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思考

涙の霖(ながあめ)

 今まで、はっきりしてなかったことが、明らかになっていく。けれど、それで、全てを知っているかのように、語られる言説に、説得力は、ない。知るということは、知らないことが増えていくことと、同じ意味だと思う。社会で起きる、様々な出来事は、ここで生きる、虫けらみたいな弱い僕の、頭の中と、繋がっている。苦悩する人々の声を、無視し続ける、この世界が、嫌いだ。もちろん、自分を、含めて。

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・消費と排除
 どうして、いつも、正常な市民は、消費することが、求められるんだろう。経済が、大きな顔をして、まるで、世界の在り方を、決めつけてしまっている。そんなのただの、ひとつの、考え方にすぎないのに。お金を稼いで、欲しいものを、手に入れる。途切れることのない、欲望が前提とされる社会は、息苦しい。買いたいものなんて、何一つないと言うことが怖かった。そうすれば、役に立たない人間として、そそくさと排除されるみたいで。
 行き過ぎた消費市場は、歩みをとめようとしない。たぶん、どんなに地球環境が破壊されようとも、資本主義は、機能していくんだと思う。ただそれは、労働搾取、戦争、病気、貧困、飢餓、多くの人間の、犠牲によってなんだと、はっきり言うべきだ。格差が、拡がっていく。なんらかの、転換が必要だ。だけど、代替案を、だれも、提示できない。混沌とする世界で、ただ、もがいている。

・ちっぽけな正義
 無差別殺人が、おきる。なんの落度もない人が、命をおとす。メディアは、犯人の生い立ちを、紐解こうとする。そんな人間をつくり出してしまった社会にも、責任があるという側と、感情に押され、さっさと死刑にしてしまえばいいという側に、分断される。生きづらさの正体が、分かれば、納得もできるだろう。だけど、誰しもが、うまく周囲にとけ込めない孤独や、全て自己責任にされてしまう、行き場のない怒りの所在を、明確にできないでいる。
 遺族の感情を、考えれば、極刑が妥当であると誰かが言う。刑罰を科す司法について、詳しいわけじゃない。ただ、裁判は、憎しみを果たすためにあるシステムなんだろうか。ここが、法治国家であるならば、法に定まられたやり方で、刑を決めればいい。正しいのかも分からない正義を、振りかざすことができるほど、僕らは、賢くもない。

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 これまで、流されてきた涙が、霖になって降るとき、それは、世界の終わりが近づいてきた証拠だ。あなたが「自分は、普通である」という根拠は、何なんだろう。なんなら、僕だって、世間の喧騒から離れたところで、思想や哲学について、考え込んでみたい。だけど、生きるのって、もっと泥臭い場所で、這いつくばることしかできない。目の前にある社会は、そう、甘くはない。だけど、たとえ、腐敗しきった世界でも、あなたの思考が、止むことはない。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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