死んでいく術は、決まっている。忌々しい自我を、手放したいと願う一方、無になることを遠ざける。なにか、答えを欲しがる愚かで、浅はかな自分。焦りだけが、ただ降り積もっていく。だけど、幾度となく繰り返される日常に、ゆとりが生まれたとき、ふっと、気持ちが軽くなる。この作品は、そんな魂の琴線に、そっと触れるかもしれない。

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映画レビュー

021 「ムーンライト」(2017)

<基本情報>
第89回アカデミー賞で、作品賞、脚色賞、助演男優賞の3部門を受賞。
キャストには、「007」シリーズのナオミ・ハリス、テレビドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のマハーシャラ・アリという名俳優たちが、揃う。
製作総指揮は、アクターとしても評判の高い、ブラッド・ピッドが、務める。

 LGBT、ジェンダー、マイノリティー、次々と生まれる概念は、果たして、人間を生きやすい方へと導いてくれたのか。普通と特殊との間に線引きをして、区別していくことで得られる安心は、幻想じゃないかと思えてくる。その人自身に問題があるとか、ないとかの判断は、たぶん誰にもできない。あくまでも傾向として、それぞれを捉えることができたら、互いの理解に繋がっていく。この社会が、どんなふうにあるべきかを問うことは、ひとり一人が抱える生きづらさと真正面から向き合うことと、同義だと僕は思う。

 マイアミの貧困地域で暮らすシャロンは、小柄な体格のおかげで、周りから「リトル(チビ)」と呼ばれている。男の子は、男の子らしく振る舞うべきだという規範は、一見あたり前のように感じる。そこから外れる者は、排除されてしかるべきだというのは、間違っている。性が倒錯してしまうことに、一抹の不安を覚えるかもしれない。だけど、もう、すでに、性的少数者の問題は、人権課題として認識されている。いまさら多様性を、蔑ろにするほうが、違和感がある。女の子らしく行動する男の子が、いてもいい。それを、受け入れることができるのは、これからを生きる、まぎれもない僕たちなのだ。

 黒人の同性愛をテーマにすることに、なんの意義があるのか。ゲイとして生きること、黒人として生きること、母子家庭に生まれること、薬物に向き合うこと、貧困のさなかで、なにが大切かを知ること、それらすべてが、この映画に組み込まれている。月明かりのしたで、友情以上の感情に、戸惑いながらも、互いの距離を近づけていく場面は、きっと、情緒性に満ちている。少年から、大人になっていく過程で、彼らの容貌も、性格も、生活環境も、大きく変化する。だけれども、変わらない「愛」が、そこには、あった。たぶん、どんなに悲観的なことが起きても、けっして揺るがない、特別な思いを再発見できる。

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詩的表現

リミッター

不完全な

部分を

見せるのが

怖かった。

本当の

自分を

さらけ出した瞬間に

向けられる言葉を

想像する。

弱い存在であること、

無能であること、

役にたたないこと、

自信がないこと、

そんな人間は

きっと

誰からも

必要とされないんだと

思ってた。

価値を決めるのは、

自分ではなく

他者である。

もっともらしい言葉が

とても

陳腐に

見える。

あの日を堺に

僕を

無視し続ける社会で

生きることを

決めた。

というより

それ以外に

道はない。

僕だって

大人になる。

働いたりする。

稼いだお金で

腹を満たしたりする。

理性と感情の狭間で

振り切りそうな

リミッターを

制御することに

疲弊する。

いっそのこと

死に帰結する

思考が

よぎる。

誰かを

傷つけても

構わないと

無邪気に

振るまう

自分が

恐ろしい。

手足の震えが

伝染する。

路上に立つ

ミュージシャンの歌声を

食い入るように

聞いていた。

お前は

無価値であるという声に

抗う。

生きるとは

そういうことだ。

僕は

今日も

あの灯台に登り

風に吹かれる。

少し湿った空気を

おもいっきり

吸い込んで

呼吸をする。

いつもと同じように。

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詩的表現

リアルワールド

いつか

僕らの

社会は

目を背けたくなるような

光景で

覆われてしまうんじゃないだろうか。

予想だにしない

出来事が

次々と

巻き起こる。

そのことを

実は

誰しもが

気付いている。

不安な

未来にたいして

準備をしておくことで

精一杯だ。

裏切られた希望を

持て余す。

リアルワールド(現実社会)は

たいてい

幻滅することが

ほとんどだ。

いっさい

光が

届かない

場所で

なにかを待つ。

親の期待、

それにそぐわない自分、

搾取される労働者、

取り繕われた正義、

むせ返るような

黒煙が

正気を

かき乱す。

行き場のない

亡霊たちは

うめき声を

あげる。

不健康な

精神が

誰かを

傷つけてしまう前に

ここを出よう。

くだらない常識を

蹴り飛ばして

旅にでる。

まだ

冒険は

始まったばかりだ。