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映画レビュー

028 「キンキーブーツ」(2006)

<基本情報>
イギリス発の、ユーモラスな作品。
良質な映画で評判の、ミラマックス・フィルムズが手掛ける。
ジュリアン・ジャロルド監督が、初の長編劇場として送り出す感動コメディーである。
「インサインド・マインド」のキウェテル・イジョフォーが、ドラッグクイーン役ローラを、熱演。

 観終わった後の、爽快感が抜群。不思議と幸せな気持ちになる。べつに難しいストーリーを追うわけでもない。暴力や、セックスが描かれているものでもない。だけど、人を惹き付ける魅力が、この作品には、ある。僕には、僕の視点が存在する。たぶん、それは、みんながみんな、同じではない。好き嫌いが、わかれることは、珍しくはない。すべての人間の感性を、網羅しようとする物語は、つまらないだろう。画一化されない、歪な価値。言葉にできない、不確かな差異。そのままの姿で、あなたは美しいんだと語る、彼らの奮闘は、観る人の心を掴む作用に、満ちている。

 とある靴工場の再起をかけたお話。ものづくりに携わる職人たちと、優柔不断な跡継ぎ、チャーリー(ジョエル・エドガートン)が、生き残りをかけて、懸命に、力を尽くす。資本主義が席巻する社会で、いつの間にか、僕らは、いかに、物を売るかばかりを、考える。少しでも利益を得ようとする貪欲な野心、労働者の不満、先の見えない不景気、降り積もる不安の先に待ち受ける未来は、まだ、みえない。その中でも、希望を見つけていく、逞しい人間は、優しさをかね揃えている。そこに、救いがあるんだと、教えてくれる。

 キンキー(kinky)とは、「性的に倒錯した」という意味をもつ。女装することは、いったい、彼らにとって、何を指し示すんだろう。田舎町ノーサンプトンに住む、工場の人たちの、ローラにたいする反応が、印象的。女性の格好をした、大柄な黒人男性。自分とは異なる性質をもつ、理解したくても、それに及ばない人間への、偏見、無理解、差別。LGBTという枠に、収まることによって、得ることのできる市民権。これまでの歴史における、マイノリティーの立場。いろいろ、言いたいことはある。そんな話を抜きにして、この映画は、人間の生きていく力、自分らしくいることの素晴らしさ、幸せになろうとする屈強さを、見事に、表現している。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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