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映画レビュー

023 「ナチュラルウーマン」(2018)

<基本情報>
第90回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。
監督は、「グロリアの青春」のセバスティアン・レリオが、務める。
ナイトクラブで、シンガーとして働くトランスジェンダーのマリーナ役を、自身も、トランスジェンダーの歌手であるダニエラ・ベガが熱演。

 LGBTという言葉がなかった時代、当事者は、どのように、自己を定義していたんだろう。生きることにたいして、誠実になろうとしても、周囲の理解を得られないもどかしさを、想像する。変わり者扱いされ、好奇な目を向けられる。きたない言葉で、罵られる。暴力をうける。そんな、ひどい状況でも、自分らしさを、捨てなかった、彼ら、彼女らの姿は、逞しさを帯びていく。

 近年、セクシャル・マイノリティーを題材にした作品が多く生まれるのは、なにも、目新しさだけが、理由ではない。その裏に、人間の尊厳を、ひたむきに守ろうとした真摯な愛の姿が、あるからだと、僕は、思っている。男であること/女であることに、なんの疑問も、もたない。その自明性を前提に成立する社会は、たぶん、生きにくい。あたり前を、壊していく。そこから、始めていくべきなのだ。

 自分とは、異なる性質のものにたいする、怪訝なまなざし。理解したくても、そこに辿り着くことを阻む、見えない壁。それは、誰にでもある。ときに、それが、人を傷つける言葉に、つながるのかもしれない。偏見は、いけないと分かっていても、悪意が混在した行動へと、変容していく。スクリーンのなかの、いわゆる差別する側は、とても悪者に見える。そんな醜い人間性が、自分の中にあるんだと思うと、ぞっとする。それでも、優しくありたいと願う僕らは、どこか、矛盾をはらんでいる。

 主人公を演じるベガは、チリ・サンティアゴ出身である。その国は、保守的な色合いが強く、彼女を取り巻く環境は、苦しいものだったかもしれない。その生い立ちが、この映画の役柄に、にじみ出ている。彼女の、澄み切った目が、大切な人を喪失したリアリティーを、物語っている。彼を想い、歌唱するシーンは、圧巻である。音楽は、分け隔てなく、平等に、僕たちに、希望を、降り注ぐ。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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