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映画レビュー

027 「マイ・フレンド・フォーエバー」(1995)

<基本情報>
多くの人が、涙し、彼らの友情に、心打たれる。
俳優としても活躍するピーター・ホートンが、初のメガホンをとる。
原題は「the cure」(治療法)。
主人公のエリックを演じた、ブラッド・レンフロは、25歳で、ヘロイン過剰摂取により亡くなっている。

 いつまでも、記憶に残る映画が、ある。僕にとっては、この作品が、それにあたる。ひとつの物語に触れて、泣くという行為にいたる体験は、とてもセンセーショナルだ。たぶん、スクリーンを前にして、涙ぐんでしまうほど、哀傷を感じるのは、よっぽどのことなんだと思う。だけど、無理矢理に、感情を揺さぶろうとは、しない。自然と、視界がにじんでしまう。そんな風に、俳優らの迫真の演技を交え、ストーリーが展開していく。

 かつて、HIVは、不治の病だった。エイズ患者にたいする差別も、存在していた。僕らは、どんなに正しい知識を得ても、未知のことに不安になる。病気や、属性を、理由に、排除しようとする態度に、いともかんたんに陥ってしまう。幼い頃にうけた輸血のせいで、エイズを患ったデクスター(ジョセフ・マッゼロ)もまた、孤独な人生を、送っていた。そんな彼に、舞い降りた出会いは、いつまでも消えない結晶のようだ。きれいであるほど、はかない定めをうける運命とは真逆みたいに。

 2人の少年はともに、父親のいない家庭に暮らすという境遇にあった。一方の母親は、病気の子に関わる我が子を、糾弾し、離れさせようとする。関係は、上手くいっていない。シングルマザーとして生きる苦難を、だれも理解しようとしない。そのもどかしさが、怒りになって、表出する。けれど、エリックは、決して、愛情に飢えていることを理由に、他人を傷つけたりしない。偏見をもたず、隣に引っ越してきた、難病を抱える少年と、交流を深めていく。

 デクスターは、自分の病気を受け入れつつも、どんどん弱っていく身体に、恐怖と悲しみを、感じている。子どもがもつ、やがて、おとずれる「死」への想い、感情。それは、ほんとうに観ていて、痛々しい。普通なら、悲観してしまう状況でも、ひたむきに生きようとする姿は、たぶん、どんな人にも、勇気を与える。僕らは、どうして、限られた命を、疎かにしてしまうんだろう。今という、かけがえのない時間の、鮮やかさを、浮き彫りにする。この映画は、まさにハートフルという言葉を、体現している。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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