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思考

月の光

 差別的な表現は、控えるようにという概念が、社会を、渦巻いている。組織の多様性を促す目標を達成するために、企業が努力するのは、良いことだと思う。でも、過剰なまでの反応は、漂白されきった世の中じゃないといけないという流れを、つくってしまわないか。そんな世界では、ただでさえ、呼吸のしにくい情況を、悪化させるだけだと思う。

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・行き場のなさ
 もう底辺の仕事に、毎日を忙殺される日常は、まっぴらごめんだと、ある労働者が、声を荒げながら言ったとたんに、彼は、この社会から、冷ややかに、排除されてしまうのだろう。現代社会が生み出している雇用は、明るい未来なんて、見えない仕事ばかりではないかという嘆き。将来性のないことは、分かっていても、今日食っていくためのお金を生み出すので精一杯の僕らに、次の行き場などない。たぶん、資本主義は、非正規雇用という低賃金労働者なしでは、立ち行かなくなっているのは、目に見えている。それでも、拡大する格差について、真剣に議論する余裕は、いまのところなさそうだ。

・そんなもん
 例えば、イスラモフォビアという言葉について、思考する。日本にも、ムスリムに対して、嫌悪感を持つ人は、きっといるんだろう。伝統的な価値観にそぐわないと、閉め出すという行為は、いささか、暴力的だと思う。イスラムへの理解が深まったとしても、実際は、社会のなかに蔓延するヘイト感情の行き先が、変わるだけだ。人間て、そんなもんだ。

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  ただ、人の喋る声だったり、笑っている顔を、画面に映したいだけという理由で、つけられているテレビが、今日の出来事を、淡々と語る。別に、熱心に観ている訳じゃない。なにかしら、孤独を紛らわす装置が、僕らには必要なようだ。だれにでも、ふとした言葉のなかに隠れている刺によって、傷つく場合がある。そのときは、心の中に、小さな部屋が用意されていて、その中に閉じこもり、時が経つのをじっとして待つ。天井にはいった、小さな亀裂から差し込む月の光に、祈りを込めながら。

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模倣

 人とは違う部分を、武器にして、お金にかえる時代がきたと、一人の賢者が語る。誰だって、不完全な自分を、消すことなんてできない。ありのままの個性が、すでに、愛されているというのは、少し呑気すぎやしないか。その他大勢に埋もれながら、私という牢獄のなかで、もがきながら生きていく人生に、辟易している。

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・哀愁
 才能、オリジナリティー、非凡さだけが、この社会を、生き抜くために、必要なんだ。そういって、なんの取り柄もない人を、排除していく。都会の波に、もまれながら、ずる賢さを、身につけていく日々。まがいものが、氾濫する世界において、今度は、誰が、偽物をつかまされるのかを、注視する、他人のまなざしは、どこか、哀愁さえ、漂っている。

・ひずみ
 排斥するのが、目的なんだと、堂々と、主張する彼らのなかに眠る、劣等感と、自尊心。どんどんと、生きづらくなる世の中に、なにかものを言いたげな、心のひずみは、隠しようがない。独自性を、尊重するというきれいごとのそばで、ひとりひとりが抱える、ここに至までの、複雑な経過を、蔑ろにしているのは、乱暴のほか、なにものでもない。

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 人格も、性格も、人間性も、断片的なものによって、形づくられている。いま、僕が発する言葉も、時折みせる仕草や、頭の中を巡る思考さえも、すべて、模倣に過ぎないなら、この私という自我は、どこからやってきて、そして、どこに、向かっているのだろう。年の瀬の、慌ただしさのなかに身を任せては、どこか、ぎこちない大人になりきれない自分を、さらけ出す。傷つくことを恐れて、震えている誰かへ。良い年を、迎えることができるように、祈りをこめて。

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ここではないどこかをめざして

 人生のなかで、どうしても、折り合いのつかないことを、笑ってやりすごすことができる。そうやって、どうしようもない自分というものと、なんとか、付き合っていけるのだろう。僕たちは、僕たちの人生に、縛りつけられている。いろんな不充分さを抱えた、この自分というものに、閉じこめられて、一生を、生きるのだ。

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・鎖を解く
 家庭や、結婚は、こうあるべきとか、女性や、男性は、こうあるべきだと、思い込んでいて、それが、がんじがらめに縛る、鎖になっている気がする。そして、そこから、外れた人は、自分が、悪いのではないか、自分は、もう幸せになれないのではないかと、思い込まされる。

・区別から逃げる
 同性愛の人、子どもが、できない人など、家族や結婚に関してだけでも、いろいろな生き方がある。それに、働き方や趣味のありかたなど、生きていくうえで、している、ありとあらゆることについて、良いものと、良くないものが、決められ、区別されていく。まるで、自分は、幸せについて、正解を、知っているかのように、語りだす。それは、ひとつの暴力なんだと、思う。

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 僕らは、いつでも、出口を探している。あるいは、生きている実感、リアリティーを、欲している。そのためには、他人だって、傷つけるし、手首を切って、生暖かい血に、浸ってもいいのだ。それほどまでに、今を生きていく困難さを、訴えたい衝動は、止まらない。
 実際は、自分が住んでいる街のことしか、知らない。まるで、好きなところへと、出かけていく自由を、剥奪された身として、生きているみたい。でも、外の世界にむかって、開いている窓をあけて、どこにでも行くことのできる感覚は、何なんだろう。僕らは常に、ここではない、どこかをめざしている。

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束の間のかがやき

 人間が、物質的存在として、あり続けてる、世界においては、どのような神も、永遠の生命も、存在しない。僕らのさきに、待っているのは、やっぱり、死だという事実は、隠しようがない。やがて、土に還るときまでの一瞬のなかで、思考を、巡らしたり、誰かを、愛したりする不思議さを、僕は、忘れたくない。

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・近代的とは
 メディアでは、新しいムーブメントにたいしての、名称が、とりだたされる。なかでも、僕は、「孤独死」や「無縁社会」という言葉に、関心を、抱いた。人生の最後を、一人で迎える意味を、考え続けた。多くの人は、そんな最期を迎えるのは、悲しいと、捉えるだろう。でも、きっと、価値観は変化していくし、呼称だって、移り変わる。一人で死ぬことを、受け入れて迎える終わりを、「独尊死」と名付けた。一人でも、安心して死んでいける社会を、築いていくことが、近代社会のひとつの道なんじゃないだろうか。

・衝撃
 現代社会に蔓延る、悪にたいして、どう向き合っていくかを考えたすえに、釜ヶ崎という、日雇い労働者が、野宿して生活する場所に、足を踏み入れることになる。そこで、話を聞いていくと、誰しもが、現実的に、死について考えることは、困難だと話す。明日どう、生きればいいのかという、不安に陥っている、現状を、垣間みる。基本的に、生活に必要なことに不自由していない僕は、衝撃を受けることになる。

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 人生の、ある一定の期間くらい、ひとは、学ぶ時間が、あってもいい。なにかの、役に立つためとか、立派な大人に、なることを、目標にせず、ただ、自分の関心の、奥に、突き進んでいく。それは、豊かさの、象徴になりうると、僕は、思っている。
 みんなが、やがて死すべき者として、ここに今、出会っている、愛おしさは、どんな風にいえば、伝わるんだろう。人間の意識も、人類の全文化もまた、永劫の宇宙のなかでの、束の間の、かがやきにすぎない。

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<目の独裁>

 かつて、ジョン・レノンが、「イマジン」(想像してごらん)という歌を、うみだした。この歌が、こだましつづける、当時の日本は、どんな時代を、むかえていたのだろう。生き方が多様化してくるこの頃、市民社会の前提を、つきくずしてきたのかもしれない。でも、まだ、令状がくれば、戦場に行くというふうに、身体の中にプログラムされ、埋め込まれているのだとしたら、それは恐ろしい。

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・エンドレスリピート
 人は、生まれてきたときから、世界は、こういうものだと、教えてくる。だから、自然に、教えられた世界以外の世界を、見ようなどという、選択の余地を、奪われる。いったん、このような世界の在り方が、確立されると、僕らはそれを、たえまないことばの流れによって、死ぬまで、くりかえし、再生しつづける。

・世界を止める
 「商品に値段がある」とか、「お金で人を雇える」といった当たり前のことを、不思議に思う感覚は、一度、持ってしまうと、なかなか、離れない。一見、平凡なもののようにみえることも、少し考えれば、奇妙なこととして、問題的に感じることは、生きにくいのかもしれない。だから、「世界を止める」、すなわち、自己の生きる世界の自明性を、解体することが、僕にとって、必要になってくるのだ。

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 これまで築いてきた文明は、目に、依存していると、言われることがある。目の世界が、唯一の、客観的な世界であるという偏見に、満ちている。でも、そのような<目の独裁>から解き放たれたとき、はじめて、世界をきく、世界をかぐ、世界を味わう、世界にふれることが、できるのかもしれない。そのとき、この社会の複雑性を、知り、奥行きまでも、変えてしまうはずだ。

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沈黙のことば

 自分は、世界で一番大事なものだなぞと、思っとるかぎり、まわりの世界を、本当に理解することは、できない。世界は、いつも、個人を隔離しようとする。あらゆるものから切り離された僕は、まるで、目かくしをされた馬みたいに、真っ暗闇のなかをただ、暴れ回っているだけなのだ。

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・マルクスを、想う
 資本主義が席巻する社会で、誰しもが、いかにして、収益を絞り出していくかというメカニズムについて、知ろうとする。例えば、10時間かけてやっていた仕事が、8時間で、片付くようになったからといって、一日の労働時間が、短縮されることはない。それどころか、上昇した生産性を持って、より多くの生産物を、生み出すことを求めようとする。そして、新たな収益を、資本家は自分のものにして、労働者の報酬を、増やそうとしない。そんなことは、だいぶ前から、マルクスが、明快に答えているはずなのに、なにも変わる気配は、ない。

・どこまで、自己責任を、押し通すのか
 今のうちは、いい。毎月、振り込まれる給料のうち、少しは、貯金にまわして、残ったお金で、休日に恋人と映画を見るような幸せは、手に入れることができる。きっと、何の魅力もない、能力もない人間が、最後まで、人生を、謳歌することができる社会を目指すのが、正しいんじゃないだろうか。おっさんになっても、バイトをしている人間は、底辺なんだから、そのへんでのたれ死んだとしても、自分のせいと、片付けてしまっていいのかを、これからは問い続けるべきなんだ。

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 「自尊心を捨てろ。草に語りかけてみなさい。何を話すかは問題じゃない。ただ話しかければいい。大事なのは、それを自分と平等に扱うということさ。」いつからか僕らは、ヒューマニズムの波に、侵されている。道端に生える雑草や、塀の上をつたう野良猫、サカナやカラスにたいする共感があれば、彼らの沈黙のことばに耳を傾けることが、できるかもしれない。そして、今を取り巻く、不気味な深刻さに気付く感性を、磨くことができるはずだ。

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道化師の衣

 いつも見つけようとして、それでも、なかなか発見できない、<別の世界>への魂の通路は、いったい、どこに存在しているんだろう。それは、出口のない現実からの、逃避であるかもしれない。目に見えない階級の壁が、道を塞ぎ、行く手を阻む。だからこそ僕らは、魂を、存在から、遊離させるような感覚を、忘れることができない。忙しない社会で、騒然としている都会のなかで、蓄積された否定のエネルギーは、押しとどめようもない。

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・イロニー、あるいは滑稽
 他人のまなざしが、否応なく分類し、レッテルを貼り、自分じゃない自分に、仕立て上げようとする。いま感じている「幸福」も、すべてが、よそおわれた、無知のうえに成り立っているなら、「解放」もまた、イロニーにすぎない。そして、それぞれが、用意された最後の避難場所へと、足を運ぶ姿はなんて、滑稽なんだろう。

・貧困とは
 貧しさが、人を殺すことがある。貧困は、生活の物質的な、水準の問題ではない。「考える精神」を奪い、人と人との関係を、解体し去り、感情を、枯渇せしめんとする、そのような、情況の総体生であると、学者はいう。それは、経済的カテゴリーである以上に、僕らの存在、根本を、おびやかす、哲学の分野にも、含まれる、概念のことだと、僕は思う。

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 いつの時代も、変わらず搾取される、労働力。数十万という新鮮な青年、少女を呑み込んでいく、都会の仕組み。余分なものは、排除しようとする社会。飛翔する自由への意志は、遠い夜空の彼方へと、姿を、消してしまったようだ。
 「望むとおりに理解されることの不可能」という一節が、僕の胸へと、突き刺さる。どうしてこうも、他人の要求する自分を、作らなければいけないんだろう。それは、まるで、衣装を、ごてごてと身にまとった、奇妙なピエロではないか。人は、他者とのかかわりのうちにしか、存在できない、現実を憂う。無念にもにた感情とともに、道化師の衣を脱ぐ日を、待ちわびたい。

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対話が、起きるとき

 誰もが、自分を、正しいと、信じて疑わない。それじゃあ、まるで「正義」と「正義」の闘いじゃないか。いつまでたっても、向かっている方向が、ひとつに、定まらない。
 飽きもせず、だれかの不祥事を、騒ぎ立てる。不倫、失言、セクハラ、お金の問題を取り上げて、本当に、支援が必要なひとの声を、届けようとしない、マス・メディア。テレビの中で起きることが、全てじゃないのは、分かる。でも、あまりにも、くだらなさが際立って、チャンネルをかえるスピードに、拍車をかける。世間って、こういうものが見たいのかという、懐疑心が、募るばかりだ。

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・収奪
 都会の、効率性を重視した生活の中で、生まれる不幸を、どうにかしようとする。けれど、書類がないから、ハンコがないから、営業時間外だから、ひとを、助けることができない。現実は、そんななんだろう。みんなが、恵まれた環境にいるわけでは、ない。貧困の最中で、次々と、選択肢を、奪われている人たちがいる。人生には、自分では、どうしようもない問題が、でてくるのだと、誰かが、語る。

・頼ってもいい
 個人主義に、傾きつつある世の中で、低下していく地域力。どうすれば、孤立する人を、減らせるのか。結局は、人と人の繋がりの中で、その縁の中で、生きている人間は、生きるということの、難解さを避けて、通れない。支援を受けることは、正当なことだと、どうどうと、伝えなければならない。互いに助け合うのが、当たり前なのだと、どうどうと、伝えなければならない。当然のように。

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 便利さを追求するあまりに、見失っているものがある。他人のことなんか、考えている暇はない、自分のことで、精一杯だというのは、嘘じゃないんだろう。そういった考えが、生まれるのは、自然だ。でも、だとしても、困っている人がいたら、助けようと、各人が、努力していくことが、必要なんじゃないか。互いに、平等で、水平の関係があって、それぞれに役割があって、それが、互いを、気にしながら、ひとつの音楽を、奏でていくように、対話が起こり、何かが、解決されていく。少なくとも、そんな世界が、僕は、好きだ。

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非意味性

 私は、非正規労働者だ。あるいは、同性愛者だ。いろいろなアイデンティティが、僕を、浸食していく。何層にも重なって、存在する個人の属性を、一つずつはがしていった、その先に残る自分は、はたして、何者なんだろう。もう、本当の自分を探すのは、やめにしないかと、誰かが、語りかけてくる。でも、そうしないと、安心して、夜を過ごせないんだと、僕は、答えるだろう。

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・悲劇を乗り越える
 言葉や暴力や妄想が、ときに、暴発する。猛毒となって、関係のない民衆に、ふりかかったとして、それを、何事もなく、受け入れることは、可能だろうか。争いが、争いをうみ、多くの血痕を、残してきた歴史を、振り返れば、答えは、自然に、湧き出てくる。ときに、それこそ、理性と思想と行動のレベルで、僕らの社会は、僕らの個々人の生は、堂々と、ねじ伏せて、なんとしても、越えていかなければならない。不条理という、終わりなき、悲劇を。

・問題提起
 市場が、拡大し、労働者になる人たちが多いと、競争のもとで、労賃を、安く抑えることができる。雇う側にとっては、好ましい状況だろう。そして、誰もが知っているグローバリゼーションのもとで、富は、集中していく。仕事ができる人間が、得をすること全てを、否定したいわけじゃない。でも、はじめからハンデのある人や、障害をもって生まれてくる人も、いる。なんの落度もない人が、割を食う社会は、どうなんて思う。

・線引きの暴力
 べつに、コミュニケーションをとることも拙い重度の障害者の生にも、意味があるとか、優等生的なことを、言いたい訳じゃない。そういってしまえば、この世界には、意味のある生と、無意味な生があって、命に、乱暴な線引きをしてしまう結果となる。そんな傲慢な態度じゃなくて、もっとわかりやすい言葉で、幅広い年齢層に、伝わるような言葉を、この場では、紡ぎだしたい。そう思ってる。

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 「生きづらさ」を抱えた青年が、耐えねばならないことは、常に、のしかかってくる、命の非意味なんじゃないだろうか。誰でも、一度は考えるだろう。なぜ、自分は、生まれてきたのだろう。自分は、このままなにも、成し遂げることなく、無意味に、消えていくんじゃないかという、焦燥感。平等な、対等な、圧倒的な非意味こそ、ここで、発信しなければならないことだと、僕は、思う。

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2000年と、ちょっと

 これまでの歴史のなかで、取り上げなければならないことは、きっと、人間の悪行だろう。どれをとっても、目をつむりたくなるような真実が、みごとに、軒を連ねている。人が人を殺すという、まぎれもなく、悪であると、断定できる行いを、人は、してきたのだ。戦時下という特殊な状況で、人がたくさん死んでいくことに、慣れていく人がいた。それを、「不幸のルーチン化」と、一昔の学者は、いった。

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・無知
 大人になって、初めて触れる歴史的事実が、たくさんある。学生時分に、何を、学んできたのだと、少し、落ち込んでいる。なにしろ、知らないことが、あまりにも、多すぎるのだ。それほどに、いまの社会が成り立っている理由や、経緯が、ややこしすぎるのかもしれない。現実って、いつも、そんなもんなんだろう。線と線が、複雑に絡み合って、しまいには、毛玉くらいの、得体の知れない固形物が、時の経過とともに、出来上がっていく。現代人は、それを顧みようとせず、繰り返し起きている出来事を、さも初めて起きたかのように、リアクションする。なんて、愚かなんだろう。

・許してはいけないこと
 今になって、優生思想、優勢主義について、考えようと思う。それらが意味することは、他人の損得によって、ときに、人を生まれないようにし、ときに、人に、死んでもらおうという考えや行いだと、捉えることができる。もちろん、ひとつの見方として。ナチス・ドイツの民衆の多くが、それを支持して、極めて、民主的なやり方で、ヒトラーが政権についたという事実を、我々は、深く、心に、刻むべきだろう。その裏で、多くの障がい者が、殺害されたことを、当時の人は、知っていたけれど、知らないふりをしながら、ただ、黙り込んだのか。ヒトラーを後ろ押ししたのは、経済を好転させたという功績が、大きいのだけれど、その要因が、迷惑をかける、障がい者を殺して、負担を取り除いたからだというような暴論を、僕らは、決して、許してはいけない。

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 僕が、一番言いたいのは、ただ一つだけで、あなたが、どう感じるかと、生き死には関係ないのだということだ。例えば、精神の病気であろうが、そのひとが将来、犯罪を起こしそうになることが予測されようが、あるいは、周囲に頼り切ることでしか、命の存続が、難しい場合であろうが、彼が、死ななければならない理由には、ならないのだと、僕は、言うことができる。
 西暦を数えだして、もう2000年が、過ぎたのだけれど、その間に、状況は上向いているのだろうか。野蛮なことは、減ったのかもしれない。けれど、生産しない人、できない人への脅威は、消えたのか。日本は、いささか、昔より豊かになり、福祉も拡大しつつある。一方、少子高齢化を迎え、危機感が強まっている感触をもっているのは、僕だけなのか。それを問いたい。